友人の新居祝いへ行った帰りの事だった。
山から沸き出る雲の隙間から、1文字5メートルはありそうな巨大な看板がこちらを見下ろしていた。
『ふれあい公園』
民家もまばらなこんな場所の、しかも雲が生まれる山頂付近に、家族連れが行きそうな公園が本当にあるのだろうか。
延々と続く山道に少しうんざりしていた私は、少しの息抜きにと車を路肩に寄せた。
ハザードをたき、早速ナビを立ち上げたものの、ふれあい公園の文字は無かった。
現在地からおおよその位置を確認してみると、看板のあたりまで一本道は繋がっているようだが、建物の表示も見当たらない。
先ほど通り過ぎた道の駅が表示されているため、ナビのバクでも無いようだ。
「行ってみるか」
声に出して言っていた。
普段なら絶対行かない場所だ。知らない道へ入って行く恐ろしさも、無駄なことをしている感覚も、すべて声に乗って消えてしまった。
ハンドルを切る。
じゃりじゃりと不穏な音を響かせて、車は進み始めた。
5分も経たずにナビが示した曲がり角へ到達した。
車2台やっとすれ違えるくらいの道が、緩やかな曲線を描きながら伸びている。
慎重に車を走らせる。すぐに地面からの振動が荒々しいものへと変容した。
辺りには薄っすらと霧がかかり始め、15時とまだ明るい時間帯ではあったものの視界は悪い。針葉樹林の黒い口が徐々にその大きさを増していった。
ばきりと枝を踏む音がした。
針葉樹林の口に飲まれてから、もう30分は走っている気がする。視界はほとんど白色で、ライトがなんとか落ち葉に覆われた道を拾い上げている状態だ。
ハンドルを握る手がしびれてきた。本当にこの先に何かあるのだろうか。
かなり進んだと思うが実際はどうか分からない。電波が届きにくいのか、ナビも空中を進んでいる状態だ。景色も似たり寄ったりで、もしかしたらほとんど進んでいないのかもしれない。
今更ながら不安が脳裏をよぎる。
狭い1本道。Uターンすることもできず、ここまで来たらバックで戻ることもできない。進むしかなかった。
さらに10分は走っただろうか。
突然、視界が明るくなった。木々が途切れ、車から伝わって来る振動も小さくなった。
『ようこそ ふれあい公園 へ』
鉄骨造のアーチの上に、赤、黄、青とカラフルな文字が見える。山奥と言うには不自然なほどキレイな看板だった。
車を停める。区画線ではなく細いロープで区切られているのは、地面がアスファルトではなく硬い砂状だからだろうか。
20台は停められそうな駐車場には、時間のせいか、天候のせいか、自分以外には1台も停まっていない。
アーチの麓に小さな庇を付けた窓が見えた。近づいてみると窓の横に小さく『受付』の看板がかかっている。
「ふれあい公園へようこそ。」
思わず肩が跳ねた。
窓の奥で、黒髪の女性がにこりと事務的な笑顔をこちらへ向けている。
「あ、えっと、ここって入れるんですかね。」
よく分からない質問をしてしまった。
「はい。入場料500円となります。」
あ、無料じゃないのか。そう思ったものの、ここまで来て引き返すのもな、と財布を引っ張り出す。
「こちら、入場チケットになります。紛失にご注意ください。」
女性はまた事務的に口角を上げた。
受け取ったチケットは、スマホ2つ分くらいの大きさがある。半分に折ろうとして裏側に変わった模様が描かれていることに気づいた。なにかの動物の様だが、特徴が曖昧でこれと特定できそうにない。
何匹か描かれている為、ここで触れ合える動物なのかもしれない。
なにと触れ合えるのか聞こうとして止めた。
入ったらマップくらいあるだろうし、もう夕方だ。閉園時間・・・・・・はどこにも書いていないが、普通に考えて遅くまでやっているとは思えない。急ぎ足で見て回るくらいでちょうどいいだろう。
礼だけ言って、アーチをくぐった。
きた。
きたね。
あたらしいにんげんだ。
いつぶりだ。
はじめてみた。
ちいさいね。
ね、さわってみる。
さわってみようよ。
言葉として聞き取れたのはこのあたりか。
アーチをくぐった先は、真っ白だった。
一瞬、霧が濃くなったのかと錯覚したが、すぐに違うと思いなおした。
霧の白さじゃない。ただただ白いとしか言いようがない。
その白の中から囁き声が聞こえてくる。
大人とも子どもとも言えない声が、四方八方から言葉を投げかけてくる。
ふわりと足元を何かが走った。
そわりと何かが背中を撫ぜた。
ぺたりと頬に何かが触れた。
考えるより先に身体が動いていた。
180度向きを変え、走り出す。
帰りたい!
そう思った瞬間、アーチの外にいた。
「あら、もうお帰りですか?」
受付からの問いかけを無視して車へと乗り込んだ。
混乱していたし、兎に角ここを離れたかった。
アクセルを踏むような運転は出来なかったが、体感として行きの半分ほどの時間だったと思う。
針葉樹林の道を抜けると、日は完全に沈んでいた。月明かりだけが辺りをぼんやりと照らしている。
ハイビームさえも頼りない道をアクセル全開で走り続けた。人のいない山道で良かったと思う。安全運転なんて余裕は無かった。
道の駅へ滑り込むようにして入ると、ちょうどシャッターを下ろしているところだった。エンジンも切らず、飛び降りてきた私に店員がぎょっとした表情を向けてくる。
「や、やま、山の・・・・・・」
呂律が回らない。
落ち着いてください、と座らされようやく、ひとつ大きな息を吐いた。
と、尻の辺りがかっと熱くなった。
飛び上がると同時にポケットの中のものを投げ捨てる。
アスファルトの上で、入場チケットが発光し、ぼっと燃え上がった。
青い炎を私はただ見つめることしかできなかった。
後で聞いた話によると、あの山の上にはもともと寺があり、人口の減少に伴い近くの寺と合併したらしい。
今はただの空き地となっており、地元の人間もあまり近づかないそうだ。
もちろん、ふれあい公園なんていうものは無く、あの後確認すると看板も消えていた。
あの場所にいた”なにか”の正体は今もまだ分からないままだ。