第2話 スピードをつける

その1


7月になった。初めての期末テストが午前中で終わった金曜日、僕は、部活用のTシャツとランパンに着替え、グラウンドの砂場へと向かった。僕は一番乗りで、砂場に危険なゴミがないか確認し、小石を取り除いてから砂場をならし、先輩方が来るまでストレッチやアップをして、それだけで炎天下の中、汗をかいていた。

 先輩方が一人、二人とやってきて、走り幅跳びチームのリーダーである松本さんの「よっしゃ」という掛け声と共に、いつものように自然発生的にそれぞれのメニューをこなし始める。僕たちは砂場でそれぞれのジャンプを繰り返し、お互いにフォームをチェックし合った。

 残念ながら僕たちは、インターハイの予選を誰も通過できなかった。唯一チームリーダーの松本さんが、県大会で4位入賞したが、3年間目標としてきたインターハイ出場はならなかった。インターハイに出れなかった時点で本当は3年生はもう引退なのだが、夏休みに入る直前まで、僕たち後輩の練習に付き合ってくれているのだ。夏休みに入ると3年生の先輩方は、受験勉強に専念する。

 僕たち走り幅跳びチームの中でもそれぞれ、実力の差はある。僕よりも距離が出なかったり、フォームが格好良くない先輩も正直、いる。でも、僕は先輩方みんなを尊敬している。なぜなら、全員が走り幅跳びを神聖なものとして捉え、真摯に向き合っているからだ。

 もちろん、スランプだったり、人と比べたり卑下したりしてモチベーションが落ちることは誰だってある。でも、そんなときも、松本さんの「よっしゃ」という掛け声で皆、我に返る。僕は、この先輩方が大好きだ。そして、このチームの一員である僕自身のことも、高校生になる以前の自分より、好きになり始めている。それは、さつきちゃんが僕のことを「かおるくん」と呼び始めてくれたことと相乗効果を織りなして、加速度的に、急激なスピードで進んでいることに気づく。そして、僕は、身長すら伸び始めていることに、感動を覚える。

 繰り返し繰り返し跳んだ後、僕たちは砂場から少し離れたポプラの木陰で輪っかになって座り、スポーツドリンクや麦茶を飲み始めた。


その2


「カールルイスって知ってる?」

 三年の木下さんが唐突にみんなに問うた。

「名前は聞いたことあります。100mのスーパースターだった人ですよね?」

 二年の武田さんは胡坐からしゃがむように座り直して言ったあと、スポーツドリンクをごくごくと飲んだ。

「100mももちろんなんだけど、カールルイスが世界的に知られたのは、走り幅跳びなんだよ」

 僕もロサンゼルスオリンピックの英雄だった彼の名前をお父さんから聞いたことがあった。また、お父さんは、ロサンゼルスオリンピックのファンファーレがいかに素晴らしいかを語り、you-tubeを検索してその演奏が記録された映像を見せてくれたことがあった。

 木下さんは、更に語り続けた。

「カールルイスは、空中を走ったんだ」

 チームリーダーの松本さんは知っているようだ。その上で木下さんの話を楽しそうに聞いている。それ以外の僕たちは、空中で走る、という映像を想像できず、木下さんの話の続きを目で促した。 

「彼は100mで金メダルを獲るその全力疾走で踏切板までを芸術のような美しいフォームで走る。そして、踏切の足にその芸術作品を完成させようという意思を込めて、力を乗せる」

 僕たちは、まだ映像を完全には想像できなかったが、木下さんが物語のように語るその描写だけで、カールルイスがどのような人間であるかを理解できた。

「でも、力を点に込めてそこで芸術作品が断絶する訳じゃないんだ。彼はその踏切の位置も含めて一つの作品のまま、空中でも走り続ける」

 僕は、一瞬、目を閉じてみる。空中で走る。まるで映画のワンシーンのような美しさを想像する。

「もちろん、地上を走っている時のフォームのままじゃない。空中を走る専用のフォームだ。でも、両手・両足・全身を使って、ほんの一瞬のはずなのに、ストップモーションをかけた、あるいは、一秒に数十回のシャッターを切った写真のような、美しい芸術作品がフィールドに浮き上がるんだ」

