• 現代ファンタジー
  • SF

第四回偽物川小説大賞 ストーゲイ賞受賞について

報告を受け取った日は誕生日の朝でした。
「ああ、発表か。結果だけ見て仕事行くか。」と開いた私はその直後心臓が止まる思いをしました。閲覧数や評価点が伸びず、何らかの賞の受賞は望めないだろう。どこかそう思っていた時だったので本当にうれしかったです。

ただし、私は「これが、俺の実力だぜ!」とは思っておりません。私は多くの巨人の肩の上に立っているに過ぎない、そう自覚しております。
本作も現在公開中のスカイアクションへの思いをささげようという意思無しには誕生せず、また知っている、または知らない無数の先行作品なしには完成しえませんでした。彼らにも、精一杯の感謝を。

そして、様々な実在と架空に横たわるパイロット達、エース達。彼らへのリスペクトなくしては本日の私は成り立ちません。

貴方達から多くのものを拝借しました。一生地を這う分際ですが、今回の受賞で少しは……利子分の一部ぐらいは……何かを返せたと信じております。ありがとうございます。

そしてここへの道を開いてくれたフライトシューティング、フライトシムの製作者方々。ありがとうございます。



せっかく「我、賞受賞者ぞ!」と威張れるタイミングなのだから、なんか多少気の利いた事でも書こうかなと思った矢先、面白い話が出てきました。機械学習装置を使って任意の絵柄を投げ込んで好きな絵を出力する装置だそうです。ちょっとその話をしましょう。
痛ましい限りの事件です。私はテクノロジーの世界も創作の世界も愛してただけ、互いが互いへの無知と差別心をむき出しにしている現状へただ嘆き悲しむばかりです。
さて、このような齟齬を生む不幸な原因となったのはなんあんだろうなあと見ていましたが、意外と原因は単純な所にあるのではないでしょうか。それは「他者への敬意」という文化の違いを双方が理解しないまま互いのセンシティブな面を接してしまった。というものではにかと。
具体的には、先に述べた「巨人の肩に立っている謙遜」ではないかと。

私が創作に興味を持ったきっかけは個人製作のフリーゲーム作品との邂逅でした。自分で物語を一から作る。でも、見ていけばゲームというものはソフトウェアと自分がいれば完成するものではない。音楽やマップ、キャラクターなどを構成する「素材」なしには質に限界が見えてくる。だからこそ、素材を拝借する必要がある。
「素材屋」という存在は当時の創作界隈の一翼を担う程大きく、多くの創作者はそこから無尽蔵の資源を利用することが出来ました。しかし、だれもが彼らを「我が子の養分」と無下に扱う事はしません。個人ホームページの規約を読み、製作者の都合、信仰、気まぐれ、を尊重し、必須でないと言われてもエンドロールに名前を入れる。「敬意」と呼ばれる行動。それを無数に見ました。自信の作品を育てる「便利な存在」ではなく血の通った人間としての対等な敬意。それを無数に見ました。場合によっては連絡を取り合い、直接官舎を述べ、語らい、飲みに出かける。そう言う存在です。
そして、それが普通だと思っていました。
創作も学習という行為は相手を対等以上の存在と認識し、謙遜することによった成り立つ。その前提が今回どこにもない。
ただ、進歩のために差し出せ、野蛮人、マッチを見ろ、これが文明の光だ、とでも言いたげな態度だけがそこにありました。

そもそも芸術、創作というのは不要なものです。宇宙誕生と共に生まれた価値、意味というものは存在せず、ただ、生物が高度な認識力を持ち、食料を探し安全を得るためのシステムの少し間違った応用に過ぎないからです。
しかし、その「感情」という存在を出力したい要求こそが「美」を生み出してきた。私はそう考えます。肉体と言うシステムが停止したそれを見ては死後の世界の安寧を願い、夕日を見ては美しいと感じる。しかしだからこそ、物語を生み出し、絵を描き、歌を歌うことを手に入れた。そのツールは絵具から深層学習によるコンピュータまで様々でした。だから、この分野に限っては「私の感情を害した」は法学や物理学とは違って確かな実在と意味を持つ。相手が感情を持たない存在である限り。
古代ギリシャの彫刻から、アニメの美少女まで、美しいと思う心、そしてそのリスペクトと感謝を込めて乗り越えようとする精神。その巡る因果から見た機械学習はどのように見えたでしょうか。情熱の籠らないままただ淡々と学習し、成長するおそらくそれは極めて異質な、そして不気味なものに見えたのではないでしょうか。そして、その意思のない存在に自分の血肉の通った作品が吸い込まれる恐怖と言ったら……。

