速読の話を思い返したのでここで。
そう若い頃は速読でどんどん読み進めていたのですよね。
と言うべきか…学生の頃から、読みながら頭の中で映像にする習慣が付いてしまっての速読でも有ります。
宮本輝はその速度でないと、関西弁のニュアンスは分からないし。
村上龍はどんどん捲らないと、その話を見失ってしまうし。
船戸与一は兎に角ページを捲らない事には、硝煙の香りが途切れるし。
隆慶一郎は早さあってこその、剣技の機微でも有り。
村上春樹は…まあ難関ですよね。その昔々に読んだ「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は奥田瑛二で映像化していましたけど、今だったら木村拓哉と多部未華子で読んでも面白いかもなとも。
と言う訳で、読み進める程に文庫本は映画尺で合ったり、ドラマ1シーズン尺でも有ります。
まあ、最近はあまり読み進めない向きですけど。或るカクヨム作家の書籍を買い読み進めたところ、文庫本=映画2時間尺ではなく、文庫本=短編30分尺だった訳です。
それは丹念過ぎる程の描写なのですが、映像にすると一瞬の出来事で終了してしまいます。大家文芸作品程その傾向なので、いざ本物の映像になると差異感が生まれてしまうのは止む無き事でしょうね。
その書籍は、最近では映像化の噂もあったそうですけど。事前シナリオのコンペ行う程に、作品として充当させる為にはシナリオ作家の創造を借りなくてはなりませんから、多分コンペに集まったシナリオ群はまるで違う作品になったのだろなと。ここ、そうだろうなと想像にかたくないですね。