療養生活

 ヒルガーテは森林中を探すつもりでもあったのか、山歩きの完全装備を身につけ、小屋を出てくるところだった。

 よろめきながら二本の足で歩いているおれを見つけると、彼女は走り寄ってきた。

「マーガル!」

 ことばを発しようとしたものの、その余裕はなかったので、おれは笑みを作った。

 包帯の下なので、彼女には見えていないだろうが。


「昨日は探せなかった」


 抑揚のないことばは冷淡に聞こえるが、その顔に浮かぶ表情を見ると、結局、彼女は感情の出し方がわからないのだと、ようやく気づいた。


 おれは素直に礼を言った。

「ありがとう。だが、もう心配は要らない」

「マーガル……」

「ディトワに会えるか」


 ディトワはまだゴルエに駐留したままだった。

 洞窟を降りると、そこには簡易な宿営が設置してあった。


 分厚い布の端を太縄で吊った寝床に寝転がったまま、おれの訪問に気づいたのか、低く唸るような声を出した。


「戻ったか」

「ああ……あんたに詫びを入れようと思って」

「あいにく、無駄飯喰らいを置いておく余裕はない」

「無駄飯を喰らうつもりはないさ」

 寝床から起き上がると、ディトワは初対面の時のようにおれをじろじろと眺めた。

「じゃ、なんだ。なにをするつもりなんだ」

「おれは後継者になるつもりだ」

 ディトワはぽかんと口を開け、すぐに大声で笑い出した。

「気でも狂ったか」

「不死身でないのは最初の一匹だけだ」

「また呪われるつもりか」

 おれはうなずいた。

「やめとけ、おまえには向いてない。おまえは心が弱い」

 そう毒づく。

「そう、その通りだ」


 ディトワはなにかを言いかけ、口をつぐむ。


「おれは自分のことばかりで、あんたたちの痛みやつらさを理解しようとはしなかった。マチウスを失った悲しみを閉じこめながら、なお、侵略者と闘っている。……彼の死はおれのせいだ。……彼は、たとえ自分が死んだとしても、おれのその後に期待した。自分の果たせなかった使命を、おれに託したんだ」


 マチウスはどれほどディトワの後継者になれないことを悔やんだだろうか。


「だから、おれは彼の死に報いなければならない」

 にらみつけるようにしておれのことばを聞いていたディトワは、その表情をゆるめることなく立ち上がった。

「ま、口では何とでも言える……」


 近くの石壁に近づき、下方を蹴りつけた。

 ずる、と石同士のこすれるいやな音を立て、そこへぽっかりとした空洞が現れた。

 隠し扉か。

 ディトワは中から陶器の大がめをとりだし、封を切った。

 大がめのふたを開ける。

 中には黒褐色の液体が入っていた。

「……『竜減』になるためには、呪われるだけじゃダメだ。もうひとつ条件がある」

 その液体を器につぎ分け、おれに差し出す。

「俺と勝負をするためには、まず体力を回復させないとな。これは竜の血だ。おまえの足りない血の分は一週間ほどで回復する」


 ――呪われて痛覚を失っていること


 これが『竜減』になるための最低条件だ。


 ――ドゥーリガンの遣い手であること


 つまり、不死身であっても相手を斃す術に欠けていては、どうにもならない。

 さらに最後の条件とは、


 ――『竜減』と戦い、勝利すること


 だった。


「だが……それは同士討ちということになるんじゃないのか」

 おれの疑問にディトワはいたって冷徹な事実を告げた。


「今いる『竜減』に勝てずして『かの地』の侵略は防げない。あの火竜の強さを思い出せ。『竜減』ひとりでも勝てるかどうかわからない怪物だ。現役の守護剣士にさえ勝てない者へ、最強の称号と任務を与える必要はない。おれたちはそうやって、長い歳月をかけ、ひとの限界を越える強さを見いだし続けてきた。……いわば、これは神聖な儀式なのだ」


