実務本番

 近々現れるとは言うものの、いつ襲来するか分からない敵を待つ間、ディトワはおれを鍛えることに専心した。

 シグルトに封鎖されたままになっているドゥルフェン村の動向も気にしつつ、優先順位はこちらの方が高いと考えたからだ。


 きつい稽古だった。


 型を学び、実践する。

 それも不死の身体を生かした本物の斬り合いをするのだ。


 何度死んだことになるのだろうか。

 斬られるばかりでディトワにはまったく勝てなかった。


 それはそうだろう。


 達人相手にたった数日しか経っていない。けれど、自分でも驚くほどの速さで、確実になにかを得ているという実感はあった。


 ドゥーリガンの直撃に、痛覚を喪っていても肉体に痛みと錯覚させるほどの衝撃を与えられ、意識を寸断される。

 幸いなことに、骨や内臓が粉砕され、傷口や口腔から黒々とした体液を噴出させてもしばらく動けなくなるだけで、死ねない。


 だが、おれは、かつて自分の望んでいたような、そんな実践的な稽古に没頭していながら、なぜか心晴れない気分でいた。


「その手が治癒するまで休もう」


 ディトワのかけ声で休憩にはいる。

 左手はたったいまドゥーリガンの直撃で粉砕され、下方にだらりとぶら下がっていた。ねじれている手の向きを修正し、その場へ腰を降ろす。

 ディトワはあぐらをかいておれと正対する位置に座り、おれの顔をのぞき込むようにして言う。

「舌を巻くほどの上達ぶりだが、さっきから浮かない顔だ。剣の振りに迷いも出てきた」

 さすが達人、剣筋からおれの屈託を見いだすとは。

「……たしかに迷いはあるね。自分の日数を伸ばすために、この先、怪物だけじゃなく、先人たちと戦わなければならないんじゃ、ね」

「ノヘゥルメのことか? 皮肉っぽい言い方だな」

「……ディトワ。あんたは平気なのか? 自分の元同僚だっているだろうに」


 ディトワはおれから目を外すと、虚空を見つめた。


「なあ、マーガル。おまえ、なんのために剣士やってるんだ?」

「え?」

 意表を突く質問に、意地の悪い思考も止まった。

「金、名誉、自己研鑽、自己満足、なんでもいい。目的はあるのか」

 なんと答えようか戸惑った。

 考えのまとまらぬまま、とりあえず口を開く。

「生きている実感。……剣を使っているときがいちばんおれらしいと感じるから……かな」

「自分らしい、か。自分探しのひよっこに『竜減』は務まらんぞ」

「……なんだと」

 露骨に自分の考えを否定され、おれは気色ばんだ。

「才能もある。筋もいい。驚くべき素質だ。が、おまえの剣には決意がない」

「決意……」

「おれたちは呪いのせいで仕方なくここにいるんじゃない。『かの地』の侵略を防ぎ、世界を護るために残っているんだ」


 おれは彼に反発した。


「けど、それは単に状況や伝統や掟に縛られてるだけだろ。使命に殉ずるなんて格好つけて、責任感が強そうに見えても、結局ここから離れられない、逃げ出せないだけじゃないか!」

「それは違うな」

 ディトワの視線はおれに戻る。

「たしかにおまえの言うとおり、俺はいろいろなことに束縛されている。だがな、あるとき、自分に与えられた能力を、それを必要とする人間のために使おうと決めた。使命というのはただ与えられるだけじゃない。自分でそうと決めることも必要なんだ。それに……世界を護るってもな、実は俺の頭の中にはドゥルフェン村に住む人間たちの顔しか浮かばんよ。それが俺の『世界』なんだろう。だから彼らを脅かすものには全力で立ち向かうつもりだ」

「……ご立派な心がけだね」


 なんと反論すればいいか分からないくせに、また余計なことを言ってしまう。


「ゴルエで戦った剣士たちは、みな多かれ少なかれ、おれのように決意していたはずだ。いずれ誰かが『かの地』からの侵略を防ぎ、この悪しき呪いの鎖を断ち切ってくれる。……そう思わなければ、だれが自分の子孫にこの使命を託すものか」

「……本当にそう思っているなら、なぜだれも向こうに行こうとしないんだよ」

 思わずそうつぶやいていた。

「なに?」

 ディトワは意外そうな声を出す。


 絶句している彼を尻目に、さらにことばを紡ぐ。

 頭の中に渦巻いているなにかが、次々と形を取り、あふれでてくるようだった。

「使命だなんだってご大層に言うけど、向こうからなにかが来るのをただ待ってるだけじゃないか。だれかが何とかしてくれるのを待ってるだけじゃないか。呪いの鎖を断ち切るなら、呪いの本質をなんとかしなきゃいつまで経っても変わらない、変えられないだろ」

