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『 機械仕掛けの虚像 』、画像公開・5 《 出会い・1 》

本編の重要なシーンだった、リックとライザの出会い場面。
手前味噌で申し訳ありませんが、3ページの原画を、3日連続で公開させて頂きます。

小説版では、ライザは、乗って来た軍用車両に車載されていた重機銃を持っていましたが、原作の漫画版では、銃架の付いた歩兵支援機銃でした。( いずれにせよ、女性にはデカイ… )
設定では、口径7.62mmm。 小説版はベルト給弾式での記述でしたが、漫画ではマガジン。 …これは、弾帯を描くのが面倒臭かった為です。(笑)

8件のコメント

  • コメントさせていただきます。
    ずっと漫画のページを見て、かなり懐かしい思いがします。
    35年ほど前とのことですが、絵柄そのものは、70年代末期から80年初頭頃の雰囲気がします。
    スクリーントーンをきちんと貼って、少し削ってらっしゃるので、成程80年代半ばくらいかなとは思うのですが。
    なにせ70年代半ばから80年代初頭はスクリーントーンも高くて、そうそう貼れなかった覚えがあります。あのころはレトラのは高いので、マクソンだったと思いますが。
    あの頃に私も少し、イラストもどきを描いたりして雑誌に投稿とかやっていました。
    でもはがき投稿用にスクリーントーンは買えなかったですね。

    星野之宣氏が少年ジャンプで、ブルーシティを連載しはじめたころ、スクリーントーンを使いまくりで、びっくりしたのも懐かしい思い出です。

    それでは失礼します。
  • コメント失礼します。

    私もマクソン易いので使ったことがあるのですが、
    扱い難くて結局ストックも使わずじまいでした。

    お金のない時代でしたから、
    しばらくはスクリーントーンなしで描いてました。
    紙もケント紙使っている時代もありましたが、
    さすがに学生時代は、
    スケッチブックを定型の大きさに切って使ってました。

    ホワイトはポスターカラー、ライン、べたは墨汁でしたね。
    ペン先は10本480円のかぶらペンを愛用してました。

    懐かしいですね。
  • >望 様

    いらっしゃいませ。

    年代は、ご推察の通りです。
    中学生の頃、少年誌( この頃は、まだ青年誌がありませんでした )を読んでいて、「 この、細かい点々… どうやって描くのだろう? 細い線も、すっごい綺麗に描いてあるし…! 」と、感心していました。
    その後、スクリーントーンと言う画材を貼ったものだと言う事知り、早速、街の画材屋へ買いに行き、あまりの高額に、すごすごと帰って来た記憶があります。(笑)

    専門学生になった時、バイト( 蕎麦屋 )して資金を貯め、32番とか1052番とか、メインの種類を決めて購入していました。
    高額でしたので、切余りのトーンは、大事に取っておき、使える面積が出て来た場合、『 中古 』として使っていましたね。 当時、ホンキで漫画家になるつもりでしたので、将来の投資として贅沢ながら使っていました。

    しかし、弊害もあります。
    陰影・立体感を出すのに、ペン描きではなく、トーンを貼って『 省略 』してしまいがち……
    敬愛する手塚治虫 先生は、ほとんど、トーンをお使いにはなりません。
    まあ、時代の流れとして、私は、それなりには使っていましたが、顔の陰影など、多用する作家さんには閉口でした。( 『 キャッツ・アイ 』の北条司 氏とか )

    星野之宣 氏の画風は、好む方・そうでない方、色々ですが、私としては、プロ・アマ問わず、作家さんの画風よりも、ストーリー性・テーマ性に惹かれます。 星野氏の『 はるかなる朝 』には、感動致しました。
  • >影武者 様

    いつもコメント、ありがとうございます。

    ホワイトは、泣く( デザイン用語で、塗った後に、下地が透けて見えてしまう事 )のがイヤで……
    これも高額ながら、エナメル系のホワイトを使っていました。 水溶性ですが、使ったまま筆洗に置いておくと、すぐに固まってしまい、面相筆を、何十本もパーにしました。

    私は、ケント紙オンリーでした。
    描き損じた小さな部分は、カミソリの刃で薄く切り、めん棒で繊維を押さえ、また描く事が出来ましたので。 ← おそらく現代ではもう、この『 技術 』の伝承者は、いないのではないでしょうか……?

