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 …………はっ! アカン、ぼーっとしてもうてたわ。

 本日『ヘブバン』の配信済みストーリーを最後まで進めてしまい、大号泣の後放心状態に陥っていました。泣きすぎで劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観た時と同じぐらい目が腫れてしまいました。エンドロールの後、放心して意味もなくいつもは手のつけないゲームの設定画面を開いて意味もなくカタカタカタカタと画面をクリックしている自分がいました。へへっ、こいつは効いたぜ。

 長編を書き始める前に『ヘブバン』のストーリーを観るかどうか迷っていたんですが、今観とかないと数ヶ月は先になると思ったので(というか観たかったので)、今日観てみました。この切なさを乗り越え、明日から長編の執筆を始めます。

 僕がこれから書く長編は、ストーリーに関してもキャラクターに関しても『ヘブバン』から多大な影響を受けています。『ヘブバン』よりは、もう少しポジティブになれる内容だと思いますけどね。

『ヘブバン』ってなんでこんなに泣けるのかと考えてみました。言うなれば、それまでの何気なく思っていた「大切な日常」が「戻らない日常」へと変わる切なさといいますか。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のシーンでもありましたが、会いたい、会いたい、どうしても会いたい、離れたくない、すぐそこにいるのに、だけど顔を合わせることのできない心の葛藤、みたいなもの。お互いがお互いを想っているからこそのその決断に、涙腺が崩壊します(そういえば僕が書いた『殺戮のダークファイア』でもそんなシーンがあった。僕はその時々に好きな作品の影響をよく受けるほうで、この時は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観たころでしたね)。

 僕はストーリーを作る際、初めに頭の中で印象的な絵(シーン)を描きます。『殺戮のダークファイア』であれば絶望と復讐に染まる感情と黒炎に飲み込まれる街の絵、『銀翼の絆』であれば流星の空を駆ける天馬の絵のように。そこから派生していって、少しずつ形になっていきます(というか、書きながら考えていきます)。『アカシャ・アニマ』では初めに雲より高い塔の頂上で無数の人間たちの歌声が聴こえました。
 同じように、『ヘブバン』のどのストーリーでも必ず印象的な絵(シーン)があります。目に焼きついて離れない、記憶の奥に刻まれるシーンですね。

 次の長編でも、今僕の中に一つの絵があります。夕暮れ時の海岸で、そこであることが発生します。さらにその後部屋に帰った後の絵もあって、そこが一つ目の話のラストシーンです。初めの3万~4万文字ぐらいでそこに到達する予定です。そこまで読んでもらえたら、きっと気に入ってもらえる作品になるんじゃないかと思っています。

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