私は書く時にはわりと勢いでザーッと書いてしまうので、推敲作業が欠かせないのですが、この推敲作業でよくお世話になるのが辞書です。
最近はいいですね。
WEBで調べたら、無料でたいがいのことが調べられます。昔は類語辞典と広辞苑を隣に置いてやってましたが、もはや隔世の感です。
こういうこと言ってるから、相当な年寄りに間違えられるのでしょう…。ま、それはそれとして。
この文章書きをやってると、つくづく言葉というのは生きているなぁ…と思います。これは最近の流行語なんてものが、たいがいの場合は三年みないうちに廃れるのを見ても感じるのですが、厄介なのが徐々に人々の間で変化していく言葉です。
特に、私の作品においてはよく使うものに『憮然』という単語があります。
皆様、この単語を読んだときの印象…例えば「オヅマは憮然とした顔になった」といった場合、どういう顔を思い浮かべますか?
私としては、この時思い浮かべているのはちょっとムッとしたような、怒ったような顔なのです。けれど、元々の意味は違うのですよねぇ。
元々は「失望し、がっかりするさま」「意外なことに驚くさま」。
しかし私が学生時分に読んだ本でも「怒った、腹を立てた」という意味合いで使用されていたのです。既にその頃には『憮然』の意味は本来からは変化していたように思います。近来の一番古い例で言うなら夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に、それらしい描写が見て取れますし。
文化庁が実施したH19の国語調査では「腹を立てている様子」で認識している人が70.8%。しかし、その後のH30の国語調査では56.7%とあるので、徐々に変化していっているのか…? 表現する側としては迷うところです。
同じようなのに『噴飯もの』というのもあります。
これもどちらかというと怒ったような表現使用されることが多いような気がするのですが、本来の意味では「おかしくてたまらないこと」。
けれど既にH24の国語調査では「腹立たしくて仕方ないこと」という意味合いで捉えている人の方が多いというデータが出ています。
こんな末端の物書きですらも困っているわけですから、日々、校正されている方々なんぞはさぞや大変だろうなぁと思います。
こういうのを目の当たりにすると、つくづく言葉というのは生き物だな…と思います。
こういう言葉の変化というのは、最近のことばかりではありません。
平安時代において『をかし』というのは、もともとは「趣がある」「美しい」「すばらしい」という意味であったのが、時代を下って今昔物語の頃になると「滑稽だ」という意味を持つようになるわけですから。
厄介ですが、言葉というのが人の間で絶えず使用されているからこそ起きるこの現象に、ちょっとした愛しさも感じます。
最近は辞書を読まなくなってしまいましたが…まだ持ってる十年以上前の辞書と、今の辞書を比べたらどれくらい変化が起きているのでしょうか。暇なときに探ってみたくなりますね。
読書の秋、ということでちょっと知的になっちまった………