とある方にコメントをしたところ返信に「分析する目」というワードが出てきてしまったので、ちゃんと伝えないといけないなと思い僕の実体験を含めて書くことにしました。
今回の話は重大な話ですし、結構長いです。多分エッセイとして出せるくらいの内容になるでしょう。
では前置きはこの辺にして、本題に入りたいと思います。
「分析する目」。僕はこれに安易に手を出すべきではないと思います。
商業作家を目指さない限り必要ないでしょう。
理由を言うと、それは娯楽を捨てる行為だからです。
詳しく説明します。
みなさんもわかっていると思いますが、僕は商業作家を目指しています。当然どういう構成のストーリが面白いのか、とか調べてありますし、他作品の分析もします。もう僕は「分析する目」を持ってしまっているわけです。
「分析する目」を説明するなら一歩引いたところから見る目といえばわかりやすいでしょうか。
その視点で作品の優劣を見るという感じ。
能力を向上させたいという意欲でこの目を使うとなれば、他者作と自作の優劣を比べるという行為になります。
優れた点は吸収し、劣った点は捨てる。
要するに劣った点が見えるようになってしまうわけです。
「分析する目」を使えば能力を向上させることは簡単でしょう。ですがその反動で、作品のアラが見えてしまうのです。
僕はそのせいでアニメという娯楽を失いました。
僕はアニメが好きで執筆を始めました。執筆時には完成された映像が頭の中に浮かびます。その映像が面白いわけです。そりゃ、自分でこだわり抜いたシーンが思いうかべば楽しいに決まっています。
ですが、それは分析する目でも見ているわけです。
既存の作品と比べてしまいます。そしてアラが映ります。
某夏アニメ。覇権アニメとも言われるほど人気の百合アニメですが、僕は楽しめませんでした。そのシナリオは無理があるだろうとか。その要素は相反するから楽しさ半減するだろとか、色々分析してしまうわけです。
これで楽しめるわけがありません。
僕は今、来期の「チェンソーマン」を楽しみにしています。その次の期の「進撃の巨人」も。
ですが、僕は楽しめないでしょう。本気で楽しむことは不可能です。
本当にアラがない完璧な作品でない限り楽しめなくなってしまいました。
みなさんはこうなりたいですか?
小説の場合でも必ず起こります。他者作の劣った点は絶対に見えてきてしまう。
その時点で楽しみは大きく減ってしまうでしょう。
なので、基本的に僕は商業作家を目指さない限り「分析する目」を持つことをお勧めしません。
しかし、娯楽を捨てる覚悟がお有りなら、それだけの動機と熱意があるのなら、そのまま突き進んでください。僕は止めません。応援します。
書き終えた時点で1000文字超えました(笑)
ちなみに僕は書くこと自体を楽しんでいるので、まあ……、後悔はしてませんね。