こんにちは、埴輪です!
……というわけで、見終わりましたよ、「機動戦士Vガンダム」。
全51話って……最近のアニメじゃ考えられない長さですよね、マジで!
前評判はかねがね伺っておりましたが、それを遙かに越える内容であり、「おかしいのはカテジナさんだけではなかった」というのが、一番の収穫でした!
――そう、カテジナさんです。
見終わっての感想はカテジナさん一色になるだろうと確信していたのですが……最終話でその気持ちが萎えてしまったというか、清算されてしまったというか。
色々な解釈ができそうな最終話でしたが、私の考えでは、ウッソ達はエジェルハイロウの力で、戦争の記憶を失ってしまったのではないかと思います。
その象徴がカテジナさんで、帰るべき故郷があるウッソ達に対して、今は亡き故郷へと一人帰っていくカテジナさんの姿に、シャクティが涙するのも無理はないだろうなと思います。(ある意味では、スケーブゴートにされたわけですから……)
はてさて。
とにかく人が死ぬ……という前評判通り、シュラク隊はもちろん、リーンホースにジャンヌダルク……真のジンジャハナムは逃げだしたような気がするのに、いつの間にか死んだことになっているのが気になりましたが、視聴者が見ていないところで死んでいてもおかしくないのがガンダムであり、死ななくてもいい場面で死んでいくのもまた然り……ただ、終盤で一気に散っていく大人達の姿は、本作の核心ともいえて……つまり、本作は「世代交代」がテーマだったのだろうと思います。
世界を次の世代に渡そうとしない大人達と戦う手段として、子供達に与えられた力が「ガンダム」というモビルスーツなのだろうと思います。
これは「ガンダムシリーズ」(宇宙世紀)の根底にあるテーマではないかと思っていて、本物の戦争は大人の都合であり、女子供はその被害者でしかないところを、ガンダムという力を手にした女子供が、戦争の行方を決定する……その傾向が特に強かったのが、Vガンダムなのではないかと思います。
そんなガンダムの物語で一貫して描かれているのは、戦争の悲惨さです。
ガンダムの活躍はカッコいいですし、それが魅力の一つであることは疑いようもありませんが、その全てではないということは、エースパイロットとして大活躍しているウッソが、ちっとも嬉しそうではなという点に象徴されています。
倒すと言うことは殺すということ……それを意識しながらの戦いは本当に残酷なことで、実際の戦争でも相手が同じ人間だと思ってしまうと、理解してしまうと戦えないわけですから、ウッソの負担はどれほどのものだったか……いや、ウッソだけでなく、戦争に身を投じた全ての登場人物達が、悩み、葛藤し、恐怖し、少なからずおかしくなってしまったのも、戦争という特殊な状況があってこそです。
また、それとは対照的に、物語で描かれる明るい要素……ユーモアや恋は、戦争がなくても成り立つものであるという点を、忘れてはならないと思います。(それどころか、戦争がなければもっと楽しい展開になっていたはずです)
……誤解を恐れずに言えば、ガンダムは強い反戦の意味が込められた作品だろうと思いますし、Vガンダムは戦争を終わらせるというだけでは終わらずに、戦争を忘れたい、それをなかったことにしたいという強い願望が込められているように感じました。(だからこその最終話……だったのだろうと思います)
……と、延々語れてしまいそうなのでここまでにしますが、今回は真の近況ノートにも同じ内容を投稿しておきたいと思いますので、Vガンダムについて語りたい方がいらっしゃいましたら、ぜひそちらの方でよろしくお願い致します!
最後にごく個人的なことで恐縮ですが、なぜこの時期にVガンダムを見ようと思ったのか、他ならぬ私が疑問に思っていたのですが……見終わって納得しました。
というのも、上記で触れた「世代交代」というテーマは、私がかねがね書きたいと思っていたテーマの一つだったからです。
テーマとしては決して目新しいものではなく、すでにこうして素晴らしい作品も世に出ているわけですが、だからこそ、自分なりのアプローチで、「世代交代」の物語を書いてみたいという気持ちが強くなりました!
……実は数日前から色々とアイディアを考え始めてはいるので、そう遠くない未来に書き上げることができればと思います!
-追伸-
昨日の近況ノートで触れた電子書籍ですが、本日無事に更新を確認しました!