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2025年10月04日の近況報告 「強者への差別は差別ではない」論について

 沖縄タイムズの新聞記者「阿部 岳」の奴が
「『差別』とは、強い者から弱い者に向かうもの。日本最強の武力集団である自衛隊を『差別』することはできない」っていう「とんでもない暴論」を展開している。
 その論理が正しいのなら「核ミサイルという人類最強の破壊兵器を持つ『軍事力強者』のロシアや中国を差別する事は出来ない」となるのだが、それで良いわけがない。



https://x.com/takuramix/status/1971823687574999439

 Xの「タクラミックス」さんのポストを見れば分かる事だが「強者を差別する事は出来ない」のなら
「ワイマール共和国で台頭していた強者たるユダヤ人に対しては何をしても差別にならないという事になります。歴史はその通りに進み、ガス室への道はあなた方のような人々により舗装されました」
 っていう歴史の繰り返しになる。



 加えて「タクラミックス」さんの過去の話で「私は小学生の頃転校して成績が良かったのでいじめられた。成績強者の私はいじめられても仕方が無かったのでしょうか?」
 あるいは「いじめてきた相手=暴力強者に対して私は更なる暴力で反撃すればよかったのでしょうか?」
 そして「相手が強者だから弱者は強者に差別しても構わない世界に、平和が訪れるでしょうか?」とも言っている。



 冷静に考えてみれば「弱者は強者に何をやっても差別にはならない」のなら「自らの地位を弱者に置けば強者を好きなだけ攻撃する事が出来る」っていう悪夢の世界が現実のものになる。
 それに「強者」や「弱者」の順位や地位なんて光の当て方を変えればいくらでも変わるものだ。

 例えば「会社で営業成績1位の社員」は間違いなく「強者」だろうが、それは会社や仕事の中だけの話。
 家に帰って子育てする身になったら奥さんの尻に敷かれながら子育てする「弱者」かもしれない。



 こんな風に「強者」や「弱者」の定義も、定義の仕方でいくらでも変わるから「差別」は「強者相手だろうが弱者相手だろうが」してはいけない。
 というルールに行きつくはずなのだが「阿部 岳」の奴はそうでは無いらしい。ちなみに、この「弱者は強者に何をしても差別にはならない」という考えは「フェミニスト」の思想とピタリと合致する。

 フェミは草津温泉をセカンドレイプの街だと言った時も、あくまで自分達は草津に犯された被害者だという体を保ったままだ。
 だからこそフェミは「豚丼」なんだがその恥知らずな自分自身を顧みることはしないらしい。



 大体、「差別とは強い者から弱い者に向かうもの。弱者から強者への差別は差別じゃない」っていう暴論を支持すると
「私は強者に傷つけられた弱者です」って名乗り出れば強者側が滅ぶまで攻撃し続けることが許されるわけだ。

 そんな世界が平和になる日は来るのだろうか。誰もが不幸になる暴力と憎しみの連鎖で不毛な闘争にまみれた世界じゃないか、そんなの。
 真面目に言って「全ての弱者が、弱者であると同時にありとあらゆる強者として存在し、そして全ての弱者によって全ての強者が滅ぼされるまで闘争が終わらなくなる」んだが、それでいいのか?



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