• 異世界ファンタジー
  • エッセイ・ノンフィクション

お礼と、天職・神命の背景と、「チ。」の凄さ

文玲堂、おかげさまで、連載終了にもかかわらず、急落せずに踏みとどまっています。

それどころか、このドマイナーすぎる歴史モノで、しかも西洋史。軽妙なライトノベルの会話劇もなく、ひたすら守るだけの話という暗さにもかかわらず、歴史・時代・伝奇ジャンルで、破格の20位を頂きました。

いままでランキングをなるべく気にしないようにしていましたが、さすがに、挙動不審になるくらいの順位になり、後は落ちるだけだと日々言い聞かせています。

本当にありがとうございます。

例の添削騒動の作品だけに、多分受け入れてもらえないだろうと思っていた作品が、こんなに支持されるとは、カクヨム読者の懐の深さに恐れ入ってます。
少しは添削した甲斐があったかな?


物語中、「神命」という訳を使った部分について。

現代では「天職」という翻訳を使いますが、日本語の天職と、プロテスタントの天職の意味が違うのと、更にリッパーダが使った天職(神命)が微妙に違うということで、非常に言葉遣いが難しいところでした。

本編の中に入れられませんでしたが、カトリックにとって、労働とは基本的には「罰」です。ラテン系の方々の昼休みが長いのは、罰からの休憩なわけです。シエスタさんは、カトリック系かもしれません。

これに対し、プロテスタントは、「労働は神から与えられたすべきこと」としています。ドイツ語で「Beruf」といいます。神から与えられているので、行うことが正しい事であり、仕事が神に仕えることにもなります。なので、月曜から土曜日までしっかり働いて、日曜日に休むという生活をします。この「Beruf」には、「職」という意味しか本来はありませんが、宗教解釈で、「神から与えられた仕事」という意味に代わります。日常的な仕事は神の為にすることなのです。

もともと、職や労働については、日本語の方が豊かなのですが、「神から与えられた」を強調するために「天職」という訳語を、宗教では充てるのが一般的です。

しかし、日本語の「天職」にはもう一つの意味があります。日本語では「生まれつき、自分に合っている職業」の意味のほうが一般的でしょう。これはプロテスタントの「天職」とは少し違うわけです。プロテスタントでは、苦手な仕事であっても、それは神に与えられたものだということです。

一方、リッパーダやアニカが言う「神命」は、更にもう一段上の言葉で、ドイツ語の「Aufgabe」です。翻訳的には「タスク」や「使命」となってしまいますが、宗教観的には「神の召命による仕事」に近く、英語でいう「calling」に近いものです。これも実は宗教用語では「天職」と訳されるという……。ほんと、訳している奴、ちょっとこっちこい!って話です。

なので「召命」を使おうかとも思いましたが「神命」にしました。
「神に託された仕事」です。

ここら辺、詳しくはマックス・ウェーバーの著作にて。
ちなみに、ボクは一般的な日本人の宗教観しかもたない人です。
どうしても避けて通れないと思い、勉強しました;

今回の作品では、この天職思想は、プロテスタントとカトリックの戦いの中で、切り離せないものでしたので、登場させました。
言い出したのは、マルティン・ルターです。
プロテスタントとカトリックの大きな違いの一つです。

背景として「知」が「宗教」から離れ、個の尊重が台頭していく世界なわけですが、さすがにそれを局地戦で語るのは難しく、中途半端ながら、片鱗だけに留めました。

そう考えると、マンガ「チ。」の凄さは、段違いだなと。

「宗教概念と、科学との相反」を、その「科学者の使命感」に集中させて語り、地動説そのものは、実は物語をひっぱるマクガフィンに過ぎません。
どういうことかというと、「地動説が正しいんだ!」は、別に物語の主張することではなく、宗教観でしか物事を考えられない人(常識)に対し、「命を賭してでも正しさは美しい」と非常識を言い続ける凄さが、物語の中核に見えます。

「知」が「宗教」から離れていく様を、あれほど興味深く描くとは……。名作でしたね。

実は、この作品でも、あれに少しだけ近づこうとしたのですが、平次郎たちの持っている常識や宗教観が同時代と離れていないので、動かせませんでした。

ああいう首尾一貫した骨太のテーマ、いつかやってみたいですねぇ。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する