人生には必ず困難な時が訪れます。
自らが原因で招くこともあれば、
不可抗力や運命に導かれる場合もあります。
主人公「ベンタこと東弁太一(とうべんたかかず)」と、
もう一人の主人公、「分銅海斗(ぶんどうかいと)」。
親を失うという自分の力ではどうする事も出来ない人生の困難に、
「ベンタ」と「海斗」は遭遇します。
『自分の力で、自分の人生を切り開きたい』、
プロボクシングに人生をかける決心をします。
入門から半年、村木コーチの厳しい言葉に反発し、
練習を勝手に変更してジムを飛び出したベンタ。
海斗はベンタを追いかけ、公園にいるベンタを見つけました。
ベンタは、海斗も自分と同じようにつらい思い出や境遇、先の見えない不安と戦っていることを知ります。
長いランニングから帰ってきたベンタと海斗に、村木が次の段階に入ることを告げます。プロボクサーになるための新人テストです。
合格に向けて、猛特訓が始まります。準備万端、ついにプロテスト当日を迎えます。(ここまで第一章・第二章) ここからの続き……。
お待たせしました。いよいよ、第三章のはじまりです・・・!
ここから以下は、公開中の、
「ベンタ」第三章 本文でお楽しみください。
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【闘いの始まり(二〇二四年・二五年 ベンタと海斗 十六歳―十七歳)】
< 第15話 3-3 二人の戦いのはじまり。=プロテストから半年後= >
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八月に入り、シャツ一枚でも汗が噴き出るほど気温が高くなってきた。
猛暑ではなく、まさに酷暑といった方がいいほどであった。
ここ数年の日本の暑さは異常だった。
ベンタと海斗は、ジムの応接室の椅子に座っていた。
部屋の中には大きな飾り戸棚があり、中には現役時代獲得した大小様々なトロフィーや、記念の盾があった。壁には数々の戦歴と栄誉を讃えた表彰状や、阪神淡路大震災、そして東日本大震災等でのボランティア活動に対する感謝状が飾られていた。
海斗が徳川ジムの現役ボクサー、現OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン田上瞬と出会い、高校進学を諦めて東京でプロボクサーを目指すきっかけになったのも、ジム会長の徳川が率先して行った東日本大震災後のボランティア活動でのことだった。
ベンタと海斗は、マネージャーの田口に、練習の後応接室に来るように呼ばれたのだった。
部屋のテレビには、日本人同士で行われた世界タイトルマッチ史上最高の試合と云われ、高視聴率をマークした、永遠のチャンピオン大場政夫対花形進という、昭和の天才ボクサー二人が十五回フルセットの末、二―〇の判定で大場の勝ちとなった名勝負のVTRが映し出されていた。
ベンタと海斗の目の前には、徳川会長と田口マネージャー、村木トレーナーがいた。
思えば今年二月にプロテストを受けて合格し、三月に待ちに待ったプロライセンスが二人の元に届いていた。初めて見るプロボクサーC級のライセンスカードに感激して、余韻に浸りながら徳川ジムのみんなにお祝いをしてもらったのが、昨日の事のように思い出された。
それから約半年の月日が流れていた。
「二人に来てもらったのは、他でもない。待ちに待ったデビュー戦が決まった。と云ってもおまえたちのプロとしてのスタートは正式には十七歳を過ぎてから始まる」
ベンタと海斗は突然の報告に、驚きと同時に喜びとも戸惑いとも取れる複雑な表情を浮かべた。
田口マネージャーが手に持っていた資料をベンタと海斗、それぞれに手渡した。
「これが海斗の相手で、こっちがベンタの相手のプロフィールだ」
村木トレーナーが説明を始めた。
「海斗の相手は青田ジムの牧田浩一。高校時代はアマで活躍して一度ボクシングを離れて社会人になったが、奮起して一昨年デビューを果たした遅咲きの二十四歳の選手」
村木が海斗を見ながら続けた。
「元々はライト級の選手だが減量がきつくなって階級を一つ上げてデビューしてきた」
村木が資料に目をやった。
「スーパーライト級での戦績は二勝〇敗一引き分けで二勝はすべてKO勝ちのファイタータイプだ。この選手も将来必ず上に上がっていくだろうと期待されている」
海斗は黙って聞いていた。
「拳の怪我からの復帰戦という事でデビュー戦の海斗の試合を受けてくれたが、何しろアマの経験者でテクニックがあって、試合運びが上手いからかなり手ごわいぞ」
田口が海斗に向かって、試合予定を伝えた。
「試合は二ヶ月後だ」
田口が海斗とベントの両方の顔を見ながら続けた。
「そしてベンタの相手は竹中ジムの大田聡」
田口が資料を見ながら話を続けた。
「ミドル級の戦績は三勝0敗、但し前回判定勝ちで勝った試合で、右手の肘と肩、さらにその後練習中に拳を痛めて治療中だ。完治までかなり時間がかかる状況だと連絡が入ったから、それまでしばらくの間待ってほしいという話だ」
田口がベンタの表情を見た。
「他のジムも当たってはみるが、何しろスーパーウェルター級以上の選手を探すのは国内ではなかなか難しいんだ」
徳川も『そうだな』という顔をしながらうなずいた。
「取り敢えず試合が出来るまで半年以上かかると思って連絡を待とう」
