山帰来ヲネです。

とある作品がもう少しで3000PVに届きそうです。
ので、うれしくなって自分についてツラツラと書いていこうかなと思ったのです。でしゃばりですいません。はは、どーもどーも。


名前、山帰来ヲネです。
サンキライという植物と尾根の掛け合わせです。サンキライはご存じでしょうか?南天にそっくりなのですが、こちらは葉がなく、枝に小さな赤い実がついているだけの寒々しくて愛しくなるようなそっけない植物で好きなんです。絵皿に描かれていることも多いような。似たような感じだと柊も好きですが、名前として馴染みやすいので、実際の植物を連想してもらえないかな、というのと、何か気取ってるようでお蔵入りしました。響きも好きです。サンキライ。私は太陽や明るいものがしっくりこない社交下手な性格なので、そういう意味でもぴったりだなと思って。
尾根も雲に近くて、夢現な場所。地上からずっと遠ざかっていて、人も少ない。めったなことがなければ、空気も綺麗。おね、だとパンチにかけるかなと。それでヲネです。もっとも、下の名前を名乗っていませんが…。実は自然愛に満ちた名前なんですよ。悪くないでしょう?
とはいえ、育てるとなると話は別で、実は植物が育てられません。世話が下手で枯らしてしまうとか、そういうことではなく、部屋の片隅で口も聞かずに自分以外が息してるかと思うと、綺麗だとか思う前にどうしても気味が悪くて苦手なんです。無言の酸素の奪い合いですもん。同居できませんよ。まかり間違って朽ちていかれたりしたら呪われそうで怖い。口も聞けない分、怨念も凄いだろうなって勝手に怯えてるんです。生ゴミも似たような感覚でキライです。私は家でも何となく寛げなくて、別に自分以外誰もいないのにどうして自分で自分のこと生きづらくしてるんだろう。はぁ。明日も明後日も生きて、自分の生きづらさに貢献しますよ。これも嫌いじゃないので。嗜好品としての悲観を愛してます。めんどさいですよね。


こういう場なので、読書傾向についても触れてみます。
学生の頃は人よりかは読んでいるかもというぐらい。ただ、当時は本の選び方がよく分かっていなかったと言うか、選ぶという頭が元々なかったのか、今思うと単なる活字中毒だったのかな?とも思うのですが、自分の趣味に合う合わないお構いなしに図書館の本を片っ端から読んでいたので、数の割りに楽しい読書経験が少なかったように思います。今はもう少し自分の興味に忠実に選ぶようになった…というより、堪え性がなくなって興味を覚えるものしか読み進められなくなったので、読書で気持ちが乗ることが多くなりました。

十代の頃から変わらず、ちょっとシュールなものが好きです。書体としては、湿っていても乾いていても、振り切っていれば好み。いずれにせよ、適度にシニカルだと読んでいて楽です。反対に主人公が妙に積極的で、何のかんの言っても肝心なところで心理的に全く揺らぎのないワンマンな感じの人間だと、読めないことはないですが、何だか気が合わないなぁと思って疲れます。何だろう、上手く言えないけど、ワンマンな主人公というのは、何度も同じこと相談してくるのに、こっちの意見なんて全く聞く気のない自己完結人間だけど人は巻き込むみたいなはた迷惑なタイプとでも言えば良いのか。伝わってますか?人に何かを伝えようとするのは本当に難しい。こういった行為を投げて日々過ごしていたら下手くそになりました。分かる人にゃ分かればいいのさ。自己完結人間、お前がなって感じです。

探究心が強くないので、読書では未知の視点に立って、というより、実際の自分と似たような視点の人間か、そうでないのなら、よっぽど綺麗なものを見せてもらえるという餌でもなければ、物語上の主観としては異なる考えを受け付けなくなってしまいました。正直にこう書いて自分の矮小さを認めるのが辛いです。何かここぞとばかりに傲慢ですし。でも、読書ってそういうもんじゃないでしょうかね。従って、読める物語も減ってしまいました。もう私はまっさらじゃないの。やだやだ。汚い。まっさらだったらもっと色んなことを純粋に受け取れただろうに残念なことよ。いつか私がまた柔らかくなったら読めるようになるかなぁ。とにかく、この読書の姿勢があまり良いものでないことは確かなので未来に期待。

