0312
 対戦アプリ#コンパスで「カードパワーごり押し」でキルされた時の呆れと「ドクターマーチンのおかげ」でまとまったコーディネートを見た時の呆れが【非常によく似ている】。そりゃ良い物使えば良くなるよなあという感じ。
 !!!──もちろんカードもマーチンも悪くないんだけど、全く関係が無く距離の遠いものが、『脳内で隣にいる』ので面白いなあと思った。
 比喩。
 まるでドクターマーチンにおんぶにだっこのコーディネートみたいに(足りない技術を金で補っている)~

 ……みたいな比喩を僕はよく生むが独特らしい。その昔友達とサイゼリヤに行った際、テーブルを隔てる磨りガラスがスプラトゥーンのショッツル鉱山の中央コンベアを隔てる磨りガラス(だったかな忘れた。)を彷彿とさせたので、「ショッツルのコンベアのガラスみたいだね」と言ったら、(彼も同じものを知っていたのだが)、(⌒-⌒; )【〉「そ、そうだね……△△くんは独特だよね、」と狼狽えさせてしまったのを覚えている。「あれ、これ共有できないのかあ」と驚いたり、「何度目の独特か(よく言われるので)」とか思った。疎外を感じたのは確か。

以下、














 自分にとっての普通が他人にとっての異常である場合がある。そういう人間は普通に擬態して生きるか異常をアイデンティティーにして生きるかの選択を迫られるのだけど、精神的に未熟だった僕はどちらもできず挫折した。自分の未来が明るくないというのは甘い、【そもそも君には生き方がないんだよ】と刷り込まれてしまったので困ったし今も困っている。なんの話をしていたっけ? あ、なんか絵を描くみたいに文章を書いてみたんだった。『』=作品名ではなく、《強調したい度合い》に合わせて記号を使ってみた。なかなか面白いと思う。これも独特ですか? だったら他人と接点があるというのは奇跡だねえ。稀有ですね。

0311 貧血酸欠脱水ぶっ倒れた

 こんなに体が弱いとは思わなかった。少し走っただけで手も足も全然動かなくなり喉もカラカラ駅のホームでぐったり、冷たいコンクリの感触、朦朧とした意識、ぼやけた視界の中で僕を覗き込む駅員とホームに居た青年。救急車を呼んでくれた。飲み物を買ってくれた。
 ……世の薄汚い部分ばかり見えて苛立つ日々であるが、そういう方々がちゃんといらっしゃって、そのおかげで生きていけるのだということを覚えていたいと思った。すぐ忘れるけどでも本心。本当に感謝しています。見知らぬ善人。ありがとうございました。

 ────人の卑しい部分を目にすると憤りを隠せなくなる。電車の割込やすれ違い様の肩のぶつかり、お前が悪いんだよ常識ねえんだよ沸点低いなという視線。。。
 それに対して今はまだ睨み舌打ち程度で済んでいるけれども、そのうち暴動起こしちゃうんじゃないでしょうか僕と大衆。殴り合いの映像を想像するのは難しくないので実際起こしてしまうかもしれない。。。
 「はいはいあなたは間違ってるよ、でも我慢します争い面倒なんで、それが大人なんで常識なんでモラルなんでリテラシーなんで」とすべき、、、なのだろうがしない。信念があるからだ。

 傍目からしても自分からしても僕は頭のおかしな人だと思うけれども、どうしても引き下がれない。正義心もあるし僕の自由を他人に邪魔されたくない。
 …………個性というのは人数が多ければ多いほど衝突する。「僕が僕である以上」他人様に迷惑はかけてしまうけどじゃあでも【誰にも迷惑をかけない生き方】なんてあるんだろうか?、。結局選べるのは大衆の幸福か自分の幸福かであって僕は僕の幸福を選んでいる。その結果とやかく言われたりするし食い違うけれども僕はそれを『適切』だと思う。

 合わない人はすみませんけど関わらないようにしましょう。僕を断罪したいならすればいい。でも僕は反抗する。そうやってお互いの譲れない個人的道徳に従って衝突し合いましょう。それが僕にとって正しい世界で人の関わりなので。

0306 ツイートのまとめ

気さくな方(というか
コミュニケーションに期待していない人)は僕と相性が良い。6日は良い日だった。色々な出会いがあるもんだ。イベントには金と時間の許す限り参加すべきだなと思った。

ある程度を越えると自分を見ている人数はそのまま銃口の数になるので、100viewで配信できる人はすごいし、寂しく(でも気楽に)0viewで配信できる人はもっとすごいし、1000viewで配信できる人はもっとすごい

