文章表現において、こちらの表現の方が正しい、美しいという批評をよく耳にしますが、私はそう言ったものに対して一つ違和感を覚えます。
例えば算数において、
Aの箱とBの箱があり、箱にはリンゴがそれぞれ一つずつ入っているとします。この場合、Aの箱に入っているリンゴとBの箱に入っているリンゴの数は合わせていくつだと問われれば、それは二個だという以外の回答はないわけです。
しかし文章に関して、


ボクはベッドに寝そべりながら、窓から差す月の光を見ていた。
ボクはベッドに寝そべった。窓から光が差した。ボクはそれを見た。


この二つの文は構造は違いますが、言っていることは同じです。
人によっては、下の文は表現が下手だというかもしれません。
また、


今日はとても寒かったから、ボクは上着を羽織った。
今日はとても寒かったから、ボクは半袖で出た。


こちらは文に間違いはありません。しかし、私たちの常識や倫理観に合わせて見れば下の文は道理が通っているとは言えません。

最後に一つ、例を出します。


ボクは動物園でパンダやキリンとかを見た。
ボクは動物園でキリンとかを見た。


こちらは、下がそもそも文として間違っています。
国語の先生にみせたらペケを食らいます。


さて、上で挙げた例は様々な理由によって「間違っている」とされる表現です。
人によっては、こういった表現を小説で使用することを注意する人もいるでしょう。
しかし、こういった表現は文や通念、個人の感受性によって間違っているとされるかもしれないけれど、小説というものの中に置いてはそうは言えない、言ってはならないと考えられます。
それが私の意見です。
つまり、小説にルールなどは存在しません。
文字を使った芸術の表現という命題を満たしていれば、細かい規則や文の乱れの指摘は「ナンセンス」です。
それを含めて、芸術なのです。