―――――――――――――――――
第五章第2話【作品概要】
―――――――――――――――――
1935年5月10日(金)午後9時、テキサス州ダラス郊外。油田の金属音と原油の匂いがかすかに届くヘクター邸の書斎で、ヘクターはニューヨークのアンヘルに国際電話をかける。話題はただ1つ、単身で毛沢東暗殺任務に向かった長男ルイスの行方である。アンヘルは、すでに応援部隊1,000名がハワイへ向かっており、改良DC-2に分乗する9,000名の後続部隊も続くと説明するが、それでも父ヘクターの胸から不安は消えない。同時にアンヘルは、「近々戦争が起こる」と大統領から告げられていることを明かし、ハワイとその先の戦線に向けた航空燃料確保のため、テキサスの原油をロサンゼルスの精製会社へ送り出してほしいと依頼する。ヘクターは事情を察しつつもこれを了承し、そばで話を聞いていたマリアとジョン・スミスが即座に動き出す。マリアは1,000台ものタンクローリー購入を電話1本で決め、ジョンは止めていた油井のボーリング再開にサインを入れる。静かなテキサスの夜と、太平洋の戦火の予感とが、1本の電話線と原油の流れでつながっていくのである。
5月21日(火)午前9時、舞台は中華民国の首都・南京へ移る。国民党政府本部の執務室で、ルイスとジェームズ大佐は蒋介石から直接、紅軍と毛沢東の動きを聞かされる。蒋介石は、大渡河と金沙江を中心とした自軍の挟撃計画と、それを見抜いた毛沢東が「西昌を迂回して大渡河を先に渡る」作戦へ切り替えた経緯を説明する。そして、「紅軍を瀘定橋で渡河させるな」「瀘定の街に入らせるな」という一点を強調し、ルートとして南京から宜賓、西昌、瀘定という順を示す。紅軍は徒歩中心の軽装備で、山岳地帯ではゲリラ戦と塹壕戦を使い分けることも伝えられ、ルイスはこれから向かう戦場の姿を、地図の上と頭の中で具体的に描き始める。
同じ日の午前10時、ルイス、ジェームズ、マーガレット、エリザベスとウィリアムの一行は、南京飛行場から改良DC-2で宜賓へ向けて離陸する。機内には油と金属の匂いが立ちこめ、床板に伝わるエンジンの震えが、長旅の始まりを全員に意識させる。中国の大地が窓の下を流れ、麦畑の色や川面のきらめき、村の赤茶けた屋根が次々と姿を変えていく中、ルイスとジェームズは8時間交代で操縦を続ける。谷間の草地を選んだ即席の着陸、缶詰とパンの簡素な夕食、草と土の匂いの中での仮眠、星空の下での密やかな逢瀬などを繰り返しながら、彼らは3日がかりで宜賓に近づいていく。
5月23日(木)朝、宜賓の街は川霧と湯気に包まれている。路地には蒸し器の湯気と香辛料の匂いが立ちこめ、人々の声と食器の音が混ざり合う。ルイスたちが入った小さな食堂では、花椒をきかせたスープ、豆腐や青菜の炒め物、麺料理が次々と運ばれ、辛さと旨味、油のまろやかさが旅の疲れを溶かしていく。その後、給油を済ませたルイスは、飛行中に目にした茶畑が忘れられず、一行を連れて山の斜面の茶畑へ向かう。柔らかな緑の波の中で、ピンクの花柄の服と白い布をまとった女性が、新芽を手際よく摘み取っていく姿は、この土地に根ざした長い農業の伝統を体現している。茶の香り、土と葉の匂い、優しい陽光と風の肌触りを味わいながら、ルイスたちは戦場へ向かう途中にある「静かな日常」の一端を目に焼きつける。
同日の午前11時、宜賓を飛び立ったDC-2は、西昌方面の山岳地帯へ向かう。四川盆地の穏やかな平野が遠ざかり、代わって赤茶けた砂岩の柱や深い谷筋が続く地形が窓外に広がる。西昌近くの景観はとくに異様で、時間と風雨に削られた砂岩の柱が林立し、その頂にしがみつくように緑の植物が根を張っている。自然が長い年月をかけて彫り上げた巨大な彫刻のような光景は、ルイスに強い印象を残す。しかし、やがて西昌上空へ到達した一行は、地上で紅軍と国民党軍の激しい戦闘が続いている事実を知る。報告では紅軍はすでに大渡河へ向かったはずなのに、まだここで戦っている。ジェームズは「ここで紅軍と戦おう」と興奮気味に提案するが、ルイスは「ここは別動隊で、本隊は先に進んでいる」と判断し、瀘定橋へ直行する決断を下す。マーガレットは真っ先にこれを支持し、「私も機関銃を使う」と戦闘参加の意思を示す。ワインに溶かした新万金丹をルイスに飲ませる場面からは、戦友であり愛人でもある2人の濃密な関係が、周囲にとって「公然の秘密」となっていることがうかがえる。
