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筆をとる余裕のない男の言い訳

三題噺マラソンやその他書きたい話のネタは充分に揃っているのだけれど、時間的余裕(いや、それは言い訳だ。すべては心の余裕なのだ)がない為に一向に次の投稿が出来ないでいる。

例えば次に投稿する「GREEN」(タイトルを変えようか悩み中)の続きは、終末的状況に置かれた高校生を主人公に据えて、周りにいる人々の行動を若者の感性で眺めるといった趣旨の話になる予定で、そのプロットも出来上がっているのだけれど、いざアウトラインプロセッサに本稿を書き連ねようとすると、プロットとプロットの間を繋ぐ地の文を書くところまで至るとウムムと手が止まってしまう。

私の場合、どの作品を書くにあたってもプロットはすんなり埋まるのだけれど繋ぎの部分がうまくいかなくて四苦八苦するということがよくあって、今回も例に漏れずそうした症状が発生してしまっているわけだ。

繋ぎの部分を考える際、ネタとネタの間がうまく結びつくように工夫する訳だけれど、そこに私は文章的面白さと伏線のキーワードを盛り込みたいという欲が生まれる。
今回の話でいえば、主人公は男子高校生なのだけれど、言葉の端々に次に書く話を見据えた小ネタを挟みたくなるのだ。ちらりと描写する人々や情景に次の話で登場する事柄を散りばめてみたり人物をさりげなく登場させたり、といった感じで。

この工夫をする際、パズル的思考(数学的思考ともいえるかもしれない)でものを考える必要が出てくる。そして私はパズルが好きだけれど、けっして得意ではない。(数学にいたっては苦手と断言してもいい)

という感じで、ウンウン唸る結果になる。
それじゃあ書き方(文章構築の仕方)を変えればいいんじゃない? と思うかもしれないけれど、もう一つ問題があって、私はこのウンウン唸っている時間が、実は嫌いじゃなかったりする。(創作する際の楽しさを感じている部分でもある)

そういえば幼少の頃。
よく外で一緒に遊んでいた友達がいて、いつも明るく楽しい奴だったのだけれど、時折、電信柱の影や塀の角あたりで真剣な面持ちで佇んでいたことがあった。
私が彼に「どうしたの?」と尋ねると、かれは頬をピクリと動かして無理に笑みを作り、「へへへ、うんこを我慢してるんだよ」と言った。(想い出であるからして実際にこう言った訳ではないがニュアンス的には同じだ)
私が彼に「なんで我慢するの?」と尋ねると、彼は「我慢して我慢して、それからいざうんこを出すと、とっても気持ち良いだろ?」
となんだか誇らしげに語ってみせた。
私は「へえ、そうなんだ」と一応納得してみせたけれど、あまり意味がわからなかったし、その理由を聞いた後でも、友人の真似をしてうんこを我慢しようとは一度も思わなかった。

しかしながら。
私が、創作する際にウンウンと考えるのが嫌いじゃないっていうのは、もしかしたらこの時の友人と似たような心境なのかもしれない。
文章を考えて考えて、いざ出来上がる瞬間ってのは、うんこを我慢して我慢して放出する爽快感と同じなのではないか。

もしそうだとするなら、私は物語の創作という趣味を通じて、少し特殊な性癖に目覚めてしまっているという事になる。
まだ実際に試行してはいないけれど少し便を我慢してみようか、なんて考えも生まれてしまう。いやいや胃腸が弱いのだからすぐにお腹が痛くなって我慢なんて出来ないのだけれど。

さて、ここまで書いておいてなんだけれど、私は結局何が言いたいのだろうか。自分でもわからない。

とりあえず、あと二、三日は我慢の時間になりそうです。

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