• に登録
  • 現代ファンタジー
  • 創作論・評論

xy=x∩y x+y=x∪y A=1:Ā=0 A=0:Ā=1

政治的代表象におけるデジタル回路の論理和および積はブール代数の形式で言い表される。ある政治的主張Aに対するアンチの主張Āとの論理積はどちらも真である場合にのみ真となる。それ以外の場合は偽である。しかし包合的論理和ではどちらも偽である場合のみ偽であり、どちらかが真である場合は真になる。さらにAの主張とĀの主張をどちらも含まない場合を除いて両者どちらかに属する排他的論理和については両方が真であるか偽である場合にのみ偽となる。ここで表現の不自由を考える。表現の自由はこの中のどの形式に当てはまるのか。それは排他的論理和である。なぜなら表現の自由を守れという場合も表現の不自由を訴える場合もどちらもその主張の真偽性ではなくその政治的な普遍性が当てはまることを求めているからだ。だから表現の自由の様式に当てはまりかつ不自由の普遍性の訴えを退ける判断と、表現の不自由を訴えつつ表現の自由の普遍性に否定的な判断を真の判断として肯定すべきであるということになる。この両者はその主張内容に措いては共犯であることはあり得ない。逆に言うと論理積あるいは抱合的論理和では仮に他方がその表現の主張内容に無関係であったとしても、その様式の対抗規定として権利の普遍性を訴えるだけのためにその主張内容を否定する場合がありうるからである。この両者の言説を差別化するものは論理演算ではありえず探索的外見性のシンボル帰属に関する身分性にその代表象を規則化し、その社会的条件から分節される政治的権利の内在を演出する。これはスイッチ回路の並列性に措いては単なる矛盾になる。それゆえ補集合の入力変数が0となる記号を入力することでそれに対応する組み合わせの反動性を構成して演算のつじつま合わせをする。つまり全体の集合から状況を変動しない身代わりを置いてそれに「表現の不自由」を語らせてそれを批判することが表現の権利の普遍性を保護する責任に繋がるという回路として介入が導入される。これが暴力的になるのは挑発に対する社会的条件を公民の分断の回路であるかのように設計してそこから一律に金銭的な配置を描写するからである。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する