0303 【ポジティブなPDCAと展示会の話の続き(創作観)】
どこが悪いかを考える行程を省くようになってから創作がたのしくなった。どうしたら良くなるか、どうしたら好き!になるか、だけを考えていいはずなのだ。ポジティブに。

PDCAサイクルの中のCチェックは見直すだけれども別にネガティブな意味をはらんではいない。ここが悪かったという言葉はなぜ書けないのかなぜ悪かったのかなぜモチベーションを保てないのかなど不幸な言葉の仲間を連れてくるので無視する。 絵を描くときも「この色すき!おりゃ!」的な子供な感じなのでたのしい。そこに反省の余地はない。もっとこーしたら良かったかもネ!で終わる。

最近は読んでいておもしろい文章を書いた。今までの自分なら他人の目を意識して書いた文章なんて許せなかっただろうが今は許せる。やはり人との関わりや創作している方のお話を聞いて変わり始めた。人間は社会の下にあって、その枠の中で生きることしかできない。それができない人は死んでいるのと変わらないし自分も死んでいる。人は水槽の中で泳ぐ権利を与えられている。そんなわけで人権を獲得するためにはカクヨムで伸びるものを書く必要があると思ったのです。

この前、絵描きさんの展示会でグッズを身につけていったら気づいてもらえてとても嬉しかった。またお相手も喜んでいた(自分のグッズをつけている人がいる)。そして感想なども伝えて喜び喜ばれ喜んだのだが、そのように──創作物は人の手に渡り人の目に触れて──ようやく価値が生まれるのだ──と教えてもらいました。本当にありがたい出会いと言葉でした。近々その方の展示会があるらしい。お会いすることはできないので残念だけど、新しくグッズが出るらしいのでぜひ買いたい。

0302
2月は休む暇もないくらいたくさんのイベントに参加して、そこから色々と得て学び創作のハードルが下がった。視野が広くなった。

0222
3週間前に締切は過ぎたのに、朝起きると「火山をどう終わらせようか」と焦っていた。未練があるのかもしれない。あれは酷い作品だけど文体は間違ってないと今でも思う。
──たとえば《遡ってアダムとイヴ、宇宙。》など、自分でも二度と書けないような、そして他人にも真似できないような言い回しをしたじゃないか。それが成功じゃなくてなにが成功だと言うんだろう?創作は案外リアルタイム的なものなのだ。
……そういえば「焦り続き現象」は前にも体験していて、大学を一年目で辞めたあとの春、朝「二年目の学費を払わなければ」とどぎまぎしたのを覚えている。一年ぐらい続いた。まるで悪夢にうなされるようだった。

0221
なに物語書こうとしてんの???おまえの頭じゃ無理だ素直に文体を磨け
でもいいのかもしれん無理だと思うことをでもやりたいんだがんばりたいんだできるようになりたいんだという姿勢は、、滑稽だが、、

『少しのあいだ目をつむること』が伸びてるね。嬉しいが劣化を感じるのでつらい。2nd出したときに1stのが良かったよねこの人と言われるタイプの人(憎悪の対象)になってしまってる風で痛ましい、痛ましぇー。
カクヨムで伸びるものを書こうかと思うがきっとできないんだろうなという謎の諦観があって、あーじゃあもう自分の好きなものを書こう!よし!と思ったときにあれ、好きなものってなんだろう好きなものがない、、となって呆然自失。。。
3月7日までの予約投稿が終わりお疲れさまの息をつく。

0216
とても良いことがあった。
【2コマ漫画】には生きるのは最高だと書いたけど書いたほうがおもしろいから書いただけで生きるのは最高だなんて思わない1ミリも

【ネタ】
「今のセーフ?」
「アウトっていうかもうスリーアウトチェンジだよ」

「買いたい、解体人形ジェニーって感じ」
「手札見て一枚墓地ね」
「いや、やけに詳しいじゃん、ついてくるとは思わなかったわ1周回ってボケ殺しじゃない?」
「パクリオの方がすきだけど」
「(話聞いてない……)」

ヤヴァンゲリオン初号機

0215
死にてえ 死にてえ時に死にてえと言ってはいけない作品にしなさいと頭ん中で叱りつけられるので更に死にてえが増す、、僕にはなんにもない。ほんとうになんにもない。空っぽですらない。器すらない。ギターとかピアノとか詩とか小説とか絵とか少しだけできるけどどれも中途半端で稼いで生きていけるレベルではない。。。かといって人と関わって普通の生き方をするのも不可能でした、それはもう散々確かめました。だからもうどうすればいいのかわからない死んでも美しくない歳になってしまった、今流れている涙はなんの涙なんだろう?。悲しいのか虚しいのか