 木下さんは、皆の眼を一人ひとり、区切りながら観た。僕は、目頭が熱くなった。

「砂場に着地し、尻の跡が飛距離の最長点になっても、そんなことは問題じゃない。そのすべてが、‘美しい’、としか言えないんだ」

「胸にきますね」二年の武田さんが木下さんにほほ笑みながら言った。

「だろう?」木下さんは更に問い返す。武田さんは木下さんに、

「木下さんの熱い語りにですよ」と、答える。

 木下さんは、少し照れ笑いをして更に続ける。

「俺の語りも熱いかもしれないけど、俺はただ観て、自分の感じたままを小学生の感想文のように語っただけだ」

 松本さんも木下さんの感情に加わる。

「木下が言うのは本当だ。小学生が夏休みの読書感想文で「主人公はこうなんだと思いました」って、それこそ何の起伏もない言葉を並べるのは生徒のせいじゃないよ。自分には必要のない本を読むから、そんなことになるんだ。それじゃ、世の中のどこかの誰かのために必要とされているその本にとっても可哀想だ。」

 僕は、二人の話に引き込まれている。松本さんは更に続ける。

「カールルイスの跳躍は俺たちに必要なものだ。フォームが美しいから美しいんじゃない。スーパースターだから、ハンサムだから美しいんでもない。仮に不細工でも、不潔でも、人間として美しい、と思えるような、そんな跳躍なんだ」

 松本さんが話し終わった後、ポプラの木陰を、涼やかな風が、さあっと通り過ぎて一瞬の沈黙があった。

「・・・・と、木下や俺の場合は思う」松本さんは、照れ笑いを浮かべ、木下さんに、「な」、と眼で合図をし、ぱん、と手を叩いた。

「じゃあ、不細工で不潔な我々も、その美しさを求めて、もう一跳びしますか」

 武田さんの言葉に、「よっしゃ」と全員で尻についていた草と土を払い、砂場へ向かって歩き始めた。



その3


 今日は、各チームの練習が終わった後、陸上部全体でのミーティングがあった。遅い午後、少し涼しくなりかけた時間帯に、部室ではなく、がらんとした学食のテーブルにめいめい座って、陸上部男子全体キャプテンを務める3年の金岡さんと、同じく女子全体キャプテンを務める3年の土田さんがみんなの前に立った。金岡さんが議事を進める。その傍らに陸上部顧問の三谷先生が足を組んで座り、ミーティングの進行をじっと見守っている。

「伝達は2つ。まずその1」

 金岡さんはクールでクレバーな語り口で、いつものように簡潔で適切な言葉を並べる。

「三年生と一・二年生のバトンタッチリレーの日取りだ」

 この、バトンタッチリレーは、陸上部の恒例行事で、それぞれトラック一周400mずつ走り、引退する三年生から一・二年生に、文字通り「バトンタッチ」するリレーだ。これは、男女混合で、陸上部全員で行う。参加チームは「陸上部全員」の一チームのみ。タイムを計るわけでもなく、競争する訳でもない。短距離チームも長距離チームも走り幅跳びチームもやり投げチームも関係ない。ルールはただ一つ。その人自身の「全力疾走」をすること。最初は三年生が順不同で走り、三年生の中のアンカーは女子全体のキャプテン。二年生の第一走者は次期男子全体のキャプテンで、二年生のアンカーは次期女子全体のキャプテン。それから一年生は順不同で三年・二年からのバトンをつないでいく、という伝統だ。人数が少ないとは言いながら、男女合わせれば30人近くいるので、それなりに時間はかかる。陸上部内部の行事なのだが、毎年、結構な人数のギャラリーが炎天下の中観に来てくれ、走り終わったら盛大な拍手喝采を浴びせてくれるのだ。

「夏休みに入る直前、すなわち終業式の日の午後1:45分、スタートだ。この日、俺たちは完全に引退し、後輩の皆に、文字通りバトンタッチをする」

 おおー、と、いう声とともに、学食に拍手が起こる。

「伝達その2」

 金岡さんは皆をぐるっと見回す。

「白井市で県内初のフルマラソンの大会が開かれるのは知ってると思う」

 僕たちのいる鷹井市から東に約40kmの白井市ではこれまで県内で最大の市民ランナーの大会が開催されてきた。フルマラソンではないのだが、ハーフマラソンと10km、5kmのコースがあり、ハーフマラソンには地元実業団選手を含む、国内トップ選手の何人かが招待選手として出場する、規模もレベルも県内随一、いや、国内においても格式ある大会として知られている。その白井市の大会が、満を持してフルマラソンのコースを作るのだ。

「9月15日、日曜日、エントリーはかなり埋まってきているが、まだ間に合う。県内各高校の陸上部に、主催者である白井市役所から、若いランナーにもふるって参加してもらい、大会を盛り上げたいという趣旨の依頼が来ている」

