何か、意外と二本松藩に興味を持ってくださっている方が多いようなので、私が持つ「鳴海」のイメージについて語ってみようと思います。
鳴海の性格というと、「勇猛果敢」なところがクローズアップされがちだと思うんですよね。
まあ、番頭を務めた人ですし、番頭は「武官」なのでそうなるのも無理はないのですが……。
ただし、意外と見落とされるのが「番頭→家老」の出世コースです。
ぶっちゃけて言えば、大身の家の子息は皆エリートコースで、大谷家本家・彦十郎家は時代によっては「家老」も務めていた家柄です。
家老という役職は、武官も行政官も両方束ねるので、単に家柄だけいいアホでは務まらないのでは……というのが、私の見解。
そして、鳴海をクレバーと思ったのは、幕末の戊辰戦争のときの彼の判断です。
紺野庫治先生なども触れていますが、いよいよ二本松藩に敵が迫ったときに、「会津との連携」を意識していたのは、彼くらいなんですよね。
この辺り、割と状況を冷静に分析して次の一手を考える「冷静な武官」というイメージがあります。
さらに、明治に入ってからは二本松一区の「戸長」も務めました。
明治はあまり詳しくないのですが、わざわざ選出される辺り、「行政官」としても民から慕われていたのかなあ……なんて、私は感じています。
「武官」としてだけの人物であれば、行政の長には選出されなかったでしょう。
一歩間違えば、脳筋……失礼、武力だけの人だと色々と危なっかしいですし^^;
そんなわけで、決して「武」だけのイケイケではない鳴海を、作り上げている真っ最中というわけです。
経済論などは、私にとっても難しいですけれどね(苦笑)。