第一章 番犬と家政婦と
ゼッハが落ち着くまでリリトはゼッハを抱きしめてくれた。
「どうしてリリトは人間になった時に、会いにきてくれなかったの?」
リリトはゼッハの為に、紅茶を用意をする。ミルクとはちみつを入れてそれをゼッハに渡した。
そしてゼッハが一息つくと話しはじめた。
「毎日、勉強してました」
「算数とか?」
「はい、色んな事を学びました。私は犬でしたから、何にも分からなかった。貴女に会う近道は、私が完璧に人間を出来る事でした。シンゲン様は物覚えの悪い私に、優しく色々な事を教えてくれました。最後は、私は軍に入り、戦いを覚えました。そして、やっと……やっとゼッハに会えた」
ゼッハのカップに紅茶をつぎ足そうとした時、インターホンが鳴った。
ゼッハは時計を確認すると、叔父の使いが来た事をリリトに話した。
「そうでしたか、では、ゼッハはここでお待ち下さい」
リリトが扉を開けると、初老の男が笑顔で出迎える。
「ゼッハ様を、お迎えに上がりました。ええっと貴女は?」
「私はゼッハの家政婦、リリトです」
「さようでございましたか、私はアーベル様おかかえの運転手、ローマンです」
リリトもまた笑顔を作り答えた。
「十一才の女の子を迎えに、そんな大型の拳銃が必要ですか?」
リリトはローマンの懐に手を入れると、黒く光る拳銃を取り出した。
冷静にローマンは答える。
「ゼッハ様は、お父上の遺産、五千万ユーロの相続権があります。それ故に、狙われる危険性も否めません。その保険にございます」
「そうですか、では外に三人、武装した連中は何の為ですか?」
「鋭いのは命取りですよ」
ローマンは、腰に隠し持っていたナイフでリリトに斬りかかった。
鈍い音が鳴る。
リリトは、ナイフの刃を握ると紙を破るように、軽々とそれをへし折った。恐怖に引きつるローマンの腹部を殴り、気絶させると、ローマンから奪った銃を手に、外に飛び出した。リリトは武装した男達を探す。
そして瞬時に捉えた。
乾いた音が三度響く。
その銃声と共に、男の声が反響する。
三人の武装した男を片付けると、意識のある男を捕まえて言った。
「アーベルの差し金か? それとも他に雇い主がいるのか? 吐け!」
「知らない。俺達は金で雇われただけだ。成功報酬、三千ユーロ。成功したら今日、三番街のバーで落ち合い、この屋敷の娘を引き渡す手はずになっていた」
「そうか、二度とここに近づくな。他の奴らもだ。次は命を貰う」
男達は、体を引きずりながら、慌てて車に乗り込み、その場を後にした。
「リリトぉ……」
ゼッハが不安そうにリリトを見ると、リリトは再び、ゼッハの視線に腰を下ろし言った。
「大丈夫、貴女は私が守ります。とりあえず、先の連中はアーベル様に話した方がいいですね」
リリトは電話を取ると、ゼッハの叔父に連絡を取った。
「初めまして、私はゼッハの家政婦として雇われました。元ドイツ軍装甲部隊所属、リリトと申します」
ゼッハの叔父は、丁寧にリリトに返答した。
「初めまして、私はゼッハの叔父のアーベルシッチ・デーラです」
「この度、貴方の使いと名乗る武装集団に、ゼッハが誘拐されかけました」
「私の出した使いの者は、今から出発する所です。それは、すぐに警察に……」
「犯人は逃がしました。残念ですが、私は現時点では、貴方を信用できません」
電話の向こうで、アーベルは少し考えて言った。
「確かにそうですね。ではどうすれば?」
「疑念が完全に無くなるまで、ゼッハは貴方の元には向かわせません。シンゲン様の、この屋敷で私が身辺警護し、生活させます」
「分かりました。ゼッハを宜しくお願いします。もし、何か私が力になれる事があれば、何でも言って下さい」
「……分かりました。では失礼致します」
リリトは電話を置くと、優しい笑顔に戻り、ゼッハに尋ねた。
「ゼッハ、今日は何が食べたいですか? 何でも作りますよ?」
「何でも?」