田口がベンタの顔色を観ながら諭すように説明をした。ベンタは落ち着いて聞いていた。
「わかりました。逆にその分練習出来ます」
ベンタがはっきりと自分の考えを伝えた。
「試合が決まったら、頑張ります」
ベンタが少し高揚した表情で元気よく田口に答えた。
腕組みをしていた村木が微笑みながらうなずいた。
十五歳でジムに入門した頃の遠慮がちな曖昧さが消えて無くなっていた。
一年半に及ぶ節制と自己管理。アルバイトとはいえ仕事を全うする責任感と自信が、一人の少年の心をこれ程までに鍛え成長させたことに、徳川と田口、そして村木も驚きの表情を隠せなかった。
そしてプロボクサーとしての自覚が滲み出てきたベンタにはもう何も心配はいらなかった。
「そうだ! ベンタ、その意気だ」
田口が頼もしそうにベンタを観た。
海斗は静かに二人のやり取りを聴いていた。
「海斗は相手を想定して練習するぞ、臨戦態勢だ」
徳川が、ベンタと海斗に向かって気合を入れた。
「ここから人生をかけた本当のプロの戦いが始まる。二人とも頑張れ!」
村木が二人を見ながらゆっくりとした口調で話し始めた。
「海斗、ベンタ、良く聴いてくれ」
村木が普段とは違う神妙な面持ちで話を続けた。
「おまえたちはまだ十六歳だ。普通なら大人の世界とはあまり関わることはない。しかしプロの世界では年齢は関係ない。強いものが勝つ。体力と技術と反射神経と身体能力、より優れた者が上に登った行く。正に下剋上だ。そして頂点に立つ事ができた勝者だけが、【ビッグマネー】を稼ぐことが出来る」
村木が一呼吸おいた。
「プロスポーツとはそういう世界だ。特にボクシングはそれが顕著で、強者と弱者がはっきりとしている。但し同時に最も危険な格闘技でもある。お前たちは体が完成されていない年齢だ。いくら体を絞ってもまだまだ体が大きくなる可能性がある。だから階級もそれに合わせて上げざる負えないだろう」
全員が村木の話を静かに聞いていた。
「ファイティング原田さんやガッツ石松さんの時代なら階級が少なかったため、無理を承知で十五キロ以上の減量をせざるを得なかったが、現在は認定団体の数や階級が増えて、長く防衛をした場合はスーパーチャンピオンという認定制度も出来ている。一つの階級に一人のチャンピオンという時代でもなくなった。複数のチャンピオンが存在していい時代だ。頑張り続ければチャンピオンになれるチャンスは必ずある」
村木がベンタと海斗の二人の顔を見た。
「体力がないとラウンド毎に体のキレが悪くなって結局技術を活かす事が出来なくなる。基礎体力がついてきた今だからこそ大切なのは、【相手のパンチをもらわない技術】、そして【強いパンチを打つための持久力】を体に叩き込む事だ」
田口がベンタと海斗を見た。
「お前たち二人はこの一年半すべてを懸けて真摯にボクシングに取り組んできた。そばで見てきた俺たちが一番よく分かっている。すべてを捨てて、本気で努力をした者だけが成し遂げられる、特別な世界を俺たちに見せてくれ。わかったか?」
「はい!」
二人の声が一つに聞こえた。この一言で十分だった。
二人は瞬きもせず真剣な眼差しで村木を見た。
その純粋な情熱の力(パワー)に、周りに居た者が一瞬言葉を失うほどのオーラを感じるほどであった。
いま目の前にいるこの二人が、日本ボクシング史上、過去誰も見たことがない、そして誰も成し遂げたことがない、とてつもないプロボクサーになるような予感がした。
まるで地底のマグマが噴火する場所を探して猛烈なエネルギーを蓄えているかのような、ボクシングという世界の地殻変動が、この二人によって近未来に起きる予感を、その場に居合わせた徳川、田口、村木の三人が同時に感じて、身震いをしながら顔を見合わせた。
日本プロボクシング史上一度も実現された事がなかった夢のような出来事が、この日から数年先に待ち構えていようとは、徳川ジムのこの場に居た誰一人知る由もなかった。
さっきまで数十人の練習生がいたはずのジムの練習場は、まるで格闘技の宴の後のように今はひっそりと静まり返っていた。事務所の壁に掛けてある昭和のいつの年代のものか、大きな古時計の振り子の音だけが徳川万世のボクシング人生を称えているように聞こえていた。
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第三章に突入しました 。
大場政夫対花形進という、昭和の天才ボクサー二人の意地をかけた、
タイトル試合のビデオが流れるシーン、
二人のデビュー戦の相手が発表されるお話、
いかがでしたでしょうか?
次回をお楽しみに・・・。
生活や人生が思うようにいかなくて苦しい時、つらい時、どん底だと感じるとき、人は現実とどう向き合えばいいのでしょうか?
どう立ち直ればいいのでしょうか?
野﨑博之(のさきひろし)の「呼び止めざる事の為に」の本の中に、
阪神淡路大震災に寄せた、「道標」という作品が所収されています。
この「ベンタ」という小説に、「道標」作品の思いが込められています。
「テイルズ」で連載中、【ベンタ】前編 をお楽しみください!
次回以降も、現在「テイルズ」で公開されている、
「ベンタ」【前編】 『 序章 ~ 第三章 』 に散りばめられた、
『エピソードの数々』を、
少しづつ紐解いていきます。
おたのしみに・・・。
野﨑博之(のさきひろし)
