「社会=民主党の本来の性格は、要約すればこういうことである。つまり、資本と賃労働という二つの極をともに止揚するためではなく、それらの対立を和らげて調和へと変換させるための手段として、民主的=共和制度的諸制度が要求されるのである。この目的を達成するためにどのように異なる諸方策が提案されようと、この目的が多かれ少なかれ革命的な表象で飾りつけられようと、内容は同じままである。この内容は、民主的方法での社会の改造であるが、小市民の枠内での改造である。小市民は原理的に利己的な階級利害を貫徹しようとするものだというような、視野の狭い思い込みをしてはいけない。彼らはむしろ、自分たちの解放の特殊な諸条件は普遍的な諸条件であり、その内部でのみ、近代社会は救われ、階級闘争は避けられるのだ、と信じているのである。同様に、民主派の議員たちはみな商店主であるか、あるいは商店主を熱愛している、と思い描いていもいけない。彼らは、その教養と知的状態からすれば、商店主と雲泥の差がありうる。彼らを小市民の代表にした事情とは、小市民が実生活において超えない限界を、彼らが頭の中で超えない、ということであり、だから物質的利害と社会的状態が小市民を[実践的に]駆り立てて向かわせるのと同じ課題と解決に、民主派の議員たちが理論的に駆り立てられる、ということである。これがそもそも、一つの階級の政治的・文筆代表者と彼らが代表する階級との関係というものである。以上の説明からおのずとわかるのは、モンターニュ派が共和制といわゆる人間の諸権利とをめぐって秩序党とたえず格闘しているとしても、共和制も人間の諸権利も彼らの最終目的ではないのであって、それは武器が奪われようとしていてそれに抵抗している軍隊が、自分自身の武器を保有し続けるために戦場に出ているのではないのと同様だ、ということである。」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)
「(…)そして民主派の偉業の際にはよくあるように、指導者は彼らの「民衆」の敵前逃亡を責めることで満足し、民衆はその指導者の詐欺を責めることで満足したのである。モンターニュ派の間近に迫った作戦行動ほど、騒々しく告知された行動はめったになかったし、民主派の不可避の勝利ほど、早くから確定されたものとしてラッパの鳴り物入りで吹聴された事件はめったになかった。民主主義者たちがその一吹きでエリコの壁が倒壊したあのラッパを信じているのは、たしかである。だから彼らは専制政治の壁に直面するたびに、この奇跡をまねようとする。モンターニュ派が議会で勝利したいのなら、武器を取れと叫んではならなかった。議会で武器を取れと叫んだとしても、街頭では議会のように振る舞ってはならなかった。平和的なデモンストレーションを本気で考えていたとしても、それが戦闘的に迎えられることを予想しなかったとしたら、ばかげていた。現実に戦うつもりだったとすれば、戦うために不可欠な武器をもたずにいたのは、風変わりなことだった。しかし、小市民とその民主的な代表者の革命的脅迫は、敵をおびえさせようとする試みにすぎなかった。そしてそれが窮地にはまり込んで抜け出せなくなると、それがすっかり信用をなくしてしまって脅迫を実行せざるえなくなると、目的のための手段だけは回避し、いっしょうけんめいに負ける口実を手に入れようとする、といういかがわしいやり方で、おこなわれるのである。」(同上)