0213
詩を二つ投稿した。前からやりたかったアンサーソングの形にした。大幅に順序を入れ替えて『合わせ鏡の青い鳥』が完結した。めでたしめでたし。
テーマのスタートは、〈幸福が見えないのは背中にくっついてるからなのでは?〉というようなものだった気がする。そして「自分は不幸だと思っていたが、合わせ鏡に映る背中の青い鳥によって、幸福だったことを知る」……はずだったんだけど、かなりずれた。てかテーマが長え。「一行で表せないならそのテーマは熟していない」みたいなことをカズオイシグロが言っていた。仰る通り。
でもやって良かった。とても。稚拙だなあと思うものもあるけど、成功したイメージはある。試したこともたくさんある。語頭を揃えた。音ではなく絵のように書いた。特に短くしようという意識があった。ぱっと見「このぐらいの長さなら読めるかも」と思える長さにしたつもり。
前作は完全に歌詞を書いていたが、カクヨムのニーズには合わないように感じたのもあり、今回は詩として書いた。どんなものであっても、それを求める人がいないなら価値はないと武井壮が言っていた。仰る通り。いくら自分が求めてもね。他人に求められているものを作るのはできないが、求められていないものを作らないことはせいぜいできた気がする。というか求められていないものから少しは遠ざかれたと思う。良い経験になった。

2月はイベントに行く予定がたくさんある。たのしみ。催し物はそれに携わっている瞬間、他の事を全て忘れられるのがいい。畢竟、ものを作る意味があるとしたらそれかもしれない。
僕は普段他人と会話しないんだけど、以前から興味を持っていた絵師さんと話せる機会があったので(展示会があった)、その場で数分ばかり話した。絵の感想を伝えたり、グッズの感想を伝えたり。不思議な時間を味わわせてもらった。僭越ながらファンアートも渡した。本人は意識していないだろうけれど、ふっと放たれた「お礼の言葉」に感銘を受けた。ものづくりの考え方がどんどん変わっていく。

さて2月も半分終わり、なにか短編を一作あげたい!とは思うのだけど、どう形にすればいいのかわからないので困っている。手取り足取り教えていただきたい。先月の短編はやりたいようにやって残念無念、すってんころりん大失敗だったので、今度は別の作り方をしたい。
書いていて心地良いものではなく、読んでいて心地良いもの。
どうすればいいんだろうかっ。頭もすっからかんで。


〈レッテル貼り〉からは逃げられないよなあ、とネガティブな書き方をしたけど思い直した。じゃあ果たして先入観を持たずに接されたら人はどうなってしまうんだろう? 果たして先入観を持たずに接することができるんだろうか?
〈レッテル貼り〉こそが人と関わるきっかけになるわけで、「初心者にしては上手いじゃん」とか「さすがプロ」とか「年齢の割にすごい」とか「女だから話しやすい」とか、そういう前提ありきの発言に救われている人しかいないんじゃないか?。
2月9日現在、僕はプロフィールに「自著が出ます」と嘘を書いているんだけど、書いてからやたらレビューやら評価が増えた。そこに関係性があると確信してるわけではないが、ただのカクヨム投稿者よりは〈書籍化される実力のある人〉という肩書きを持った方が読まれるだろう。例えば出来の良い文章を読みたいとき、レビュー0の作品よりは読書メーターで星4.7とか書店の売れ筋を読むだろう。少なくとも僕はそうする。
プラスのレッテルにはもちろん価値があり、そしてまたマイナスのレッテルにも価値があるはず。タイトルなしキャッチコピーなし紹介文なしの作品よりは、〈ニートの一日(ゴミクズの思考)〉とかなんとか名前があったほうが目にふれる気がする。ともかくレッテルはどうしたって付き纏う上、どんなレッテルだろうと有り難い側面を持っている。


『雪国の詩』の差分を非公開にした。詩を読みに来る人は唄いたい人ではないので、ノイズになるんじゃないかな?と思った。

『青い鳥』を投稿した。アジカンの『ソラニン』の影響がまんま出ている。

今日は大変僭越ながらファンアートを描きました。見てもらえるかすら分からないけれど、もし喜んでもらえたらすごく嬉しい。ただ、贈り物はエゴであって、喜ばないと傷つけてしまう・せっかく描いてくれたんだから、といった前提を作り出してしまうことは覚えておきたい。良心の呵責を感じる。とはいえ気にしてもきりがないので考えるのをやめる。個人的に良い絵になったと思います。

