ボフ家は、将家としては比較的新しい家柄である。
現在のボフ家の領地は、約二百年前に確定したもので、それ以前はムーラン家という将家が支配していた。
当時のムーラン家の頭領は、アーロン・ムーランという男で、少しばかり血気盛んで、豪放磊落を自負する男だった。
そして、その時の女王は、少しばかり魔女寄りで、男性的な文化に嫌悪感を抱く、狭量な女だった。
王城で開催された夜会で、二人は口喧嘩になった。
伝承では、アーロン・ムーランは、その日たまたま呼ばれた吟遊詩人の歌謡を大層気に入り、大酒し我を失い、女王は彼の態度を諌めたが、その言葉も行き過ぎた侮辱であったという。
それから、二人は夜会の参加者が顔面を蒼白にするような口喧嘩を始めた。
当時の王家には、それを仲裁する立場の者もおらず、アーロン・ムーランは憤慨しながら北の自領へと帰っていった。
その後、女王はムーラン家に対して王の剣を差し向け、頭領を暗殺しようとした。
それが失敗すると、頭領は軍を起こし、南下し、近衛軍を撃破する。
電撃的な侵攻であったが、王城島を攻めあぐね、そこに時間を取られていると、いち早く反応したノザ家の軍が、峠を越えてやってきた。
ムーラン軍は近衛軍との戦いで消耗していたので、アーロン・ムーランは決戦を回避し、王鷲攻めを企てた。
王城を攻めとらんと鷲を飛ばしたが、王城島に大量の兵が篭り厳戒態勢を敷いている下では、成功する見込みはなかった。
結局失敗し、近衛軍に討ち取られる。
ムーラン家は取り潰しとなり、ノザ家はその功績で太星勲章を賜った。
ムーラン家は最後こそ舵取りを誤ったものの、領地では概ね善政を敷いており、名望も高かった。
戦に負けたといっても、それはあっという間の話で、領は少しも戦火に焼かれることがなかったので、ムーラン家を慕う住民の中には、王家を恨む者が大勢現れた。
様々なやり取りの結果、大功あったノザ家の者が、分家を立ててムーラン領を継ぐことになった。
その当主になったのは、当時のノザ家頭領の弟である。
ただし、ムーラン家の|末女《ばつじょ》と姻戚を結び、その血を絶やさぬようにすること、という条件がついた。
そうして新たに興ったのがボフ家であった。
ムーラン家の領地は、北と南に少しづつルベ家と王家天領に削り取られたが、大方はボフ家の領地として残る。
ただ、それがノザ家の利益になったのかというと、微妙なところであった。
ノザ家の間には、代々ボフ家を分家として見下す風潮が残り、三代の後にそれが爆発してしまう。
両家の間に深刻な対立が起き、関係が最悪になると、三代続いていた姻戚を結び合う風習も途絶し、両家はまったく別の家になった。
だが、現在では、それも昔のこととなっている。