    墨汁は、乾いても、汗ばんだ指先で触ると引っ張ってしまい、画面を汚してしまうので、私は、インクをそのまま平筆に付けて塗っていました。 ペン描き用・ベタ塗り用と、2つのインク壺が机上に鎮座していました。
  • >夏川 俊様

    >描き損じた小さな部分は、カミソリの刃で薄く切り、めん棒で繊維を押さえ、また描く事が出来ましたので。 ← おそらく現代ではもう、この『 技術 』の伝承者は、いないのではないでしょうか……?

    私は切り抜いて新しい紙をはめ込んでいました。
    原稿の下に新しい紙をセットし、カッターの刃を外側に斜めに入れて
    そのコマのみ2枚合わせて切り抜き、入れ替える方を後ろからはめ込んでました。
    修正が小さい場合はその部分のみ切り貼りしてました。

    アニメの時は、標準以上の大きさのフレームサイズの紙は
    複数の動画用紙をきれいに繋げ、後ろからセロテープで止めるなど、

    結構、はめ込みや繋ぎ合わせってやっていたもんです。

  • >影武者 様

    出ました! ハメ込みですね。
    コマごと修正する場合、私もやっていました。

    直接、修正面に上から貼る時もありましたが、切り取った端部が印刷に出てしまうので、めん棒でエッジを押さえて処理していました。
    現在は、PC処理で作業領域を設定し、好きな場所にドラッグするだけですので、後工程も考慮する必要も無く、便利な時代になったものです。

    …その代わり、PCが使えない場合、ナニも出来ません。 極端な話、『 電気 』が無いと、描く事すら出来ない作家が増えました。
    色付けは勿論の事、ボカシも、グラデーションも、線の太さまでもPC任せ……
    それって、ドコが、自分のオリジナル作品なのでしょうか?
    自分しか描けない創作こそが、『 作品 』と言えるのだと私は思います。
  • 夏川様。
    創作の思い出は私もございます。

    以前、というか大昔、学生時代に同好会の会誌の表紙を担当することになって、はじめてケント紙を使いました。
    絵をかいて、水彩で色を付けて、そして背景以外を全て、丁寧にマスキング。

    母から料理の灰汁とり網で穴が1部開いてしまって捨てるやつをもらって、これまた捨てる歯ブラシに水彩絵の具を乗せて、網の上をこすって色を何度も載せました。
    スパッタリングとか言う手法らしいのですが。

    それでできた表紙は、仲間内から、どうやったのかとずいぶん聞かれました。
    素人はエアブラシなんかまず持ってないあの時代に、ボカシをやりたくて疑似ブラシ塗りしたのです。
    あの当時、エアブラシ持っていたのは、美術やってる大学生とかプロだけだと思います。

    一発勝負だったので、本当に緊張しました。
    あれも、「創作」だったと思います。
  • >望 様

    一般に言う、『 ブラシ 』ですね。
    マスキングが、大変。 でも、仕上がりは、とても綺麗で可愛いです。
    幻想的にもなりますし、ファンタジックでもあります。
    指先で金網を弾いたり、息を吹きかけて『 吹き絵 』とする方もいらっしゃいますね。

    エアブラシは、美大に進んだ弟が持っていましたが、すぐ詰まるので大変そうでした。 私は、エアブラシ作品集を買って、「 凄えなぁ~…! 」と眺めているだけでした。 ← 基本、面倒臭がり屋

    何だか、久し振りに創作したくなって来ましたよ……!
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