象徴的分割と因果関係の系統性を区別するには次元縮退の方法がどのように行われるのかを考える必要がある。因果的系統性とはある要因が別の要素と相関する場合の時間的連続性をその要素の属性として定義することでその性質を説明することから成っている。ここでラベリングの名称や用語の抽象的な構文性などの規定は後付けの帰納から決定される。ある有機物が特定の要素の関連性から時間的にそれと同じ属性の性質を有する別の物体に変化したらその物体と有機物との間には因果的な系統性があると言われる。ここで媒介物の介入や同位体の可能性が存在するということは考慮に入れていない。したがって縮退の方法はある方式的連関性が次元数の規格から一定の運動の法則性を帰納的に提示することによって与えられる。一方で象徴的分割とはある存在の性質を説明するための規定は次元的な関連を一旦考慮から外してその完全な属性を発揮した場合の状態から不完全な状態へ移行する際の現象性の形態を名称的な実体の分割から規定する方法である。ある存在Aがある存在Bから生まれるときその存在の名称をABとするだけでは何も説明したことにならない。ここでAを子、Bを父にした場合、子は父から生まれるというのは生物学的事実ではないが人間存在の象徴的分割規定からは完全に正しい。ここで母が子供を成すことができるというのは象徴的な分割の子であり子宮起源の法的形式に則った養育権を有することとは同じではない。それゆえ縮退の方法は要素命題の構成要因を時間的因果関係から分離してその法則的規定に関わらない分割操作の関係を完全さの演繹から取り出すことである。神話的な説明はこの二つの要素が意図的に混合されて展開されている。神話に物語の要素が存在することは疑いを入れないがそれは基本連接関係の修辞から成り立っている。発生の起源と創造の系譜を特定の支配権の継承問題として建てることでその混合を父の存在の名称規定からラベリングするという操作を支配権の法則として構成することができる。つまり象徴的分割の問題を継承の系統発生の因果的説明にすり替えることで科学的な外見を要しながら批判的に物語の規定から逃れることができる。因果的な説明方法は物語の説明様式とは別だがそれらは象徴的な分割から逃れるためには法的な形式にシンボルの循環連鎖をラベリングして象徴的であるかのように記号的に演出することが儀式の問題として歴史的次元に「継承」される。それが接ぎ穂の交接関係の「事実確認」になる。さて壊変サイクルは両者にどう関わるのだろうか。壊変は同位体元素の分割連鎖反応だから因果関係の決定論的記述には関わらないが象徴的分割の位置からは明らかに崩壊の確率的定数が存在している。壊変サイクルは系統的には非因果的だが象徴的には連続的であるので閾値による人体の影響に対する不可逆の性質変化が因果的に存在しているのは確実だがそれが確定的な物質変化の測定に関わる診断というわけではない。それゆえ壊変の生物的な影響は遺伝連鎖の完全さの分割から人体の有機物の悪循環の形成を決定づける確率論的な上昇からその性質が決定されるのであり、神話的な継承的接ぎ穂の交接の説明といかなる意味でも両立できない。