☆ネタバレありです
今回、少し前に散々騒いでいた「十右衛門から鳴海へのお手紙」を含めた、(9)を公開しています。
これは、実は全文私が自力で作文したもので、結構作るのに苦労しました^^;
ご覧のように、句読点が一切ない、「マルハラスメントも真っ青」の文章です(笑)。
多分、公式文書に句読点が登場したのは明治以降だと思うので……。
あと、さり気なく濁点も意図的に外してあります。これも、多分つくのは明治以降。
こんなわけで、江戸以前の文書は恐らく「句読点なし」「濁点なし」で、読解するには、読み手側もそれなりの国語力&教養が必要だと感じる次第です(苦笑)。
また、漢数字も当時の表記を取り入れました。廿日は「二十日」のことで、このお手紙は十月二十日(現代の暦だと11月20~30日頃になります)に書かれた設定。
手順としては、
①現代の言葉で、手紙の内容を書き出す
②専用ルーズリーフ(コクヨの文系用ノート)に、ちょっと漢文っぽい下書きを作る
③手元にある各種史料(福島県史や守山藩年中日記など)と照らし合わせながら、微調整。
という感じでしょうか。
②の段階ではあった「御座候」の言葉も、後で調べて、「最上級の敬語表記っぽい」と知ったために、同僚扱いということで、もう少しフランクな「候」に留めるなど、調整しています。
そして、やはり難しいのが「敬語」表記。普通の古典の問題でも苦労するところですが、私も細かいところまでは正直覚えていないので、「なんとなく」で作ってあります。
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とはいえ、何気に「八月十八日の政変」の後の洛中の世相をしっかり書き込み、「壬生浪士組(=新選組)」も話題にしているなど、自分ではわりと良く出来ていると自負しているんですよ(笑)。
さて、この手のお手紙はあともう1度登場する予定です。
もうしばらく先になると思いますが、そのときに、十右衛門の目に京都はどのように映ったのか。
お楽しみ下さいませ!