元プロ野球選手の村田兆次さんがお亡くなりになりました。
村田さんのご冥福を心からお祈り致します🌷
ここでは現役時代の村田さんに触れてみたい、と思います。
村田さんと言えば、あのダイナミックな投球フォーム。
そう「マサカリ投法」です。
私はリアルタイムで観た事はありませんのでヨウツベの動画で拝見していました。
今では考えられないような躍動感に溢れた力強い投球フォーム。
そこから繰り出される剛速球は正に唸りを上げていました。
あの「マサカリ投法」は村田さんがプロに入ってから自分で自分のフォームを考え抜いた末に行き着いたフォームだそうです。
あの傍から見たらムチャとも言える「マサカリ投法」は村田さんにとっては完成形なのです。
で無ければ引退して10年が過ぎた50歳の時に130kmのストレートは投げられません。
昔の特にパ・リーグには個性的な選手が多かったように思います。そして、それらは誰に教えられるでも無く自分自身で考えて生み出されたものです。
令和と昭和を比べるのはナンセンスだとは思いますが、私は昭和の破天荒とも言える選手達に憧憬の念を禁じえません。
さて、村田さんと言えば「マサカリ投法」と共に忘れてはならないものがあります。
そう。フォークボールです。
そして、このフォークボールは村田さん自身も「どのような変化をするのかは投げて見なければ判らない」と仰っていたそうです。
私はこれは「高速ナックル」だと思っています。
「フォークの神様」と呼称される日本におけるフォークボールの元祖である杉下茂さんと同じフォークボールであったと思っています。
杉下さんは指がとても長かったので人差し指と中指の間から完全にすっぽ抜けるように投げていたそうです。
その結果として回転数が極めて少ない速球になる。これが「高速ナックル」です。当時の読売の4番打者だった川上哲治氏の「キャッチャーがとれない球をバッターが打てるか!」の逸話は有名です。
ただ、村田さんにはフォークボールを投げるには致命的な欠点がありました。村田さんの指は長くは無かったのです。
しかし、村田さんは諦めませんでした。指を広げるように必死の努力をしたのです。練習中は勿論、家に帰ってからも指を広げようと考えつく事は何でもやりました。夜、寝る時には人差し指と中指の間にボールを無理に捻じ込んでテープでグルグル巻きにして寝ていたそうです。指が痛くてめが覚めてしまう事もあったそうです。
その甲斐あってか念願のフォークボールを投げられるようになりました。
杉下氏は述懐しています。「私と同じフォークボールを投げていたのは、村田兆次、佐々木主浩、野茂英雄くらいかな」と。
村田さんに関しては、そのお人柄や社会貢献等まだまだ書きたい事は沢山ありますがキリがありませんので一旦筆を置かせて頂きます。
最後に。
村田さん、安らかにお眠り下さい💐💐💐💐💐