 金岡さんは、にこっと笑った。

「俺たち3年は参加できないが、1・2年生の皆には栄誉ある県内初のフルマラソンの大会に参加する機会をできれば逃さないようにして欲しいと思う」

 身じろぐ者、参加する気満々の者、様々いる部員をゆっくりと眺めまわして金岡さんは笑顔で続ける。

「もちろん、強制じゃない。自由に走り、跳び、投げる、というのが我ら鷹井高校陸上部の伝統だ。フルマラソンとなると、それぞれの専門の競技のコンディションにも却って悪影響を与える可能性もある。また、9月はまだまだ暑い時期だ。成人ランナーでも体力的に非常に苛酷な大会になるのではないかと思う」

 フルマラソン化の準備のため、通常は5月下旬に開催される大会を9月に繰り下げざるを得なかったという事情が初回大会にはあるのだ。

 金岡さんは皆の顔をきちんと見ながら、染み入るような言葉で語り続ける。

「フルマラソンでなくてもハーフでも10km、5kmでもいい。参加するもしないも当然自由だ。沿道で応援するのも、夜のニュースを熱く見るのも、どんな形であれ、陸上を愛する人間として形は問題じゃない」

 金岡さんは、参加しない部員への気遣いから言っているのではない。本当に本気で、陸上を愛する人間にとっては自ら走る・走らないすら関係ないことだと言っているのだ。金岡さんが話すと、それが自然に本当・本気のこととして感直に感じられる。

「とにかく、白井市が呼びかけてくれたことに感謝しよう」



その4


 僕は、ミーティングが終わって部室で着替え、家に向かって歩きながら、色々と考えていた。‘フルマラソン’。自分の専門の競技はどうあれ、陸上、いや、’走る’存在である人間の本能として、憧れと尊敬を感じる響きだ。フルマラソンを走り切れば、自分の人生すらまた別の段階へと進むのではないかと感じる。

 ただ、まだ、決めかねている。自分は陸上部でありながら、中学生の時も校内マラソン大会では真ん中よりも遅い順位だった。自分の脚力と心肺能力はある程度わきまえている。僕が走り幅跳びを選んだのは、小学校一年の時、初めて跳んだ立ち幅跳びの記録を、お母さんのような女の先生から褒められたからなのだ。それ以来、自分は幅跳びが得意なのだという思いにしがみついて、小学校も中学校も努力してきたのだ。いわば、僕の砦のようなものなのだ。その僕が、フルマラソンに挑戦できるのだろうか。

 僕は、朝と同じように遠回りになるが、帰りにも、あの木造のおばちゃんの家の前を通ろうという気になった。今朝通ったときは、早朝から既に夏の太陽が照り付けていたせいか、おばあちゃんの姿は窓になかった。幼稚園の生徒や、小学校低学年の生徒は、夏休み間近のうきうきした気持ちからか、6月までの元気さ以上に、おばあちゃんの家の前を歩いたり走ったりして通り過ぎていったが、おばあちゃんは家の中に引っ込んだままのようだった。

 夏の夕暮れ間近、街路樹に油蝉の声は当たり前のように聞こえるが、その油蝉の声がさざ波のようなBGMに感じられるように、一匹のヒグラシの鳴き声が聞こえてくる。おばあちゃんの家の少し向こう、デパート寄りの街路樹から聞こえてくるようだ。僕は、中学3年の時まで、ヒグラシの声を聴くと、夏の終わりのような物悲しい気分になっていたが、ついこの間、太一から、ヒグラシはセミの中では夏の一番初めに鳴き始めると聞いて、随分と印象が変わった。

 おばあちゃんの家の前に差し掛かる。窓を見るが、いない。少し心配になったが、ふっと見ると、家の前のプランターに植えられた朝顔の脇に、おばあちゃんが立っていた。小柄なので、すぐには気付かなかった。

 いつも窓にたたずんでいる姿しか見てなかったが、初めておばあちゃんの全身を見た。玄関の格子戸の脇にある水道の蛇口からじょうろに水を入れているところだった。よく見ると、腰が曲がり、足も少し湾曲しているように感じる。思った以上に高齢なのだろうと、漠然と感じた。おばあちゃんがその後、朝顔に水をやるであろうことは容易に想像できたし、その様子を見ていたいとは思ったが、立ち止まるのは不自然なので、視線を左側にちらっとやりながら通り過ぎようとして、ん、と思った。

 玄関の格子戸にはすりガラスがはめられていて光は通すはずなのだが、家の奥からは電灯の光が漏れてこない。まだ日は暮れきっていないとはいえ、この日当たりの家ならば夕飯の支度や家事をしたり、あるいはテレビを見たり新聞を読んだりといったことをするには明かりをつけないとできないはずだ。明かりと同様、人の気配も漏れてこないことを、僕なりに感じた。

