世界に穴を空けないようにするための配慮は天の帝が地上の龍に付き従うように崩壊を月の風習に閉じ込めることだし、党派の独裁が北方であるように偽装するのも自分たちの汚染された循環がそれ自体の年月を刻んでいるのだということを権力と錯覚させるための鴨打ちに過ぎない。でもそのことは死者と超越者に溶解の銃弾を与えることと無関係だし、駒たちの「世界の平和」が不在の中心である悪性ループの聖櫃に閉じ込められていくこととは縁を持たない。もちろん宇宙ステーションで信仰に対する乗り換えの保証を持つことは自由だけれど、惑星系の回帰は接続の時間軸としてはすでにひび割れていて、安定した普遍的システムを代補する、ということにはなっていない。私が言いたいのは、罪の鏡を裏側の月に見るか貨幣に見るかは権力者に対する曖昧な問いかけの回答と同じだ、ということであって、石から割れた苗木をわざわざ袋叩きにしてくる人々に興味を持っているというわけではない。石とは見捨てられたものの言葉のことであって、豊穣さの死の宿る感染に対しては、単に言葉遊びの水準で免疫不全を行使している人々の当てつけがサービスの玉当てだ、という意味でしかない。