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終わりなんてないんだ

AIの話、ツクラ―としての経験からうちは使わんよという宣言をだらだらと纏めているんだが、その間に某イベントでの疑わしきは罰するで大事件があった。
正直推定有罪をする反AIが悪い。論外だ。だが、どうしてこうなったのか?
そりゃあ、信頼や感情をこの世で最も価値の無いものと扱ってきたAI推進やそれを無視してきた人々のせいだ。(議論はよく分からないがマイナンバーやインボイスでも「あの口調」は嫌になるほど見たね。)
ではなぜ彼らはそういう行動を取ったのか?同じ方法での「反フェ」で成功体験(?)があったからだ。
では、その行動様式は、それは何処から来たか?辿っていくと古いネット古語の「火病」という言葉に行きつくと思う。
火病とは?お隣の国の心の国民病なのだが、反お隣が盛んだったころ、転じて「彼らが出鱈目を言って言う事をソース付きで論破した結果発狂するさま」というネットスラングになっていた。
(正直、そいつらの正義を信じていた時期があったから、いや、だからこそそういう下品な様はずっと嫌ってきた。)
そう、問題意識をとっかえひっかえ、「インターネット人」はずっと一つのロジックを信じて実行してきたに過ぎない。
「はい!論破!ということでお前は間違いでつまりは世界で最も下等な生物ですwwwwそこで好き放題辱めを受けてください。泣いても意味ありませんwwwそんなお気持ち通じませんwwww( ̄∇ ̄;)ハッハッハwwwまた勝ってしまった。敗北が知りたいwwww」
おおよそジュネーブ条約があるだけ戦場の方がましなメンタリティーであると思う。彼らが自分たちをニュータイプか何かだと吹聴してきた実態は、棍棒を振り回していた野蛮人と何も変わらない。
相手が血も涙もある人間だと理解していれば絶対できない卑屈な言葉、その精神的免罪符としての「ソース」「正義」
言うまでもない事だが、地球が球体であるという真実は平面であると信じている人より慈悲深いという証明にはならない。が、インターネットではそうだという意見はほとんど聞かない。
不幸なことに、今回は嘲りと報復の連鎖は内側に向かって突き進んでいる。世界的な規制のルールの有無についての動きとは隔絶された、まるで戦後ブラジルの「勝ち組味負け組論争」のような醜悪な戦いが続いていく。次は何だ?尻に刺さったビール瓶を敵のせいにするのかな?
南北戦争の名将リー将軍は「戦争が悲惨でなければ我々はそれにのめり込んでしまうだろう」とか何とかいったはずだが、NHKのドキュメンタリーでも大した発明の行われない某SNSとはとうとう発明された人類が「のめりこめる戦争」なのかもしれない。
これは個々の案件の悪をとっちめれば解決する問題ではない。ソースや正義によりかかり、己の良心、信仰、哲学といったものを思考の最下層と20年嗤って他人をとことん追い詰めるだけ追い詰めることが唯一のコミュニケーションであり、敗北は最下層への再定義であるという定義を保持、拡大してきたインターネットの一つの結末であり、開始地点だ。


自分の短編だと「騎士に非ず」とかは何となくそれに気づいていた部分で書いたし、Blue Lost Blueなんてそのままそうだ。ずっと自分はあの身体から浮遊した全能感を嫌ってきたし、そういう話を書いてきた。でも、何か価値があると信じてあそこにいた。
だけどもうあそこには何もない。あとは韻を踏むだけの時間があるだけだ。
またこの真実も過ぎ去るだろう。そしてまた、新しい棍棒と倒すべき野蛮人(兄弟で邪悪だがどういう訳か市民の善き繋がりによるネットの書き込みだけで消滅する不思議な敵)が供給されるだろう。
終わりなんて、ないんだ。そして、それが戦争で、その泥沼の中でそれでもなお何かを極めようとして出てくるのが兵器、特に戦闘機だ。
自分も、愛機の様に、そうありたい。

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