人生には必ず困難な時が訪れます。
自らが原因で招くこともあれば、
不可抗力や運命に導かれる場合もあります。
主人公「ベンタこと東弁太一(とうべんたかかず)」と、
もう一人の主人公、「分銅海斗(ぶんどうかいと)」。
親を失うという自分の力ではどうする事も出来ない人生の困難に、
「ベンタ」と「海斗」は遭遇します。
『自分の力で、自分の人生を切り開きたい』、
プロボクシングに人生をかける決心をします。
入門から半年、
村木コーチの厳しい言葉に反発し、
練習を勝手に変更してジムを飛び出したベンタ。
海斗はベンタを追いかけ、公園にいるベンタを見つけました。
ベンタは、海斗も自分と同じようにつらい思い出や境遇、先の見えない不安と戦っていることを知ります。
(ここまで第一章)ここからの続き……。
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前回のつづき、
<プロテスト前日 海斗のバイト先の話>
「おはようございます」
いつものように元気よく挨拶をしながら、海斗が「お食事処ごんべい」のお店の中に入ってきました。
「おお、お早う」
権田坂が海斗に声をかけた。
「海斗君、お早う」
女将さんが笑顔で海斗の方をみます。
海斗の仕事は、毎朝お店の掃除と仕込みの手伝いから始まり、
朝八時から夕方近くまで途中休憩を挟みながら、昼前の午前十一時の開店時間に合わせて様々な準備をしていきます。
プロボクサーの体づくりを熟知している店主の権田坂とおかみさんは、まだまだ体が大きくなる可能性が有り、将来減量に苦しまないようにと体脂肪を増やさない献立を心がけて滋養と栄養がある特別メニューを海斗のために毎日用意しています。
権田坂は自分は引退してプロボクシングの世界から身を引いた人間であるという気持ちと、海斗の師匠は親友の徳川万世である、という配慮から、ボクシングに関して下手に口を出してはいけないと考え、海斗から求められない限りアドバイスをしようとはしませんでした。
海斗がどれだけ過酷な練習を毎日積み上げているかは、体脂肪の無い筋肉質の体つきを見ればすぐに理解できました。
明日、新人プロテストを受けることは知っていましたが、敢えてそのことには触れないようにとの気遣いを、海斗は痛いほど感じていました。
約一年ほど前から海斗が働いてくれるようになったおかげで、二人の体の負担もかなり軽減され、海斗を見守るという親のような責任感のモチベーションが、二人にとってお店を続けられる原動力にもなっていました。
暫くするとおなじみの常連さんが一人はいってきます。
近所でパン工房の店を開いている【松下幸介】でした。
年齢は四十代半ばで、筋金入りのパン職人で、
松戸市以外も含めて数店舗を奥さんと共同で経営していました。
パン工房は松戸の本店以外、ショッピングセンター等にテナント出店していて、奥さんと分担して他のお店を巡回していました。
子供は娘が二人。まだ中学三年生と一年生で、二人とも陸上部で活躍。
三年生の姉が短距離、一年生の妹が中長距離選手でした。
松下が巡回しない日は、週に一、二度「ごんべい」で昼食をとる事を習慣にしていました。出来上がったばかりの新作のパンを抱えながら、いつも暖簾がかかる前にお店に一番乗りで入って来て、権田坂やおかみさんとゆっくり雑談をしながら食べる事を楽しみにしていました。
町内の商店街で役員と同時に徳川ジム後援会のメンバーでもあり、とことん面倒見のいい器の大きな人物でした。
「こんちはっ!」
松下が一番乗りを確認して満足そうに笑顔で入ってきました。
「あら、いらっしゃい」
「おお、松ちゃん、いらっしゃい!」
実松がいつもより少しぎこちなく、
「いらっしゃいませ!」
海斗も顔を出します。
「今日も一番乗りですねっ!」
海斗が松下に声をかけます。
「アハハ! 海斗君、分かってるねぇ。確か明日だったっけ、プロテストは?」
実松が右手の人差し指を立てて口に押し当てながら松下に、
「しー」
と合図。
「あっ、そうだったのか!」
「こりぁまずいこと云っちゃったみたいだ」
おかみさんも、
「あれまあ」
という顔をします。
「気にかけてもらってすみません。明日がプロテストです」
「東京の後楽園ホールというところでやります」
「初めて行くんで楽しみです」
海斗が松下さんに明るく笑顔で答えます。
「ベンタと二人で受けるんで心強いです。それに田口さんが付き添ってくれます」
実松とおかみさんがようやく安堵します。
「そりぁ良かったよ」
「その顔なら絶体大丈夫、合格間違いなしだ!」
「当ったり前だよ。なあ?」
「ええ、絶対大丈夫ですよ。ねえ?」
「この前も徳ちゃん(徳川ジム会長)やマネージャーのたぐっちゃん(田口)が来て、二人ともいつデビューしてもいいくらいだって言ってたんだから、心配いらないさ」
「海斗君なら心配ないさ。この体つきを見たって相当なもんだ」
「ねえ、おかみさん?」
「初めてうちに来てくれた時より、一年でこんなに大きくなってるんだから!」
「ねえ、あんた?」
「東弁君(ベンタのこと)といい、十六歳でこれだけの体格のボクサーは、そうそういるもんじゃないよ。ねえ大将?」
松下が権田坂の顔をのぞきこみます。
「ああ、俺だって、この若さでこんな体格のボクサーなんか今まで見たこたもねぇさ」
松下も若い頃からボクシングが大好きでした。
「そうか、東弁君(ベンタのこと)と一緒に受けるのか?」
「二人とも楽しみだねえ、大将?」
表には出さないが、喜びながらも心配で仕方がない実松の気持ちを松下は見抜いていた。
「技術、体力、パンチの強さ、そして最後は〝気持ち〟なんだよ」
実松の元ボクサーとしての気の強さと情熱が、海斗に伝わります。
「〝気持ち〟が強くなかったら上には上がれねぇ。大事なのはそれだけさ!」
実松が海斗の方を見ながら、右手の拳を握って見せます。
海斗がそれを見て頷きます。
次の客が入ってくるまで、松下を中心に四人の明るくてあたたかな時間が流れました。
海斗は会うたびに励ましてくれる〝松下さん〟と、親代わりになってくれている〝大将(権田坂実松)とおかみさん〟。
自分の事をこんなにも心配して見守ってくれている人に囲まれながら、ボクシング生活をさせてもらっている幸せに胸が熱くなります。
「必ず答えてみせるぞ!」
自分の身体(からだ)の隅々に力が漲(みなぎ)ってくるのを海斗は強く感じます。
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次回は、プロテスト前日 ベンタのバイト先の話です。
第三章まで、まだまだ続きます。
生活や人生が思うようにいかなくて苦しい時、つらい時、どん底だと感じるとき、人は現実とどう向き合えばいいのでしょうか?
どう立ち直ればいいのでしょうか?
野﨑博之(のさきひろし)の「呼び止めざる事の為に」の本の中に、
阪神淡路大震災に寄せた、「道標」という作品が所収されています。
この「ベンタ」という小説に、「道標」作品の思いが込められています。
連載中、【ベンタ】第二章 をお楽しみください!
次回以降も、現在公開されている、
「ベンタ」【前編】 『 序章 ~ 第三章 』 に散りばめられた、
『エピソードの数々』を、
少しづつ紐解いていきます。
おたのしみに・・・。
野﨑博之(のさきひろし)
