「しろぎつね」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887412425
重苦しい愛の残滓の物語、完結です。修論の提出を挟んだので長くかかってしまいました。
読み返した感じ、やっぱりあれですね、コンテキストの分量がすごい。これでもかというほど膨大なコンテキストが明言されることなく仄めかされているので、人間関係を整理するのも時系列を整理するのもとても大変。書いた自分でそう感じるのだから読んでいる人は気になり始めたらもっと大変なのでは。考えながら読むとすごく疲れるのでは。
でも短編ですし、その謎めかしいところが進行にもかかわってくるので明言するわけにもいかず、なんだか心苦しいですな。深く読み込まず展開と雰囲気だけ追う読み方ならまあそれでも、という気はするのですが。
というかこの作品の成り立ちに問題があるのかもしれません。もともとはもうひとつ対話型の作品を書いて、それとこの「しろぎつね」をくっつけて2章立ての1作品、あるいは一対の作品になるかな、と考えていたのです。で、結果的にその半分だけが「しろぎつね」としてここにある、と。
あるいは僕はこういう短編を長編の展開だけをぎゅっと押し込んだものとして書いているケがあるのでしょうか。ディテールとダイアローグに満ちた短編だって全然構わないはずなんですがね……。
以下解説・設定のお話なので多分にネタバレを含みます。
本編を読み終わってから読みましょう。
・「しろぎつね」の片割れ
まず上の段で言及したこの物語の本来の構成についてですね。これは〈漂白〉でちょっと触れられてますが、姉妹の姉の方と生前の狐のダイアローグのことです。2人は元々の知り合いじゃないわけですが、たまたま気づいてそこから長い話をする。狐は自分の愛についての考えの色々を姉に話すわけです。仮にそのダイアローグがこの「しろぎつね」の次の第2章として同じ書籍に載せられるなんてことになると、いかにして「しろぎつね」の状況に至ったかがまたなんとなくわかるというような具合になっただろうということです。
でも僕自身の考えの深さがどうも狐くんについていけないのと、物語としての面白みを出すのに大変苦労しそうだということで、アイデア段階で塩漬けになっておるわけですね。ええ。
・狐=セキヤマくんなのか?
ヒワと姉の話、境内のKEEP OUT、新聞記事からして、セキヤマくんが神社の境内で自殺し、長身の女(稲荷様)の力で一時的に魂を白狐の体に入れてもらったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
僕はそうだろうと思ってこの物語を書きましたし、便宜上そういうことにしてここでも話を進めていきたいんですが、でも本編中ではやはり明言はされていないのです。たぶん。
加えて、〈優しく絶望を与える〉で姉妹の妹の方はおそらくセキヤマくんの名刺を見つけ、新聞記事で彼の死を確かめるのだと思うのですが、それがセキヤマくんの名刺であるということも、それがセキヤマくんについての記事であるということもやはり明かされない。つまり狐=セキヤマくんであるとしても、妹が狐を別の誰かだと誤認している可能性もまた残るわけですね。だとしたら狐/セキヤマくんが不憫ですし、妹もかわいそうです。セキヤマくん以外にも彼女に執着している誰かがいる(いた)ということになるわけですから。
・姉のボーイフレンドと狐の対称性
姉のボーイフレンドが〈失われた愛〉で語る愛と、狐が〈漂白〉で語る愛が似ていることに気づくかもしれません。この両者は同一人物ではありえないわけですが、でも概念的には同じ人格であると解釈してもいいんじゃないかと僕は思っています。過去に一度誰かに渇愛を抱いた男であるという点が共通している。ボーイフレンドの方はそこから抜け出して次の渇愛に至ることができたが、狐の方はそこから抜け出せずに死に至った。似たような境遇にあり、似たような思想を持ちながら、2番目の愛の有無によって運命を分かたれた両者。
2人が似ていたから姉は〈失われた愛〉など所々で心を痛めていたのかもしれません。もし狐がボーイフレンドのようにもう一度誰かを愛することができれば幸せになれたのかもしれない。あるいはその相手が私であったなら、私が彼を救うことができたのかもしれない。でもそうした時、ボーイフレンドはどうなるのか。登場人物の中では稲荷様の次くらいに多くを知っている姉ですが、彼女なりにそういった葛藤を抱えていたのだと思います。
ついでに言ってしまえば、姉は狐=セキヤマくんにもかなり早い段階で気づいているはずなので、狐の肩を持つのか、それとも妹を守るのか、かなり悩んだのではないかと察します。
そのへんも仄めかせることができてたらいいな。
何か追加で書きたくなることが出てくるかもしれませんが、とりあえずこのくらいにして大相撲を見にいきます。
……というのを16時に投稿して23時に戻ってきたわけですがひとつ思い出しました。
(こういう全然無関係な状況で話題が途切れるのサリンジャーの「シーモア・序章」みたいで好き。)
・この作品のモチーフについて
狐をキツネではなく人間に置き替えて想像してもらうといいと思うのですが、駅から追ってくるとか完全にストーカーです。この作品はストーカーをモチーフにしているわけです。動物に代役を務めてもらうことでそのあたりをマイルドにしている。ただキツネであることによって、つまりエキノコックスの危惧を扱うことによってその穢らわしさは残しているわけです。
(いや、僕がお稲荷様好きだからキツネになってるだけなんですが、結果としてそういうふうに物語上機能していると)
むろんこの作品はストーカーを称揚する立場にはありません。それは〈優しく絶望を与える〉の姉のセリフに表れている。
「ねえ、もし手を尽くして説明しても絶望を与えられなかったら?」と訊いた妹に対して、「それはもう人ではないよ」と答える。
セキヤマくんが狐になったという意味に取ることもできますが、これは掛詞のようなもので、もし丁寧に伝えた自分の意思に反して相手がそれでも近づいてくるなら、それはもう意思疎通の可能な相手ではない、何らかの実力行使に出なければならない、というニュアンスも含んでいるわけです。
つまり、この作品は全編にわたってストーカーの心性に寄り添って一定の理解を示しているわけですが、かといってその行為を肯定しているわけではない。
これは改めて主張しておきたいところです。
・キャッチフレーズ
掛詞で思い出しました。
「モテる人にはきっと愛されない短編」というふうにしましたが、これも内容的な意味とメタ的な意味の2通りに取ることができて、前者的には狐が妹に愛されないということを言っているし、後者的にはモテる読者はストーカーの話など読みたくないだろうということを言っています。
・狐とキツネ
これはあえて説明するまでもないような気がするのですが、重要なのでついでに言及しておきます。「狐」は固有名詞、「キツネ」は生き物を指す時に使っています。あるいは概念と実在?
英訳するとしたら「狐」は"Fox",「キツネ」は"fox"になるやつです。
つまり狐の体はキツネなのです。(わかりづらい?)
こんなところで!