そうそう、学生まで遡ると、ペギー・スーシリーズが好きでした。フランスの児童向け小説なのですが、お化けが見える少女とテレパシーで喋る青い犬、砂になってしまう恋人と実の祖母(魔女)と様々な奇妙な国をさすらうというお話で、もう児童向け読むような歳じゃないだろうって年齢まで読んでいました。作家が元々は児童書畑の方ではないようで、大人でも楽しめるんです。主人公は、お化けが見えるせいで母親と姉からキチガイ扱いされて、ネグレクト受けてたところに魔女である祖母と生活するように強要されるのですが、子供が読むにはそこらへんの事情が結構リアルで殺伐としているなぁという印象で、にも拘らずしっかりダーク?シュール?ファンタジーしてたため、ギャップにやられたんです。
日常にファンタジーが溶け込んでくるのはやっぱり好きですね。もろ不思議の国のアリス系。かつての小山田浩子さんの芥川賞受賞作も賛否分かれそうだなぁとは思いつつ、私は結構好きでした。あれは、『工場』だったか、『穴』だったか…。その割りにうろ覚えで説得力に欠ける。本当にO型なんですよねぇ(そういう問題じゃない)

今は、読書の対象が紀行文、人文系や美術系、歴史系にシフトしてまして、どれも広く浅く、その上で偏っているのですが、相変わらず読み漁っています。
最近読んで面白かったのは、ルポライターが数多のイスラム国家にて酒を求めてさ迷う『イスラム飲酒紀行』、イスラエル在住日本人教授のエッセイ『乳と蜜の流れる地から』です。
美術系だとタイトル失念しましたが、宗教画を当時の生活様式から読みとく解読本?にハマってます。最近絵画の解読本流行ってますよね。そうでなくても、無知なので視線への緻密な計算の上で成り立っている絵画の世界にただただ舌を巻いております。説明がないと目で流してしまう部分にとんでもない技巧が隠されているなんて知ってしまった日にゃ、ますますほじくりだしたくもなるというもの。
あとは、好きなシンガーソングライターが書いた小説なんかも。普段、人の声が入らないサウンドトラックしか聞かないのですが、好きになるととことん調べ尽くすストーカー気質なようで、今はもう閉架になっている30年くらい前の本を洗いざらい借りて読み耽っています。怖いでしょう?でも、何を考えているか知りたくて。
因みに運転中にかける曲は越天楽です。笙のファーという音ともにハイビームなんて食らった時には、あなた、毎回千と千尋の神隠しのように違う世界に跳んでく心地がしますよ。トランス状態。

漫画でいうと、『チェーザレ』と『玄奘聖域記』。
前者はタイトルロールのチェーザレ・ボルジアの伝記(的)漫画です。ミケロットとチェーザレのドライだけども熱い主従関係は勿論、惣領冬実先生の場面の見せ方が素晴らしいなと思います。映画でも、無言で意を酌み交わすシーンが私は好きなのですが、静止画でもこんなに伝わるものなのか…と思うほど前後の関係性の描写の足し引きの加減によって生まれる余韻が絶妙ですよ。余白の美学。私が一番欲しているのに遠退き続けているものです。
後者は、西遊記でもお馴染み三蔵法師の本家本元、玄奘法師の著作「大唐西域記」のコミカライズ版です。お話の緩急としては緩やかですが、それだけに玄奘の成長がリアルで沁みます。宗教に苦悩する聖人というのが親しみやすい。
(ただ、最後だけはちょっとブロマンスに寄せすぎたのでは…?とも思うのだけど)

古典だと、『嵐が丘』が好きです。人間の嫌な部分の造形がリアルで「うわぁ…」がすぎる上に、自分でもままならない自己との葛藤と執念も。それに、嵐が丘にインスパイアされた楽曲や論文が軒並み面白くて素晴らしいので、そういう意味でも後にも先にもこんなに愛される本はないのではと思っています。万人受けはしないけど、熱狂的に愛されてますよね。

お分かりの通り、近頃物語というものに触れていない上に、粗っぽい言い方をすると助長な話が好きなので、自分で書く話も展開のスピードが上手く掴めず、そこが課題だなぁと思っています。
小説をまた読めば多少変わるのかもしれませんが、何だか最近人アレルギーがひどくなっていて、仮想のものとはいえ、他人の思想が渦巻くようなものを体が受け付けなくなっていて、今はまだその時じゃないよなぁと。読書好きでいたいので、好きなものを好きなタイミングに読む贅沢を楽しんでいたいものです。
それは、読んでいただいた方にも言えることで、拙い作と書いて、拙作『花瓶の水を分け合う』も、そういった信条のもと読んでいただけたかと思うと、私の喜びもひとしおです。まぁここは勝手に喜ばせてくださいよ。
幸せをありがとうございます。