偶然だとは思いますけれども、小説の宣伝ツイートをアフリカの方が「いいね」してくださいました。
ただ、その方のツイートを拝見すると、「奴隷制や虐殺は人間の権利を脅かす同根のものだ」というような内容でした。
わたしはいじめ・虐待・人種差別・虐殺・戦争は根源は同じであると考え、いじめを根絶したいという想いの小説をいくつも書きました。
そういうものを感じていただいてのことだったとしたら、とても嬉しいことです。
同時に、こんなことも思いました。
「小説の果たすべき役割やあるいは純粋に『出版マーケット』ということを考えた場合、切実な、『小説で現実を動かす、小説で人を救う』という感性を持って将来を見据えるべきではないのか」、と。
偶然の出来事を飛躍させるワナビで中二病のわたしのたわごとと思ってくださっても結構です。
けれども、例えばヘミングウェイの小説に日本の読者が深く思考を巡らすようなことが今の日本の小説で海外の読者に対してできるでしょうか?
『人種差別』のような本来は小説こそが真正面から取り組まなくてはならないようなことに日本の小説でもって答えを提示することができるでしょうか?
今の状況がダメだというつもりはありません。
けれども、例えば今日本で起こっている「いじめ」や「虐待」をテーマとして取り上げうる日本の小説が、普遍的な「人間への虐げ」ということに取り組むだけの資格が十分あると思います。
そしてそれは、芥川賞でも直木賞でもなく、本屋大賞でもなく、こういう現役の社会人や学生や、病気や引きこもる人たちのるつぼである、WEB投稿小説の場で行うべきではないでしょうか。いえ、行わないことは小説の可能性を狭めることにならないでしょうか。
繰り返しになりますが、ワナビで中二病であるわたしのたわごとと思ってくださっても構いません。ディスっていただいても一向に構いません。
ただ、わたしが上記のことに対して出した答えが、「銃とわたし」という小説でした。
もし一人でもお読みくださる方がいたら、わたしは『未来』という言葉に、意味を持たせることができます。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881630808