 相手を討ち斃すと言っても、基本的には不死身の肉体同士だから、命のやりとり、というわけでもなさそうだ。むろん、おれの場合、事情は異なる。


「おまえはもう普通の身体だから、一撃でもドゥーリガンを受ければ致命傷となる。それでも『竜減』を目指すのか?」


 竜の血を飲む前に、ディトワは揶揄するように言った。

「死ぬ覚悟は決めてる。あんたと勝負するとは思わなかったが」


 言って、ひと息で竜の血を飲み干す。

 喉の焼けるような痛みとともに、味わったこともない強烈な苦みと生臭みを感じた。むせて吐き出しそうになるのをひたすら我慢する。


「本来、戦闘の合間に体力を回復させるために使うものだ。呪われた生き物の血だけに、腐らず保存もきくし、肉と同じで、慣れればむしろ旨く感じるがな」


 そう聞けば口を手で押さえざるを得ない。

 一滴たりとも無駄にするものか。

 胃に到達した竜の血は、じわりとした重さを感じさせ、腹腔を刺激した。

 空腹時にきゅうと痛む腹の、何倍も強い痛みだった。


「我慢しろ。じき、おさまる」


 ディトワは立ったまま身体を折り、苦しむおれの頭上から、声を降らせてきた。

 やがて彼の言ったとおり、腹部の痛みはすぐに引き、代わりに身体全体へ痺れるような感覚だけが残った。


「化け物たちと闘っている最中に飲むと、かえって危険になることもあるくらいだ。しかし、それを承知で飲む価値のあるほど、効果は確かでもある」


 薬売りの能書きでもあるまいが、なるほど、即効性はあるようだ。

 身体の痺れはみるみるうちに取れ、活力に変わっていく。

 手をきつく握りしめてみても、先ほどまでの迂遠な感覚とは明らかに異なり、指先までしっかりと力が入るようだった。


「こんなものがあるなら、はじめから飲ませてくれてもいいと思うが」

 おれの不満げな意見に、ディトワははじめて白い歯をこぼした。

「そいつは悪かった。ヒルガーテはおまえに食わす料理や薬には使っていたようだ。普段でも竜の肉を苦手としているから、ケガで体力の落ちたおまえは飲めないと思ってな」


 彼らは彼らなりの気遣いでおれの回復を心がけていてくれたのだった。

 ディトワは手でおれを追い払うような仕草をした。


「小屋で休んでこい。完全な体調でなければ、俺に刃を当てることすら適わんぞ」




 おれはひとまず体力回復に専念することになった。


 まだ自分が半人前であることを認め、くだらぬ意地を張ることを止めれば、自然とひとの施しを素直に受けられるようになる。

 自立とは、他人との違いをことさらに主張し、自分の存在を際だたせることではない。


 自立は自律だ。


 すなわち、自分の状態を正しく知り、置かれた環境に合わせ、自らの身体と精神を最善の方向へと向けていくことなのだ。


 そう考えると、いまディトワやヒルガーテに頼る、ということは自立できていない若造の甘えではなく、単に、必要な施しを、必要なときに受けている状態に過ぎないということだろう。

 おれが回復すれば、彼らとの関係はまたふさわしい形に変わっていくだろうし、自ら変えていけばいい。


 慣れない竜の血を飲み干す度に、身体全体はより回復していると実感した。


 二日目におれは寝床をたたみ、起き出した。

 上半身の包帯はまだ取れないが、筋肉の落ち方は想像以上だったので、三日目にして、おれは木剣の素振りをはじめた。

 ヒルガーテは小屋の裏手で木剣を振るおれの様子を、ときおり小屋の窓から伺っているようだった。

 最初からとばさず、身体の筋肉をほぐしながら、与える負荷を大きくしていく。

 素振りに筋肉が悲鳴を上げかけたときに、素振りを止めた。

 噴き出した汗は体表を流れ落ち、ズボンと地表に汗の痕を作っていた。


 顔の包帯にしみ出す汗は少なく、内部には高熱がこもっていた。

 やけどにより、汗腺はすっかり破壊されているらしく、より熱のこもりやすい状態なのだろう。

「ヒルガーテ。……悪いが、包帯を取り替えてくれないか」

 小屋に向かって声をかけると、少しの間の後、彼女は治療用具一式を持って出てきた。

「大丈夫? 薬も変えた方がいい」

 包帯を解いたあと、彼女は膏薬を塗った薄布もはがし始めた。

 素顔を彼女へさらすことに何の抵抗もなくなったのは、自分でも驚きだった。


「ヒルガーテ。頼みがある」

「鏡ならもう持ってるでしょう」

 薄布を貼る手も止めず、彼女は返事をした。

「なめした皮はないか」

「皮?」意味がわからないといった風情に表情を変える。

「ああ。ちょっと思いついたことがあるんだ」


 夕食時、洞窟から出てきたディトワは、おれの回復ぶりを見て、勝負の日取りを決めた。

「はじめの予想を超え、失血の回復は随分早そうだ。が、剣士としての復調はまた別の話だから、もう一週間やろう。今のところ『かの地』からの侵攻はなさそうだが、そういつまでも時間のあるわけじゃない」

「わかった」


 素早いおれの返答に、なぜか彼は満足そうな表情となった。

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