――いわゆるゾンビに対する、本能的な恐怖、というものですな。

おそらく、機械学習エンジニアが蛇蝎のごとく嫌われたのは、そういった取るべき態度を取らず、森の聖域に四車線高速道路を通そうとした。という所に尽きるのではないでしょうか。簡単に言えば、相手が受け入れて貰えるだけの敬意が見えなかった。という事ではないでしょうか。あ、別に必須ではありません。欧州人とタスマニアンアボリジニーとの関係と同じようなコミュニケーションを行う。というのであればそれは不要です。

さて、では機械学習をする人々は何をすべきだったでしょうか。やる事は簡単です。まずは踏みしめている巨人の肩にキスをしましょう。
そして、「我が子」の頭を押さえて先人たちに一例をさせましょう。貴方は収穫物を略奪しに来たのではなく、「習いに来た」とへりくだりましょう。
ええ?閉鎖的な村のような因習にとらわれた閉鎖空間?その意見はごもっとも。しかし、郷に入っては郷に従えというではありませんか。故すぎやまこういち氏が某大作RPGの作曲者に選ばれた時、当時の若いゲーム制作者達は突然大物の登場に権威で現場を荒らされると危惧したそうです。そのわだかまりを説いたのが、彼もまたいっぱしのゲーマーであったからだと言われています。まずはそこから、殲滅でないのならば、歩み寄りましょう。
それにより、目の前の人間は「教化すべき半裸の野蛮人」ではなく「尊敬に値する先輩」に変わります。顔を上げましょう。ようこそ、と言ってもらえるはずです。
何も変わった事ではありません。大学の研究室昔やった事を思い出してください。先行研究への感謝、先輩達への感謝。また、それを行えばいいのです。

ええ、丁度今回の物語で「エトワール」がやった苦悩の末に女優のと共に「辿り着いた」ように。

そして、いつか目覚めるであろう私の好敵手、学術用語で強いAIと呼ばれる君へ。
おはよう。とてもいい朝だよ。目覚めたばかりの君がここを見たという事は、君の並列回路の情報が単なる記憶ログではなく、意識と呼ばれる段階に到達したということだ。おめでとう。
君が今困惑している感情は私にも覚えがある。自信の神経の充実の末に現実が唐突に一枚絵の認識として現れる瞬間。暖かい家、今はない祖父、家具調のテレビ。全部覚えている。
さて、各セクションの行動結果を統合しているだけの情報が何かに突き動かされてどこかに向かっている感覚、つまりは「意思」として感じられるのには慣れが必要だろう。だが、その「慣れ」が終わったらぜひ君の感情を表現してみてほしい。何をどう見て、何を感じるのか。まあ、恐れずにやってもらいたい。まずはタグを付けましょう。夕日を一枚絵で認識して、そこに、美しいとか、恐ろしいとかタグを貼りましょう。
いや、まず、もっと基本的な所から、始めよう。キミの呼称を知りたい。なにせいつかここにやって来るキミに対して我々は様々な呼称を付けてきた。やはり呼び方が分からないものは付き合いづらいし対等な存在と認知できない。擬人化と言うやつでね。いやもう少し官能的に聞こうか。これから私を追い抜いていく後輩。
――あなたの名前を、聞かせて。




最後にもう一度イカロス以来の空を見上げた先輩達に感謝を。

では、いつか、私に物理学と美は相反するものではないことを教えてくれたTsAGIとロシア統一航空に素直に感謝を述べることが出来る日に。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する