ゼッハはリリトに耳打ちした。
「はい、シチューですね」
冷蔵庫を開けて、リリトは材料を並べていく。それらを見つめてふむと頷くとゼッハに言った。
「サーモンの入った、とっても美味しいシチューを作りますよ。ゼッハ!」
「うん!」
リリトは材料を切ると、小麦粉を炒めてホワイトソースを作った。
「リリト凄いねぇ! お父さんは、お店で売ってるルーを使ってたよ」
頭をかくとリリトは話した。
「私はゼッハに美味しいご飯を食べて貰いたくて、レストランで修行もしたんですよ! 大抵の物は何でも作ってみせます」
そう言って力瘤をつくる真似をしてゼッハを笑わせる。リリトは手際よく仕込みを終えると、ゼッハの目線に腰を下ろして言った。
「あと一時間くらい待ってくださいね? ゼッハ」
「楽しみ」
弱火でコトコト煮込まれている鍋を見ながら、リリトはゼッハの勉強を見ていた。
「やはり、シンゲン様の娘ですね。ゼッハは天才です」
数学の得意な大学生でも、小一時間はかかるような難解な問題をスラスラと解くゼッハに、リリトは感嘆の声を上げた。
実際そんな問題を教えているリリトもまた相当な頭脳を持っているのだが……
「リリト、そんな風に言うのやめて!」
ゼッハは、少し機嫌が悪そうにそう叫んだ。
「どうしたんですか? ゼッハ……」
ゼッハは泣きそうな声で呟いた。
「私は変じゃない。みんなと違わない! 学校の先生はいつも私に……」
リリトは優しくゼッハを抱きしめると言った。
「ゼッハは特別です。近所のミハイルやグレーティアも皆、特別なんです。それに、私にとっては貴女が全てです。誰よりも特別です。胸を張りなさい。ゼッハ」
ゼッハはリリトに抱きつくと、静かに頷いた。
「さぁ、そろそろシチューが美味しくなっている頃ですよ。食べましょう」
空腹を誘う匂いが、キッチンに広がった。
リリトは皿にゼッハの分と、自分の分を入れると、テーブルにパンと簡単なサラダを用意した。
「では、神に感謝して」
お祈りを済ませると、ゼッハはシチューをスプーンですくって口に入れた。
「美味しい。レストランで食べるシチューみたい!」
リリトは顔を真っ赤にして喜んだ。
「ホントですかぁ? ゼッハ、沢山! 沢山、食べて下さいね」
食後にミルクティをリリトは用意する。
それをゼッハが飲んでいる間に、リリトはゼッハの寝室を手際よく掃除した。
「少し早いですが、今日はもう寝ましょう」
リリトはソファーに毛布を用意する。
「リリトはそこで寝るの?」
ゼッハは、ミルクティーを飲みながらリリトに尋ねる。
「はい、私は家政婦ですから」
「違うよ! リリトは私の家族だよ。お父さん言ってた。お部屋あまってるよ?」
今にも泣きそうなゼッハを見て、リリトはゼッハの頭を撫でた。
「そうですね。ではお言葉に甘えて、ゼッハの隣の空き部屋をお借りします」
「あげる! あの部屋をあげるから、私をもう独りにしないで!」
ゼッハから大粒の涙が零れた。
リリトはその時、ゼッハが、父の死という悲しみを押し殺していた事を今更気づいた。
「私は自分がここまで愚かだとは思いませんでした」
小さく呟くと、再びゼッハを抱き寄せた。
「私は貴女の犬です。独りになんかさせません」
「ねぇ、リリト……」
「はい、何ですか?」
上目使いで、ゼッハはリリトに言った。
「一緒に寝ていい?」
「もちろん」
リリトはゼッハが眠るのを待って、家の周囲に簡単なブービートラップを仕掛けた。
人にはさほど気にならない音が鳴るような仕掛け、リリトには明らかに侵入者を感じる事の出来る音。
「三番街のバーでしたね」
ゼッハを一人にするわけにはいかないので、現地に向かう事が出来ず、少し悔しかった。
周囲に気配がない事を確認すると、リリトはゼッハの眠る部屋に戻った。
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