 もしかしたら、独り暮らしかもしれない。きょうびの時代、想像して当然のことを、僕は今日の今日まで気付かずに毎日この家の前を通り過ぎていたようだ。

 おばあちゃんの顔を見ることはできたが、それ以上に、自分の将来にも暗い雲がうっすらとかかるような気がした。おばあちゃんの家を通り過ぎた時、はっと後ろを振り返ると、神社の大きな石の鳥居の向こうに美しい夕焼けがかかっていた。本当に美しい夕焼けで、ただただオレンジ色という単純な表現しか許されないような夕焼けだった。僕は久しぶりに夕焼けが悲しいと感じた。




その5


 週明けの月曜日、僕は相談すべきかどうか、迷っていた。相談されても困るだろうし、なんて優柔不断な奴だと思われるのも何となく嫌だし。だけれども、話をするきっかけになるだろうから、思い切って相談しようという方向に傾いていた。

 僕とさつきちゃんが、お互いを下の名前で呼び合うようになったのが先月の6月のことだったが、実はそれ以降、それほどたくさん話をしたり、二人の接触が増えたわけではなかった。朝会えば、「かおるくん、おはよう」と言ってくれるし、にこにこ笑いかけてもくれるのだが、特に用事が無いときにまで二人で話し込んだりということはまず無かった。

 当然と言えば当然のことなのかもしれない。恋人でもなんでもないのだから。ただ、「かおるくん」「さつきちゃん」と日常会話をする時の枕詞のように声を掛け合っているだけだといわれればそれまでだ。僕はそれでも満足だし、それ以上のことを望んだとしたら、さつきちゃんのお母さんが「学生なんだから、好きとか嫌いとかいうのはもっと先の話」という考えからもずれてしまう。それはさつきちゃんの本意でもないし、僕自身も単純な恋愛感情で区切られるような関係はむしろ不本意に思う。

 でも、それにしても、これではクラスメートだというだけであって、さつきちゃんが言っていた、「恋人とか友達とかいうのとも違う、特別な関係」でもないような気がするのだ。

 それがちょっと寂しい、というだけのことなのだけれども。

 授業と授業の間の10分の休み時間では色々と話ができないので、午前で授業が終わった後、部活が始まるまでの弁当の時間に思い切って話してみようと思った。

 さつきちゃんは部活に入っていないので、本来、夏休み前のこの時期には、午前中で授業が終わった後帰宅するのだが、今日は秋にある体育祭の委員会があるので学校に残ることを知っていた。

 いつも僕は、午後からバレーボール部の練習がある太一と一緒に弁当を食べているのだが、今日は、太一には遠慮してもらうつもりだ。

 午前中の授業が終わったあと、僕は、さつきちゃんに声をかけた。

「あの・・・」と切り出すと、さつきちゃんは、そうじゃないでしょ、というちょっと悪戯っぽい怒ったような顔をして見せて、すぐに笑顔になった。僕に、ちゃんと、名前で呼べという合図だと分かった。

「さつきちゃん、ちょっと相談があるんだけど」

「相談?わたしで役に立つかな・・・」

「ちょっと色々と説明が必要なんだけど」

 相談には少し時間がかかることを、僕は暗に言った。

「じゃあ、一緒にお弁当食べながら話そ?かおるくんはお昼から練習でしょ」

「うん、そうしようか」

 僕はさつきちゃんの席の付近から自席に戻り、弁当を出そうとした。すると、さつきちゃんは自分の弁当袋を手に、僕の席の方に来て空いている椅子を引き、僕の机の向かい側に座った。ちょっと、大胆な感じもしたし、周囲の人目も気になるが、さつきちゃんは一向に構わない様子で、お弁当の袋を開き始め、また僕に向かってにこにこしている。

 実際、周囲にはあまり人はいなかったが、それでも2~3人で固まっていた男子は、おっ?という感じで見ていく。僕はできるだけ弁当のおかずを見るようにして話し始めた。

 僕が相談したのはつまり、白井市のマラソンに出るべきかどうかということだ。こんなこと相談するまでもなく自分で決めればいいことなのだろうけれども、僕という人間が、マラソンを走ろうと考える人間なのだということを知って欲しいという、厭らしい気持ちがあったのだ。けれども、さつきちゃんは、僕のそんな厭な心根を特に気にもかけない様子だった。

 僕は、先週末の陸上部のミーティングの話をして、フル、ハーフ、10km、5kmへの参加の可能性を示した。僕はフルへの憧れがあるけれども、自分が小学生の頃から、いわゆる「走る」ということそのものではなく、「立ち幅跳び」の延長線上に自分の陸上競技生活がある旨を説明した。そして、今、それぞれへの参加・不参加を決めかねていることを説明した。

