• 現代ドラマ
  • ラブコメ

いっぱいあってな(土下座)(またかよ)

おはよーございます、八壁ゆかりです。まだ生きてます。

前回のノートに、新作は「砂になる」というタイトルの連載だと予告いたしましたが、色々と状況が変わり、とりあえず「砂になる」は今は書かないというか「書けない」ことになってしまいました。

私には小説の師匠が二人いたのですが、結果的に自死した一人目の師匠は、こう言っていました。

「ノート一冊、設定で埋めてから書け」

私は16歳でこの教えを受け、19歳まで従いました。が、その後はある程度設定や物語の骨組みが「見える」と、無駄に試し書きをしたり、勢いで押し通したりして、結局整合性がとれなくなったりバランスが悪いものができたりと、極めて幼稚なことを繰り返しておりました。

正直な心境を書きます。
現在、これまでに試したことのない手法で新しい小説を進めています。同時に最初の師匠の指示、つまり「ノート一冊ネタで埋めてから書く」という初心に立ち返っており、要するに設定厨と化しています。来年3月末までに書き上げられればラッキーかな、くらいの気楽さで。
そして、この小説はカクヨムにはアップしません。

しかし、ここから先は私の非常に幼稚な側面が炸裂しているんですが、カクヨムでマイペースな連載も書きたいとも思っているのです。
何故か。単純です。

徹底的に自分の小説世界に没入して書く上記新作執筆作業は、楽しいけど自分との戦い、孤独の極みでもあります。
ですから、ゆるゆる連載を同時進行すれば、皆さまの♡やご感想、リアクションが(もしあればですが)、私のエネルギーになるんです。モチベーションや気力ではなく、単純にエネルギーです。

「ちやほやされたいだけかよw」って、そうだよ!!! 悪いか!!!

ちなみに今この瞬間、2020年12月17日19時55分の時点で書いてみたいのは、中途半端に書き始めて中途半端に「村雨カズヤ」を登場させたせいでストップしてしまった「バケモノ議事録 —柊病院精神科A3病棟—」のリニューアル・グランド・オープンです。

が、繰り返しますがこれは今の私の気持ちです。保証はありません。この辺の意志決定やモチベの持続などは私の持病に起因しますが、とりあえずカクヨムでも連載シタスなぁ、という独り言でした。乞う無期待。


6件のコメント

  • 書きたい時に書く。
    書きたいモノを書く。

    それが、全てだと思いますよ? 他人が、とやかく言う事じゃない。
    書きたくない、書けない……

    じゃ、書かなければ良い。

    創作料理でも作れば良いし、ジョギングにでも行けば良い。
    何なら、トレーニングジムにでも通おうよ!
    ずっと書けないんだったら、ずっと書かなくても良いし。

    でもね… 必ず、書きたくなるモンですわ。
    だって、人間は『 考える生き物 』ですから。

    自由に行こう!
  • 夏川さん

    前回に引き続き、暖かいお言葉本当にありがとうございます。
    ノートの序盤に書いた通り、ローカルでは書いています。書いていないと、私は調子を崩すようです。

    そして、夏川さんのおっしゃる通り、何か気晴らしをしたり別の趣味に走ってみても、結局書くことに戻るんですよね。それは10代の頃からずっとそうです。

    「書きたい時に、書きたいものを」、というのは至極真っ当なことですよね。
    ただ、今回に限っては、前回予告をしてしまったので、謝罪は必要だろうと考え書いた次第です。

    とにかく感謝の念が尽きませんが、このお礼は、よりよい小説をお届けすることでしか返せないと思っております。精進します!
  • ゆかりさんらしいお言葉、安心致しました。

    まあ、気長・気楽に行きましょうや。 外出したって、コロナが待っているだけですからねー(笑)

    たまには、私の拙作でも読みにおいで下さい。
    ほとんどのカテゴリが揃うようになりました。
    無いのは、ホラーと童話かなぁ…

    では、またっ!
  • こんにちはー('ω')ノ
    お元気ですか?

    「ノート一冊、設定で埋めてから書け」

    これ、それが合う人にはいいと思うんですが、そうじゃない人には結果、書く前に力尽きるんじゃないかと。
    設定を詰める事自体は悪く無いんですが、その時々に感じた感性の部分は、それでは出せませんよね?
    文学って、設定じゃないと思うのです。
    迸る感性こそがものを言うんではないかと。
    夏目漱石が設定を固めて「坊っちゃん」を書いたのか、と言えばそうではない訳ですし。

    設定でガチガチに固めて、じゃあ、それを書いてどうするのか。
    例えばSFや戦記ものなら土台を作っておかないと、支離滅裂になりますが、そうでない場合は感性による部分って大きいと思います。

