浄土真宗は別として、江戸時代までの僧侶は結婚出来なかった……と一般的には認識されているかと思いますが、正確にはちょっと違います。戒律では妻帯はもちろん、女犯も禁じられていましたが、戒律を破れば可能でした。
「戒律なんて破ったら厳しく罰されるんじゃないのか?」と疑問を持たれそうですが、日本で僧侶に対して厳しい対応が取られていたのは古代と江戸時代です。中世はその辺りがゆるく、戒律を破っている、いわゆる「破戒僧」が大勢いた時代でした。
妻帯している僧侶は珍しくなく、肉食や飲酒をしていた僧侶もいました。そもそも、殺生を禁じられているはずの僧侶が、武装して僧兵となって戦っているような時代なので。とんち話で有名な一休さんも、史実では破戒僧そのものです。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で阿野全成が結婚して子供を作ってるのを見て、首を傾げた人も少なからずいるんじゃないかと思いますが、創作でも何でもなく、あれが史実です。他に著名な例としては、能円という僧侶と公家の女性の間に生まれた娘(のちの承明門院)が後鳥羽天皇の後宮に入って天皇との間に子を設け、その子が皇位を継承して土御門天皇となった、というのもあります。
現代のようなシステムだったら、役所に婚姻届を出す段階ではじかれてしまいそうですが、昔は公的機関に届け出る必要もなかったからこそ、まかり通っていたのでしょう。それでも親の許可は必要だったでしょうから、その辺りがどんな感覚だったのかは謎ですが。
江戸時代になると幕府が破戒僧を取り締まるようになりましたが、それでも遊郭通いをしている僧侶や寺に隠し妻のいる僧侶がいました。で、幕府に検挙されて島流しになっていたりします。
ちなみに、戦国時代に日本に来たキリスト教の宣教師は、日本の僧侶の堕落ぶりをボロクソに書いてます。