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政教分離の禊

もし国葬を外交政策という時間稼ぎに使うとしたら、死と国際関係の矛盾を国民的な高揚の意志で決めることになる。その場合、宗教的な法人性と思想的な宗教性と宗教意識としての生活形態を政治的ディスクールの宗派性による介入的な手続きの操作と同じ位置で定めることに対する防衛はなにも存在しなくなる。そして原発稼働が国民意識としての期待に経済的な高揚感を与える精神剤としての役割を果たすとしたら、コロナウイルスのワクチン接種の対応の遅さを進めることは、それ自体としてバランスが取れている政策のように見えて実際は無力な政治的立場に医療従事者を追い込む可能性がある。これは無論低所得者の場合も同じである。もちろん科学的に考えて放射能汚染の問題とコロナウイルスのワクチン接種の問題は別物である。そしてこの立場で考えた時、アメリカとの協調問題は大まかに維持されるということになるだろう。しかし原発稼働の意味合いとワクチンの医療従事者への対応を比較する場合にはそうではない。この論点ではワクチンの医療従事者への対応は反原発の基準と一致するが故に経済的期待感を損なわせているというデマゴギーがアメリカに対する金融操作と利害関係から一貫する余地があるからである。行政的にこの二つの意味合いが異なることがわかっているからと言ってイデオロギー的な位置で陽性的な神々の宗派に対する盲目的信仰を抑制することができるわけではない。妥協のバランスの綱渡りは老獪な政策に見えて実際は何もしないことを最低限のツケ回しという口実で正当化しているだけだからだ。もちろん国葬に反対することに政治的な意味はほとんど含められないだろうが、その宗教的な陰謀論に隠れた創造の論理の一貫性が原発稼働の政策の見込み収益を最悪のレベルで減損させるだろう。

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