「向こうへ……『かの地』に行くことは禁じられている」

「やっぱり掟に縛られてるよ。なぜやつらはこちらに来ようとしているのか、だれがそれを望んでいるのか、そんなことも知らないで、こちらにやってくる怪物と戦うだけじゃ、なんの解決にもならないじゃないか!」

 左手はいつの間にか動くようになっていた。

 おれは何回か手を握る動作をして、不具合のないことを確かめると、憮然としたような表情で虚空をにらむディトワに声をかけた。


「稽古を続けてくれ。目的はどうあれ、おれは、いまいるところから始めるしかないんだ」



 マチウスの欠けた食卓は、ひっそりとしていて、息苦しく感じられる。

 ヒルガーテの作る夕食は変わらず旨いのに、おれたちは無言で、生命を継続させるためだけに食料を口に運んでいた。

 ほんの数日前まで、この食卓は楽しげな会話と息づかいに満たされ、生気であふれていたのに、いまは凍結した湖のように停滞し、濃霧にとり囲まれているようだ。


「……来た」


 ヒルガーテは不意に木皿の脇へスプーンを置き、そう告げた。

 遠くにかすかな地鳴りのような音を聞く。


 おれたちはめいめい、招かれざる客を出迎える準備を始めた。

 まもなく小屋の外から騒々しい音が聞こえてきた。

 小屋裏につないだメスグマラシのベイラが、新たな同族の到着を告げでもするように、ひと声、大きくいなないた。




「ひさしいな、シグルト。ようやく希望の職に就けて満足か?」


 ディトワはそう言って、周囲を見渡す。

 小屋の外にはドゥルフェン村にやって来た、例の紋章つきグマラシ車ほか三台がひしめくように停車しており、多数の衛士たちはすでにおれたちを囲む態勢で散開していた。

 彼らの持つ松明の明かりで小屋周辺は明々と照らし出される。


「剣士ディトワ、単刀直入に言う。ノヘゥルメの木箱を渡せ。これは命令だ」

 シグルトは全くの無表情に、吐きすてる。

「木箱なら洞窟の中にあるぜ。……呪われた彼らにいったいなにをするつもりだ?」

 そのディトワの返答に、政務執行官らしく衛士のひとりに素早く指示を与え、シグルトはことばを紡ぐ。

「彼らは……あれはルフの、いや、世界の貴重な財産になりうると気づいてな」

 他人事のようなその言いぐさから、これはやはりヨツラの企みだとわかった。

 うまくシグルトを抱き込んだのだ。

 そう知って山腹につながる道を見ると、先の指示通り、台車を持って洞窟に向かう衛士たちの中に、松明に浮かび上がるヨツラ一味の姿も発見する。


「おまえを派遣したウーラのだれかの財産になるんだろ?」


 言いながらディトワは周囲を取り囲む完全武装の衛士も目に入らないように、洞窟へ向かって歩き出した。


「抵抗するな!」


 激しい声とともに突き出される衛士の槍を、ディトワはドゥーリガンの一閃で叩き折る。槍はバラバラとなり、あたりに散らばった。

「こいつ!」

 止める間もなく、激昂した数人の衛士たちが目にもとまらぬ必殺の一撃を繰り出した。

 ディトワは緩やかな円を描くような動きでその攻撃をすり抜ける。

 奇剣をまわし、すくい上げるように数本の槍をからませ、たちまち衛士たちの手からそれを落とした。


 槍を奪われた衛士たちは愕然としたように、自分の手元を凝視した。


 ――剣は槍に勝てない。


 その常識を覆すような光景を目撃し、衛士のだれもが、その場で凍りついたように動きを止めた。

 ディトワは政務執行官に顔を向け、吐きすてる。


「なめるな。たったこれだけの衛士で俺を止められると思ったか」


 シグルトは悔しそうに唇を噛んだ。


 怪物と互角に渡り合う剣技だ。

 ただの槍風情にかなうはずもない。


 そう考えて、おれはドゥーリガンの凄さをあらためて実感する。

 以前ディトワの言いかけたことばの通りだった。


 ディトワは詰問した。

「ところで、ディラスはこのことを知っているのか? 」

「車椅子の選王など」

 シグルトは憎々しげに答える。

「衛士の数から見て、衛士長は了解済みのようだな。……ばかなやつらだ。ノヘゥルメを軍事利用か」

 ディトワにはヨツラの話の内容を告げてあった。


「バカなのはおまえの方だ。あれは他国に勝る戦力となるのだぞ!」

 シグルトはかんしゃくを起したように叫ぶ。

「彼らはそんなことを望んじゃいない」

「そんなことがなぜ分かる? あの薄汚い化け物どもと話でもしたのか?」

 ディトワは目を剥いた。

「彼らを侮辱するな! 身体を張って世界を護り続けたんだぞ!」


 その怒声と呼応するように、突然小屋の周囲で鳴子がけたたましい音を立てた。

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