ご心労、お察し致します。状況がよくわかりませんですが、かなりのことがあったことと推察いたします。まずはゆっくりと心を休めて下さい…m(_ _)m
ちなみにこの『ヤマト〜』は、アニメーション『ヤマト』の本質であった『愛』というものをマネタリズム的に解釈したものを狙ってもいる…と申し上げておきます。諸般の事情から仔細を述べるを避けさせていただきますものの、このような話を聞いたことがあるということで、一つ…m(_ _)m
ヤマトはもともとこのような話ではなく、むしろ70年代っぽいSFを引きずっていました。謎の異星生命体ガミラス(カーミラ)との戦いの中、主人公が宇宙戦艦に乗り、地球救済のために異星に飛び立つものの、艦内では人間関係のもつれ・いがみ合いから反乱などが起き、互いに足を引っ張り合いながらも目的を果たして地球に帰還するも、生き残ったのは主人公一人で、他は戦闘や仲間割れで全員死亡…という凄惨な内容だったようです。ただ、これを見た西崎Pが「そーじゃねーだろ!伝えたいのは、愛だろ!愛!」と一喝して今のようなストーリーラインのベースが出来たという話です。
その後の西崎さんたちの激しい内輪もめや(…あれっ?)、彼の右より過ぎる(←さすがにアカンよね、アレ…爆死)言動などがあるものの、ただヤマトに関しては常にテーゼが『愛』であり、その本質は功利主義だったということのようでした。
そこには右・左やイデオロギー的なものはなく、純粋に他の人のために頑張る…という、当時としてはあまりシリアス系SFにはない路線でした。よって当初は視聴率が全く振るわず、旧作第22話のミッドウェイ海戦のオマージュが売国奴と右側から派手に騒がれたり(同話数担当のタイガープロがスケジュール崩れかけて死にかけた話数)など色々とありましたが、結局、人を感動させるのはイデオロギーではなく『人としてのあり方』なのだという事を50年経っても実感出来ているわけです。
実際、西崎さんも(まだコンビニとかがない時代)、渋谷の文化会館(←もうない)に徹夜で並んだ子どもたちに「親御さんが心配するから、これ食べたら返って下さい」と自費でおばさんたちを雇って作らせたおにぎりを自分で配った…という伝説のような話を聞いたことがあります(←これは未確認。何分、まだ子供だったので)。要するに、そういう『良い』ものもあった人で、他の人への愛はあった人です。
もし最近、ごく一部の心無い人たちに何かが欠けているとしたら、『当人の、人としてのあり方』…なのかもしれません。可能なら、物凄く遠くを見つめ、その先の希望を自分の手元に手繰り寄せるような人物になりたいものですね…( -_-)旦~ フゥ...