【推論】「クオリアとは色盲の話か?」という疑問について【見解・素人】

◯前置き

クオリア自体の概要についての説明は差っ引きます。
(超簡単に言うと、貴方のリンゴの赤と私のリンゴの赤は同一じゃないかも?って話)

先に結論置いときます。

【結論の概要】
人体において、(PCのGPUやモニター等の様な)パーツの劣化や型番、性能の違いや、アルゴリズムが違うから、
同一のデータやプロンプトを入力しても、PC(脳)内で出力されたファイルが違うので、他人のファイルと自分のファイルは同一じゃないかも?みたいな話

ちんぷんかんぷんですよね?

以下が、見解になります。





【クオリアは色盲か】

①前提
多分、クオリアは「『目』そのものにどう写ってるか」や「それをどう言葉で表現するか」はあまり問題では無いし、「それがそもそも間違っている」事では無い。

脳内で処理された結果の『情報体験(=感覚)が同一ではない可能性』が問題の本質。



②解説
一度味覚で説明しますと、

『貴方が甘いものを食べた時の味:A』≠『貴方が苦いものを食べた時の味:B』

があるとします。

もちろんこれらは甘い苦いと表現されるわけですが、
これが僕の脳内では
『僕が甘いものを食べた時の味:B』≠『僕が苦いものを食べた時の味:A』
という、逆の処理の結果で出てきていることもありうるという、

「処理結果の同一性」が本題です。



僕が甘いケーキを食べた時、脳内で
『"僕が甘い"ものを食べた時の感覚:B』=『"貴方が苦い"ものを食べた時の感覚:B』
だった場合だったとしても、

二人でケーキを食べたら『ケーキを食べた以上、「甘い」と表現される』わけですが、
前提通り『脳内の感覚としては入れ替わっている処理結果になっている』というのがクオリアという話の面倒くささだと思います。

今回の場合、僕が「うへぇ…これ甘すぎない?もうちょっと控えめな甘さだったらなぁ…。」とか言って、
貴方が「まぁこれくらいで良くない?なんならもうちょい甘くても良いけど?」みたいな話の原因になってるかも?

僕と貴方が、『君の名は。』よろしく「私達入れ替わってるー!?」とかやってケーキ食べたら「あれ…?なにこれ…?」ってケーキの味に絶望する可能性があるって事です。


視覚なら、お互い256色問題なく見分けられるけど、脳内のモニターで写ってる色がお互いズレてる(それでも問題なくお互い色を言い当てられる)ので、脳内の処理結果の色(色彩のクオリア)が違っても問題なく会話することが出来る(し、脳内の処理結果の味(味のクオリア)が違っても同様に)っていう話です。


極論、『生まれてから色彩が完全に反転しているモニターをお互いの脳内でずっと使っていても、それが反転していることには、脳内を直接見ないと気付けない』という事です。



③結論
なので、

『前提:だれかの入力器官

(網膜(レンズ)のようなハードウェアだけではなく、視覚野から続く脳内のソフトウェア、あるいは価値観や好みというアルゴリズムも含めた他人の器官)

で処理された情報体験のファイル(感覚)は、』

『仮定:違う景色が広がっているかも?』

『結論:それを『クオリア』と呼ぼう』

って話です。

ちょっと表現が古いですが『Windowsのメモ帳で普通に読めるテキストファイルが、Macに持ってったら文字化けするみたいな現象』が、人間でも起こるかもって事。
MacPC君的には「Windows君のテキストファイルキモすぎるよ!これが日本語の訳なくない?…もしかしたらWindows君って頭おかしいかも!?」ってなっちゃうかも。
でも、Windows君がテキストファイルをスクショしたらMac君も普通に文字が表示される訳で、そしたらWindows君が正気なのが分かります。
このPC間におけるスクショでのやり取り(共通規格へのファイル変換、データのパッケージ化)は、人間で言うコミュニケーションにあたります。


という話なので、先置きした結論の
情報処理的に言うなら、(GPUやモニター等の)パーツの劣化や型番、性能の違いや、アルゴリズムが違うから、
同一のデータやプロンプトを入力しても、PC(脳)内で出力されたファイルが違うので、他人のファイルと自分のファイルは同一じゃないかも?みたいな話なのかなって思います。
素人意見なので間違っている部分もあるかと思いますが、概ねこんな感じなのかなって思います。



これをもって『クオリアの違いにより色が違って見えている可能性の話は、色盲とはまた違う』という事が分かれ、ば、良いなぁ…。

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