2日後の5月26日(日)午後2時、ついにDC-2は瀘定橋手前の南側一帯に布陣する紅軍本隊を確認する。大渡河沿いの山肌には塹壕が縫うように掘られ、その中に紅軍兵士たちが身を潜めている。北側の瀘定の街からは国民党軍の砲撃が続いていたが、塹壕に潜り込む紅軍にはなかなか当たらず、やがて砲声が途絶える。砲弾が尽きれば、国民党守備兵はじわじわと押し潰されるだけである。状況が絶望的に傾きかけた瞬間、ルイスは飛行機を降ろせそうな小さな平地を見つけ、強行着陸を敢行する。その動きに合わせて、塹壕から瀘定橋へ突撃しようと紅軍兵が数十名飛び出すが、ルイスは機体の機銃から彼らの手前の地面に弾幕を浴びせ、土煙で進路を塞ぐ。紅軍は慌てて塹壕に引き返し、今度は飛行機に向けてライフル射撃を開始する。硝煙と土埃の匂いが入り混じる中、ルイスは瀘定橋を渡らせまいと照準を修正し続ける。こうして、「橋を渡ろうとする紅軍」と「どうしても渡らせたくないルイスたち」との、瀘定橋をめぐる本格的な攻防の幕が上がるのである。
―――――――――――――――――
※① 冒頭のヘクター邸の場面では、「テキサスの余りある原油」と「これから始まる戦争の燃料需要」が直結し、アンヘルの構想とマリア・ジョンの即応によって、ダラスの夜と太平洋戦線が一気につながる構図になっている。石油ビジネスの話が、そのままルイスの戦いの裏側を支える重要な要素として機能している点が分かりやすい。
※② 南京での蒋介石との面会では、大渡河・金沙江・瀘定橋・薛岳・毛沢東といった固有名詞を、「どこを押さえればどちらが有利になるのか」という形で整理しているため、読者は「瀘定橋を渡らせるかどうか」が勝敗を左右するポイントであることを素直に理解できる構成になっている。
※③ 南京から宜賓、西昌へ向かう空の旅は、単なる移動ではなく、中国の地形や気候を体感するパートとして描かれている。草地への着陸や簡素な機内食、星空の下の仮眠など、細かい場面が積み重ねられることで、「地図の上の線」だったルートが「身体で経験した道のり」として感じられるようになっている。
※④ 宜賓の四川料理と茶畑の描写は、戦場の直前に挟まれた短い「平和の時間」である。辛く芳ばしい朝食の味や、茶摘みの女性の手つき、土と葉の匂い、やわらかな光と風など、五感に訴える要素を通じて、「この土地にも、ここで暮らす人々の日常がある」という実感が生まれ、その後の瀘定橋での流血の予感をより強くしている。
※⑤ 西昌上空での判断と、瀘定橋手前での初戦闘は、本話のクライマックスである。ジェームズの「今ここで戦いたい」という衝動と、ルイスの「本隊を追うべきだ」という冷静な判断が対照的に描かれ、主人公としてのルイスの視野の広さが際立つ。また、マーガレットが積極的に戦闘参加を申し出ることで、「恋人」であると同時に「戦場の仲間」としての彼女の立ち位置も明確になり、次話以降の戦闘と人間関係の行方への期待を高めている。
※⑥ 全体として、本話は「テキサスの原油」「南京の作戦室」「四川の茶畑」「瀘定橋の塹壕」という、まったく性質の異なる4つの場面を1本の時間軸でつなぎ、ルイスの任務が世界規模の資源と戦略の流れの中にあることを示している。同時に、マーガレットとの関係が「公然の秘密」となるまで深まった状態で瀘定橋の戦いに突入していくため、軍事的な緊張と個人的な感情が、今後どう絡み合うかが大きな読みどころになっている。
―――――――――――――――――
地図です。
―――――――――――――――――
挿絵は、『紅軍の長征』です。
▶️
https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/822139840593318835挿絵は、『紅軍の長征出典』です。
▶️
https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/822139840593610438挿絵は、『瀘定橋』です。
▶️
https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/822139840593783568挿絵は、『瀘定橋出典』です。
▶️
https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/822139840593973156―――――――――――――――――