いじめの根絶という目的に特化したエッセイとして書き続けています。
実は、「ある少女のブログ」というわたしの小説の主人公の設定が『いじめ根絶の研究がライフワーク』という設定で、彼女の取り組みを現実世界のわたしが本気でやるしかないという思いで書いてきました。

ずっと読み続けてくださった方もおられます。感謝の言葉しかありません。

ただ、「いつもひそかに生きてる」の冒頭にある『ならぬかんにんするのこそまことのかんにん』という言葉をわたし自身が実行できていないということにとても申し訳なさを感じていました。

そしてもうひとつのわたしの恩人の言葉。

『一度《ひとたび》意見を間違えば互いに恨み憎み合い』

いじめという地獄にさらされたことのある子たちはわたしも含めてそれぞれのギリギリの辛苦の中を生きてきています。

あるいは生きることを続けられなかった子たちも多勢います。

わたしがその子たちのことをひとつに括るように書くことはもしかしたら許されないことなのかもしれません。


ただ、『いじめられる側が悪い』という悪意に満ちたツイートや論調をあまねく溶かし尽くしたいという気持ちはどうしても変えることができません。
部分否定のいじめの子たちはもしかしたら『済んだことだ』という気持ちになるかもしれませんけれども、本当に済んだことにするためには、いじめによって否応なく捻じ曲げられた人生や、いじめがなければ恋をして結婚し、もしかしたらこの世に生まれていたかもしれない命を生まれさせなかったことへの落とし前をつけてからにしてください。

そんなこと、神様でもないいいじめたりいじめを容認したりする人たちにできるわけがありませんけれども。