「ドッペルゲンガー」の合間に、ちょっとした出来心で書き始めたこの「空色の創作ノート」シリーズ第一弾、何だかずいぶん時間が掛かってしまったけど、どうにか完結しました。2週間くらいで書き切るつもりだったんですが、思いどおりに行かないものですね。この「空色」ですが、実は私の創作活動の今後を占う、私にとってはかなり大きな意味を持つ試みでした。前にも書きましたが連載中の「ドッペルゲンガー」が、私の、言ってしまうと処女作 (大学時代にもいくつか書いてましたが、掌編、または試し書き程度のものばかりでした) で、挿話「境界線上の季節」のようなキャラクターの魅力で勝負する、いや、「美しさ」や「切なさ」を表現する、そういうタイプの、今までの私の路線:思想・主題先導型でない、そういう作品が書けるのかどうか、試して見たくなったのです。結構切実な思いがありました。「境界線上の季節」の「かえで」を最後に、こういう美しいキャラクターが登場するストーリーを、私はもう二度と書かないんじゃないか?書けないんじゃないか?と凄まじい寂寥感と共に、自問したのです。テーマ主導型のガッチガチの純文学以外のものも書ける!と自分に言い聞かせたかったのです。今、この「空色」を完結して、たしかにそれは、PV数も寒気がするほど少ない、読んでくれた人はゴメンナサイ!、「箸にも棒にも引っ掛らない」作品ですが、それでも、私の目の前には今、2本の道が見えます。創作活動の選択肢ができたのです。評価は低くとも、可愛らしさや美しさ、儚さや切なさを、文字の上で、物語として表現できる、そういう作家になれた!……かな? と思います。「空色の創作ノート」の主人公の「空くん」は、言ってしまうと私です。小説を書くようになってから、実際に空くんみたいな心理状態 (感動ですぐ胸がいっぱいになってしまう) になることが多く、リアルでは設備屋のオヤジである私は非常に困り、ある時、「これを中学生の女の子か男の子の話にすると面白そうだし、或いはひょっとすると、このすぐ泣いちゃう困ったパーソナリティーをリアルの自分から分離できるかも……」と考えたのです。結果は成功でした。ではまた。