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エア関東人

突然ですが、わたしは物心ついてからこっち関西を離れたことがありません。方言こそ喋れませんがバリバリの関西人です。

一方、最近書くものはだいたい関東――それも埼玉が舞台になることが多いです。なぜかって言うと、地元のことをよく知らないからです。土地柄を生かしたものを書こうと思ったらどうしても埼玉近郊になってしまいます。

そんなわけで関東の描写でデタラメなところがあったらごめんなさい。ついさっきも横須賀線を京浜東北線と書き間違えているのを発見して猛省したところです。

書き手がこんなことでいちいち断りを入れるのも変な話だと思います。それを言い出したら、ミステリ書きはみんな「人を殺したことがないので描写が間違ってたらごめんなさい」と詫びなければならないですし、SF書きは「宇宙人を見たことが(以下略)」と続くことになります。

じゃあ、なんでこんなことを書いてるんでしょうねえ????

自分でもわからなくなってきましたが、あえて問題提起すると、「地元のことを知ってる人間がどれだけいるか」ってことですよね。書き手はつい土地柄にネタを求めがちですが、それにコミットできるのって実は限られた人たちだけなんじゃないのっていつも思います。

これはローカルネタに限らずですね。リアリティを与えるための知識が、かえってリアルから遠ざけるものとして作用してるんじゃないかと。もちろん、「自分はインテリやプロフェッショナルしか書かないよ」と居直ることも可能なのですが、みながそう言い出したらフィクションの可能性はぐっと狭まってしまいます。知識を使うことには慎重でありたいものです。

1件のコメント

  • はじめまして、軒下さん。

    まさかコメントいただけるとは思いませんでした。自分以外にも地元のことを描かない方がいると知って少しほっとしました。

    新本格に関しては最初から「リアルに書こう」っていう書き手の方がむしろ少数派ではないでしょうか。執拗な自己言及も、そうでもしないと間が持たないからと考えれば納得がいきます。『密閉教室』のようにそうした自意識のありようを省みることで青春小説に昇華している例もありますし、己が貧しさに向き合う姿勢には共感します。

    つい強い言葉を使ってしまいましたが、名探偵には愛憎半ば、というのが正確なところで、メルカトル鮎みたいな突き抜けた居直り方は好きだったりします。どちらかというと、名探偵という装置を無邪気に信じる書き手の態度が好きになれないんです。早い話が、「もっと屈託を見せろ」と。
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