    今の文学って方法論ばかりが先行して、中身が伴ってないなあって感じます。
    まるで「こうじゃなければ文学に非ず」みたいな風潮で。
    そのくせ、ノーベル文学賞受賞者出せない。
    言い訳が滑稽で翻訳がー、とか、もう情けない限りですし。

    翻訳が駄目なら過去に受賞した作品はなんで受賞したのかって。
    たまたま優秀な翻訳者が居たのか?
    違うと思うんですよね。
    書かれている内容がつまらない、だから受賞者が出ない。
    そこに尽きるんです。

    日本の文学界って終わってます。
    活字離れも当然で、つまんねー小説を芥川賞受賞作にしてる時点で、もう先は無いです。
    文学界自らによって活字離れを引き起こし、結果、ラノベに若い人が流れて、さらには様々な面白体験ができる社会に於いて、いつまでもカビたものの考えしか出来ない文学界では、今後も伸び代一切無いです。

    ラノベが駄目なんじゃなくて、文学界が腐ってるんだと思いますよ。
    カビの生えた形式論を振りかざし、そこに執着し続ける限り。

    今一度芥川龍之介の頃に立ち返って、文学界には自らを見つめ直して欲しいと思います。

    ひとつ例を。
    美術界の過去において、17世紀以降サロンが画家の登竜門だったのですが、そこに従わない一派、即ち印象派の台頭がありました。
    当初印象派なんてのは全く評価されませんでしたが、徐々に広がりを見せ、世界に広がって行ったのですね。

    文学界にもそろそろ変革が必要なんじゃないかと思います。
    本来自由なはずの文学がわざわざ自らに枷を嵌めて、身動き出来ない状態になり、凋落して行く姿を見せてくれています。
    芥川賞や直木賞受賞作以外、どれだけ読まれているか。
    東野圭吾や村上春樹などの作品はものすごい読まれているのに、文学を謳う作品なんて受賞時以外騒がれもしないわけで。

    話が長くなりましたが、設定はほどほどにが良いかと。
    むしろ感性の部分を大切にして欲しいと思います。
    師匠を悪く言う気は無いのですが、それで上手く行く人と、行かない人が居ます。
    自分がどちらのタイプかは、沢山の文章を書き続ける事で分かると思います。

    ラノベなんて所詮、感受性がものを言いますよ。
    今を敏感に感じ取れる人が多くの読者を惹き付けるので。

    では。大変な長文失礼しました。
  • ゆうさん、お世話になっております。
    貴重なアドバイス、いつも本当にありがとうございます。

    「ノート一冊、設定で埋める」についてですが、これは過去に4作で成功例があること(結果も出せていたもの)と、ここ数年の私は大体の設定ができると勢いで書き始め、結局整合性が取れなくなり完結に至らないことが多い、という失敗例を加味してのこともあり、また、初心に返る意味でもチャレンジしようと思った次第です。

    もちろんゆうさんのおっしゃる通り、一冊設定で埋めたら本篇前に力尽きます。
    しかし、久々に今いわゆる「設定厨」になってみると、それを楽しんでいる自分がいるんです。
    さらに加えるなら、実際にノート一冊を埋める気はありません。「埋めるくらいの気概で」と言った方が正確でした。誤解を招く表現、申し訳ありませんでした。

    それに、もちろん本篇を書いている最中に、いわゆる「物語の身体性」によって予定していた路線から外れることもあります。つまり、感性の動きによって、です。
    そういった際、設定という土台がしっかりしている方が、私に関して言えば、支離滅裂になったりせず、安心して脇道に逸れたりすることができるように思います。つまり、ノート一冊分の設定が必ずしも絶対ではない、ということです。

    あと、一点誤解されてるかな、と思ったのですが、設定厨になるのはローカルで書いている例のあてがきの話だけで、ここでリスタートする「バケモノ議事録」に関しましては、小説執筆支援アプリでちょろちょろ整合性を整える程度にして、フィーリングで書くつもりでいます。


    余談ですが、日本の文壇について、私が疑問に思うのは、デビューの間口が狭すぎるということです。英語圏の人々と話す時、私が「小説を書いている」と言うと、必ずといっていいほど「へえ、何冊出版してるの?」と聞かれます。
    日本ではボイルドエッグスが過去にエージェント制を取り入れていましたが、今は変わってしまいました。
    もちろんWEBからデビューされる方も多いですが、私の書くジャンルでは、極めて稀なことは、ゆうさんもご存知の通りです。

    なんだか最後は言い訳のようになってしまいましたが、ゆうさんのおっしゃる「ほどほどに」も留意しつつ、今後も執筆を続けます。
    いつもありがとうございます! 
  • 八壁様、突然押しかけ者でスミマセン。

    私の「着飾った空の祭典〜」にレビューを大変ありがとうございました。
    あれほど褒めちぎられるとは思っていませんでしたので、信号機の一番右、のような色の顔になっています。

    また機会があれば遊びに来て下さいm(__)m
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する