昨日の日記ではネガティブなことを言ってしまいましたが
それも時流話説の一部という事で、否定はしません。
お恥ずかしいことながら。
恥ずかしいけれど人間なんですよ、私。
まあ私は色々と悩んでいる作家ですよアピールは、たまにします。
が、
悩みは乗り越えたいですね。
実際、乗り越えることができる悩みって、まあまああります。
とりあえず執筆するぞとばかり、
Wordを開いて砂護野晴のシーンを変更していました。
話の流れ自体は、今のところ変えていませんが
落ち着いて復習から、したいですね。
その流れで続きを書いていきたいです。
別件。
tut〇yaに映画を返却した。
延滞料金は取られたくないのです(以前一度やらかした痛い思い出があり、財布にボディーブローをもらったのまき)
バイオハザード ザファイナル は見返していました。
映画館で見るべきだったかなあ、やはり。
うーん、あれを小説化するとなるとどうなるかなーって思いながら見てました。
いや、私もゾンビものを書いたのでやはり気になるわけです。
映画自体は、素晴らしいクオリティの映画です。
それを念頭において、こき下ろすつもりでないと、不満点ではないと言っておいて、そのうえで私の独り言というか、思ったことをメモしておこうかなと。
バイオハザードはCMでも流れているくらい有名な「ゾンビ作品」ではありますがしかし、言いたいのは
ゾンビ映画とゾンビ小説は違うな、という事ですね。
私はバイオハザードを見て、主演女優さまの迫真のアクションに感激いたしました。
しかしながらこれはホラー映画ではなくアクション映画だなと。
そう感じる部分が多かったです。
パッケージにもジャンル「アクション」って書いてあったんです。
ああ…「ホラー」じゃないんですね…ううむ
実際、私がもしも映画監督になっているということが起こり得るならば、アクションが多い作り方をしていると思います。
したいですね。
「文」ではなく「映像」ですからね。
アクションの方が目で見て、視覚的にいいじゃあないですか。
爽快感はあるかと思います。
強みは有効に使いたいです、それでお客様に迫力を届けることができるならば。
見習うべき点も多い一方で、小説としてならば、もっと違う方がいいだろうなと思います。
心理描写、恐怖心を濃くしたいですね。
主人公をきりっとした目つきの高身長美人にした方がよかったかな。
なんてことは少し思いますけどね。
やはり作品が、絞まる感じしますもんねー