一年の始まりの節分も過ぎ、春未だ遠い日々の中で、少し思ってしまいました。
私は、仏教徒でもなく、キリスト教徒でもなく、世界3大宗教のどれにも属している訳でもなく、新興宗教も信じていない、無宗教無宗派の生き物です。
でも、少し思ってしまったのです。
仏教の根本はですが、ある国の王子の一人が山で瀕死状態の虎を見つけ、自分の身体を差し出したそうです。
でも瀕死状態の虎は王子の肉を食べることが出来ず、そこで王子は自分の肉と骨を砕いて、虎の前に横たわると、やっと虎は王子を食べる事ができるようになったそうです。
困っているものが居れば、自分の身を挺してまでも助けなさい。
虎が復活し、人肉の味を覚えて人里を襲いに来るかもしれない。
そんな未来のことなど考えず、目の前で困っている者が居れば、全力で助けなさい。
これは、過去においてもで、その人がどんな罪を持っていても、目の前で困っているなら全力で助けなさい。
これが、仏教の根本的思想であると言われているようです。
今年は寅年でしたね。
助けられた虎は、それからどうなったのでしょうね?
虎は感謝をして王子の住んでいた里に恩返しをしました、などという御伽噺は無いにしても、助けられた者が散々迷惑をかけて生きていく、なんて想像したら、助けた側としては切ないだろうと思うのは凡人の考えることなのでしょうか?
後先、前後、過去未来、それは考えない。
神道にもよく似た思想があり、今中、というそうです。
過去と未来は時空で繋がっており、今という時間は、その中心でしかない。
つまり今という時間は、時空を超えて同一状態にあることを言うので、瞬間が自分の前にあるだけで、現在過去未来は同じ世界に存在する調和そのものなのだそうです。
朝から何を考えているのか・・・。
この寒い冬に、白い薔薇が蕾をつけました。
春よ来い、暖かな春よ、希望を運んで、大輪の白い薔薇がいっぱい咲き誇りますように。
春よ来い。