……特定の誰かに宛てて作品を作るのは刺激的な体験だ。自己主張を抑えられるのでとても良い。「これを作りたい!」ではなく「これを見たい!」と消費者の視点でものを作れる。大切なんだけどついつい忘れてしまう。
その昔僕は二次創作というものを忌避していたけれど、今まさにそれをやっているんだから面白いもんだ。抵抗はない。未来は分からない。


『雪国の詩』を投稿した。たまには差分も。読むのと唄うのでは違う。欲しい文字とそうでない文字、欲しい音とそうでない音、など差が出る。


蜂に刺されたみたいに目が腫れている。ものもらいが出来た。そのせいかわかりやすく人に避けられている。寂しいけど嬉しい。正直な反応は心の奥のほうに届く。素性の都合から気を遣われてばかりなので、こういうのは素直にありがたい。
偏見についてよく考える。
容姿が不快なので近寄りません、というのはピュアなので信じられる。信じられるものがすきだ。フィクションでは醜い真実よりも美しい虚構が求められるが、現実では真逆な気がする。物心着く頃には偽善に自覚的だったし、〈優しさを隠蓑にした臆病〉にふれない社会に対し、変だなあ気味が悪いなあと思っていた。痛みがあってもピュアなものがいい。
とはいえ寂しさと点眼のめんどくささは厄介なので、ものもらいさんには早めに治っていただきたい。


無視してもいい、無視されてもいい、この人は受け入れてくれる、この人は嫌わないだろう、が円滑なコミュニケーションには必要。配信で話せるのはそれだ。

センス、技術、コンセプト。


夏目宏之先輩を少し書いた。富士野蓮汰の対極になりつつあるので嬉しい。予約投稿が本日3日と明日の分ある。よくやってる感がある。果たして遠坂冬乃は二人を撹乱するんだろうか。「何を質問するか?」というのは人の料簡の狭さ広さを顕す。良いキャラクターを書くためには良質な疑問を抱かねばならないのだなと思った。好きな食べ物を訊いても心根は見えてこない。
『少しのあいだ目をつむること』の一話を読み返した。一話四話が良いはず。いじめ観は良く書いたよなあと思う。二年も前だから他人事のように思うし事実今の自分は過去の自分と他人だ。書けたのはいじめられたことがあるおかげだろう。いじめられる側が悪いというのは残酷だが真実だ。

BLを書いてるけどBLを書きたいわけじゃない。火山の失敗からなるべく自分を投影したくないというのが根本にあって、じゃあどうすれば投影しなくて済むかと考えたときに二つ浮かんだ。一つは全然感情移入できないキャラや作品を書くこと、もう一つは人に宛てて書くことだった。前者がBL。後者が自己愛性パーソナリティ障害の処方せん。後者は嘘ついたり誇張しちゃいけないから、自分がどうのって絶対に書けなくなる。この病気はどうのってのが上にくる。ノンフィクションは大事。良い治療になってると思う。自分にとって。
有名人と自分を重ね合わせるってのも書きたいね。


キャラクター設定をしっかり書いたのは初めてかもしれない。BLキャラ一人書いた。富士野はスラスラ書けたけど、先輩はどうすればいいかわかんねえ。対極であるとなにかと都合が良いんだけど、富士野の対極としてだけ書くと、途端に血が通わなくなりそうなんだよな。もしかしたらこの二人完璧に噛み合うんじゃないか?みたいな風にしたい。


2月になった。とても元気になった。外出できるぐらいには回復した。もう絶対応募しないwwwww
ゲキカワデビル6巻が発売らしい。ダンスは裏拍が気持ちいい。ベースの裏メロが気持ちいい。ラッキープール Heart Pattern のサビとか。基準があってそれを壊す瞬間にカタルシスが発生するので、異端を書くなら普通が必要で、キャラクターで書くべきだなと思った。感覚で書いてるから理論的なこと初歩的なことが全然わからない。当たり前とされていることもなるほどと膝を打つことが多々ある。性別の話とギフテッドの話と幻風景のリライトと後天性の話とBLの話。
先入観やら偏見なしにものを語れるわけねえよな。偏見という偏見。偏見を持ってはいけないという偏見。わたしとあなたは違います。あなたとわたしは違います。で全て終わりなのにな。優劣も美醜も正解も不正解もない。全員孤独。だから全員友達。なのにな。


