確か桑原武夫先生も、小学校1年生の音楽の時間に先生がオルガンを弾きながら
「皆さんの好きな歌を歌って下さい!
オルガンで伴奏しますよ。」
とおっしゃると、他の子どもたちは一斉に
♪ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ♪
♪咲いた 咲いた チューリップの花が♪
と歌ったのに、桑原武夫坊やだけは「東京行進曲」の一節を歌い出して先生を仰天させたそうです。
♪あだな年増を 誰が知ろう♪
おうちでお母様が「東京行進曲」をよく聞いて居られたのですね。
でも、どこのおうちも「東京行進曲」を聞いていたはずなのに、桑原武夫坊やだけがこんなにも反応してしまったのです。
うちは、昭和9年生まれの母と大正2年生まれの母方祖母の影響下、家の中は懐メロ全盛でした。
御蔭で今、御高齢の患者様に歌って差し上げると大変お喜びになり、認知症が良くなる患者様も続出。
私より年長の職員や徳洲会グループ幹部も(徳田虎雄名誉理事長も)知らない昔の歌ばかりで、
私と高齢患者様たちのコミュニケーションに呆気に取られている様です。
うちの周りでは幼稚園は2年制が一般的でしたが、母の考えで私は1年制幼稚園へ。
その前年、母は4歳になった私を神戸(兵庫県)の新聞会館にオープンした歌とピアノの教室に通わせました。
間もなく歌の発表会が近づいて来た頃、困ったことが持ち上がりました。
「富実代ちゃんはまだ小さいから、『ふたつ ふたつ』を歌ってね。」
と先生がおっしゃっても、私は
「いや! 『こんこんぎつね』がいい!」
と言って聞かなかったのです。
「『こんこんぎつね』は難しいから、もうちょっとお姉さんになってから歌いましょうね。
さあ、『ふたつ ふたつ』を練習しましょう。」
と先生がおっしゃったので、私は
「♪ふたーつ ふたーつ 何でしょね
お目々もほらね ふたつでしょ」
と歌い出しましたが、
「♪お耳もほらね・・・声が出ない!!」
本当に声が出なくなってしまったのです。
「こんな小さい子向けの簡単な歌なのに、何故・・・」
と先生も困惑なさり、
「それなら、一度『こんこんぎつね』を歌ってみなさい。」
とおっしゃいました。
私は嬉々として
♪こんこんぎつねは化け狐
おしろいつけて 紅つけて
おつむもきれいに結えました
こんこん こんこんこん
こんこんちきち こんちきち
こんちきちのこんこんちきち
こんちきちのこんこんこん♪
「歌えた!
こんな難しい常磐津風の歌を、こんな小さい子がよく歌えたわねえ・・・」
と先生もびっくりなさいました。
「どうしても、この歌を歌いたい」
と思い詰めると、4歳の時からこんな私でした。
歌の発表会当日、神戸の新聞会館大ホールは沢山のお客様で埋め尽くされました。
4歳の私は、ステージの上から見ると、客席がライトで白くけむって光の海の様に見え、一瞬戸惑いましたが、子供ながら
「やるしかない」
と心を決め、大好きな「こんこんぎつね」を心ゆくまで歌ったのです。
今も、あのステージから見た ライトに白くけむった光の海の様な客席の光景が目に浮かびます。