作者は考えた、どうすればこの食育と正面から向き合ったエンタメライトノベルの面白さを、読者に伝えられるかと。

考えた末に思いついたのは、読者は普段どんな食事をしているのだろうか? という哲学的な問いかけだった。


エルフですが、九州でマタギ(?)やってます #エルマタ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886308265


先日完結した、このサバイバル小説では、ヒロインが必要に駆られ虫を食べたり鳥獣にトドメを刺したりする。

これは一見グロであったり、残酷なことに写るだろう。
できるならば、日常に生きる人間は知らなくてもいいことだ。

だが、ちょっとまってほしい。

読者のかたがピーマンを食べるとき、種を取らずに調理するだろうか?
魚の鱗も内臓もとらずに、焼いて食べるだろうか?
答えは、文明的に言えばNOだ。

つまり、文明とは、こと食事に限って言えば命と向き合ってきたことの積み重ねなのだ。

スーパーの特売で売っている豚肉も鶏肉も、回るお寿司のネタも、なんならカルボナーラの卵やチーズ、パセリに至ってだって、すべて命に端を発するものだ。

菜食主義だとしても、肉食主義だとしても、いわんやビタミン剤とプロテインだけで生きていたとしても、その源は生命を食っているということに他ならないのだ。
原料は同じだ、植物も生きている。

ならば、食事を題材に扱ったライトノベルとは、もっとも普遍的なテーマで描かれたエンターテインメントでなくてはならないと、作者は考えた。

命を奪っているから、楽しんではいけないなど本末転倒だ。
ひとは食事をすることに快楽を覚える。
三大欲求は、全て生きるために必要なことだからだ。

ゆえに、娯楽として扱う以上、食事シーンはとにかく美味しそうに書くことにした。
その前段階は、紙幅が許す限り事実に基づくようにした。
残酷さも、グロテスクも、食につながる大切な一部だからだ。

そうして出来上がったエンタメ作品。
それがエルマタだ。

読むだけで、命の距離を測り直すことができる。
数か所にわたって誇張した表現があるが、それもスパイスとしての誇張や誤った表現である。
必要なこととして、そうしたのだ。


楽しみながらこの作品を読んで、読み終えたとき、きっと読者の方はひとつの『答え』を得ていることだろう。

それをどう育むかは、あなたの手にゆだねたい。

こんなところで、宣伝と説明になっていないあらすじを終わろうと思う。


ここまで付き合ったのだ、ぜひ本編にも目を通してほしい。
間違いなく、最高峰の小説がここにある。