ゴミ箱みてると安心する。じゃあゴミ箱というコンテンツを作るかと思うがそんな気力はないのでやめる。ゴミ箱みてると安心するというメタ発言を許す。コンテンツじゃないから。思うに僕は人に見せるものを作り過ぎたんだ最近。もっと楽に楽しくやってよかったんじゃないか。だって1月前半はマイペースにとても楽しくやっていた。応募しなければよかった。とてもしんどかった。生活は崩壊した。
応募したことで社会の規定に合わせてものを作る経験ができたのは良かった。一万字。火山で社会批判みたいなことを書いたけど実際人間は社会の下にあるのを弁えなければならない。実績とフォロワー数が人間の価値なのだと弁えなければならない。ただ目の前の作業をこなしていれば技術は身に付くのに、生活は楽しくなるのに、うだうだ何の足しにもならないこと中二病の三文字に一蹴されることばかり考えてしまって手に着かない。なにも考えない、鈍感、というのは生きる上で非常に大切だがどうも難しい。考えたくない時は処理しようのない量の刺激を受けるのが一番いい。早くライブに行きたい。

鳥と水滴の文体は良かった。久しぶりにキャラクターやストーリーのことを考えた。書いていて楽しかった。少しだけ昔の淡白な文体が戻ってきた。昔のほうがうまかった。真摯に創作していた。悲しくなる。一年ぐらい書いてないとさすがに下手になる。今の文体は熱烈で速い。昔の文体は冷淡で遅い。
鳥と水滴の話を読み返した。思ったよりも良くなかった。転落が急なのと、コピーのジェットコースター体験に引きずられて一貫性を失っているイメージ。映像が続くのを期待されるはず。読むのをやめるのは最初の転落(急なの+漢字が多くて硬い)とビジネスホテルの会話が始まったところだと思う(映像終わり??一貫性isどこ??となる)。緩急を付けたかったので会話中の地の文には読点を多く使った。逆に最初はあまり読点を打たなかった。
完璧であらなくてはならないという気持ちのせいで疲れる。果たして完璧な人間がいるのかと励ます。そんな人間は気持ちが悪いし、醜さなくして美しさはないし、醜さを含めないと完璧にはならないのに。とか書いてもあまり励みにはならないか。わからない。この文は自己愛性のとこにもっていくかもしれない。
基本的に自分を励ますためだけに文章を書いているけど時々その軸がぶれる。その時期の文章はたぶんゴミ。1月は暗黒期だった。こうやってゴミを量産していると、いつのまにか少し楽になっている。自由帳に楽しく絵を描いている感じ。とても良い傾向。楽になるのは応募締切が今日あと一時間で終わるというのもあるのだろう。なんだかんだやって良かったと思う。結果はどうでもいいから行動した回数が大事だとよく思う。経験になる。経験は記憶に残り、どこかへ行ったとき、なにかを見た時、聞いたとき、食べた時、匂いを嗅いだ時、生きていた頃の記憶を思い出し、あなたはちゃんと生きていたんだよ、と支えてくれる。いつかまた今日のことやここ数日の苦しみを思い出すのだろう。短編賞の三文字とかで。

そういえば生きている人しか死について語らないのがとてもおもしろいと思っていたんだった。忘れていた。あと自分の価値観で物事を語るなに対して、じゃあ何を基準に語ればいいのだろうか?、誰も何も言えなくなって酷く退屈な世界に成りはしないか?、と思っていたんだった。
いつだか歩いていたら向かいの人の白杖に転ばされそうになって、なんだかすごく感慨深いものを感じた。悪気はないのに人を傷つけてしまう、もし転んでたら嫌な気持ちになってたんだろうなあと思ったこと、その感情は普通で責められる謂れはないのだけど、ただ関わったという一つの原因で加害者を生んでしまう、加害者になってしまう、それが日常的に起こりうる社会構造になっていることなど、色々思った。


火山は本当に失敗だった。ああいう自己主張の激しい文章に読む価値があると思えないのにやってしまった。悔やまれる。応募したのはすごいと思うが応募したいがために(応募しなかった自分から逃げるために)一万字寄せ集めた感じがあって醜いのでもう消したい。あんなものがネットに存在していることが気持ち悪い。でも消したら消したで消した自分を恨むのが分かりきってるので消さない。
文章に対する冒涜だった。本来なら文章は届けたい対象に向けて料理みたいにプレゼントを選ぶような気持ちで取り組むべき、というかそのほうが美しいと感じるだけだろうがとにかく、ああやってゴミ箱に捨てるように唾を吐きかけるみたいに殴り書きするのは良くないし分かっているのにやってしまったことに対する後悔が尋常じゃない。日に日に病んでいく。