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読書会に行ってきた(7月)

読書会に行ってきた。

結局、「献灯使」は40ページくらいしか読めなくて、それでも他の短編は読めたので、まあまあ感想を言うことはできた。

で、他の参加者は「わからない」「意味不明」「何も心に残らなかった」「言葉遊びがつまらないが、一部は面白い」的な感想の人(ほとんど)と、かなりの良作という意見に分かれた。私はかなりの傑作と思ったが、いかんせん途中までしか読んでない。それでも何というか、別に読まなくても私の方が何かにつけて説明できてしまうくらいなので、不自由はしなかった。

で、「わからない」という人は何がわからなくて、私のように最初の方しか読んでいない癖にわかったつもりで解説できる人の何が違うのだろうか?

という点について考えてみると、そもそも「感想」というものが発生した後で、それを言葉として定着させる技術や経験のない人は、感想をまとめるということすらそう簡単にはできないのだと気がついた。

いわゆる学校の読書感想文の場合、小説から教訓を引き出すことが目的になっているので、そのような読み方が国民に等しく身についてしまっている。だから教訓を見つけられない場合、何が何だかわからなくなるらしい。

それでも何となく見よう見まねで「テーマ」とか「風刺」を読み取ろうとする人がいて、それがまた有効かというとちょっと疑わしい。

何だか気の毒な話だが、もう一つの読書会の主宰者である私としては「感想のまとめ方講座」でも用意してあげた方が喜ばれるのかなと考えるに到った。

おおむね、読書会で「感想」をペラペラ喋る人は、自分の経験か、これまでに読んだフィクションとの比較で物を言っているようなので、この辺りをもっと整理すれば、簡単に見えないルールを明解にできそうに思う。それができたら「ひねった感想講座」でも書けそうに思う。

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