六畳ひとまが反戦をテーマにする時、いつも自戒することがあります。
 以前にある先生に「人を英雄的に死なせることは反戦ではなく、むしろ戦争賛美である」と言われたことです。
 例えば仲間を逃がすために囮になる、大切な人を守るために敵に特攻する、これらはシチュエーションとしては熱いシーンですが、要は御国のためにという名目で死んでいった、かつての特攻隊と図式は同じというわけです。
 特攻隊は今でこそ悲劇的に語られることも多くなってきましたが、その存在に美しさ、気高さ、尊厳や畏敬を感じずにはいられません。「死んでも英霊になって見守り続ける」なんてフレーズも、心を揺さぶられます。
 しかし反戦をテーマとした場合、死の扱い方によっては全く真逆になってしまうかも知れないんですね。

 かつてまだテレビの表現の規制が緩かった時代では、子供向け番組でもけっこう死が描写させていました。戦隊ものの始祖ゴレンジャーの黄レンジャーが殉職したのは有名ですし、アニメのゲッターロボの最終回でムサシが敵の本拠地に特攻しますが、最後まで「死にたくない!」と叫んでいたのに恐ろしさを感じました。
 最終回で敵の罠に嵌まった主人公が銃殺されるとか、かつての仲間が処刑されるとか、けっこうエグイ描かれ方をしている作品もありました。もちろんこれらは単にそのシーンだけがエグイのではなく、それまでの物語の経緯があり、ちゃんとキャラが描かれてこそのエグさでした。

 ガンダムの富野由悠季監督はかつて『皆殺しの富野』と異名を持つほど、人の死に対して容赦しませんでした。六畳ひとまの覚えている限りでは、彼の作品内で英雄的に死んだキャラはほとんどいなかったはず。大抵は突発的か凄惨な死で、それでも印象を深くするため、前振りを幾つか設けるなど、さすがでした。

 カクヨムでは未だに異世界ファンタジーが全盛、しかも実にゲーム的な世界で、普通の高校生のはずが転生(転移)した途端、敵とみなしたものを人間、魔物関係なく躊躇なく殺しまくり、悔恨の念を抱くことはおろか、むしろそれに悦びを感じているような主人公をいくつも見つけました。さらにそれらは作品内では賛美され英雄的に語られます。つまり敵は倒すためだけに存在し、必要なのはその数や強さ(あとネームバリュー)だけなのです。
 これらはテーマが違うし、作品として求めているものも、求められているものも違うので、特に突っ込んだりはしませんし、破壊と殺戮を求める読者層(というと語弊がありますが、要するにゲームみたいに敵を何体倒したか、どれだけレベルアップしたか)には『讐撃の機攻少女隊』はすこぶる評判は悪いでしょうが(というかそもそも読まれない)、それらと差別化する意味でも『反戦』というテーマを元に、六畳ひとまとして色々とこだわった作品として形に出来ればと思っています。