執筆スピード重視系のエッセイを読んでいた思ったんです。これ、小説だけに特化して眺めたら異端な創作論にも見えるかも知れないけど、見方を変えたら結構まっとうなものなのかも、と。
例えば執筆スピードを高めて沢山小説を書くって、スポーツや音楽とかでたくさん練習をするのと同じじゃないですか。鍛錬ですよ鍛錬。武道や料理の修行とかでも同じ事をずっと繰り返しながら技術を磨いていきますよね。ハンターハンターで言うところの感謝の正拳突き。あれと同じなんですよ。
沢山小説を書いて脳に小説の回路を作る。これってプロを目指すなら必要な事なのだろうなと。
漫画家で例えるなら、今のプロも新人賞で賞をとった頃の初めて紙面に載った作品って正直そこまで絵が上手くない場合もある訳です。技術は描いていく内に上達するからそこまで重要じゃないって編集の人が言っていたりしますよね。大事なのは読んで面白かどうか。やはりプロになれる人は絵が下手でも話は抜群に面白い。
これを小説に当てはめれば、技術より大事なものがあると言う主張もうなずけます。
だからってコンテスト受賞が運だけと言うのは流石に言い過ぎに感じますけど。ま、才能のある人は最初から自分に出来る事は自覚なしですから……(汗)。
それが極端な主張だったとしても、色んなものに置き換える事で理解が深まる事ってありますね。物事を様々な角度で見る事も大事かなって思います。
とは言え、中にはどこから見てもおかしいって主張もあったりもするのですが(汗)。