「んー、確かに難しい選択だね」

 さつきちゃんはあくまでも僕の優柔不断な相談に付き合ってくれるようだ。

「わたしでも多分迷うと思う。かおるくんは一番長い距離を走ったのはどのくらい?」

 僕はさつきちゃんの問いに、小学校以来のかけっこから校内マラソン大会まで、色々と思い出してみた。

「中学校の時の校内マラソンが7~8kmで、それが一番長いと思う」

「結構長いね。わたしの中学はマラソン大会が無かったから、小学校の時のマラソン大会1kmが一番長いかも」

 なんだか、とてもかわいらしい話のように思える。さつきちゃんはまだ話し続けた。

「中学の体育の中距離走が女子は800mだし。男子は1,500mだったけど。部活の練習では何kmも走ったけど、距離もタイムも図ったわけじゃないし」

 部活?僕はさつきちゃんと運動部がどうしても結びつかないような気がして、さつきちゃんの部活の話を聞きたいと思ったが、さつきちゃんは更に話し続ける。

「かおるくんは幅跳びの選手だから、それを基準に考えたらいいと思う」

 僕はだんだんと考えがまとまってきた。今度は僕の方からさつきちゃんに話していく。

「マラソン大会の後に秋季大会があるから、幅跳びの状態を最高潮にもっていくとしたら、長い距離で足へのダメージを残すのは避けようと思う」

 さつきちゃんは、うん、うんと真剣に聞いている。

「とすると、ハーフか10kmか。未知の距離に挑戦したい気持ちはあるけれども、僕は、今、陸上競技者としての課題にぶつかってる」

「課題?」

 さつきちゃんが実に話しやすい合いの手をいれてくれる。

「うん。ぼくはもう少し、スピードをつけたい」

 さつきちゃんは、更に合いの手を入れ続けてくれる。

「それは、走り幅跳びにも必要?」

「うん。走り幅跳びの選手は短距離の選手のように、やっぱりスピードが求められるんだ。助走はもちろん、スピード感がとても大事」

 さつきちゃんは、徐々に僕の話が陸上談義になりつつあるのを真面目な顔で聞いてくれている。

 僕は演説のようにしゃべるのは自分以外の人間がやること思っていたが、さつきちゃんが一々真剣に聞いてくれるので、ものすごく気分よく演説調でしゃべり続けていた。

「だから、10kmを駆け抜ける、という挑戦をしてみるよ。自分は今まで、走るということとあまり面と向かって付き合って来なかったなあ、としみじみ思う。だから、10kmで自分なりにタイムにこだわってみるよ」

 さつきちゃんは、拍手しかねないような笑顔をしている。もしさつきちゃんが拍手をしそうになったら、僕は止めなくてはならないと本気で考えた。

「私も走ろうかな・・・」

 僕は、声には出さないが、えっ、という顔をあからさまにした。そんな僕の顔を見て、今度はさつきちゃんが演説口調で話しはじめそうな気配が感じられた。

「わたし、一応、中学の時、ソフトボール部だったんだよ。わたし、顔、黒いでしょ?」

 僕は、遠慮がちにちょっと日焼けしたような感じかな、と言った。

「わたし、中学3年の夏に引退する前は、本当にもっと真っ黒だったんだよ。引退後に半年、高校に入ってから3か月で大分日焼けがあせたんだけど」

 僕は、さつきちゃんに恐る恐る聞いてみた。

「さつきちゃんて、もしかして走るの速かった?」

 実際、陸上部員よりもサッカー部員や野球部員の方が長距離走が速い例をいくらも見てきた。鷹井高校でも長距離が一番速いのは二年陸上部の長距離エース、早水さんだが、二番手は野球部のエースナンバーをつけたピッチャーだというのが、生徒たちの一致した意見だった。

「ううん、同じ部で私より速い人が2人いたから、特に速くはないよ」

 ソフトボール部で1、2位の速い人は全部活動の中でも相当速いということは想像できる。要約すると、さつきちゃんはソフトボール部で3番目に速く、運動部員全員の中でも上位だろうということだ。

「そっか、うちの高校にはソフトボール部が無いからさつきちゃんは部活入ってないんだ」

 僕の何気ない言葉に、さつきちゃんが顔を少し歪めた。

「・・・ううん、ソフトボールは団体競技でしょ。みんなで一緒にやっていると色んなこともあったから、高校では一旦部活は離れてみようかなって」

「・・・ごめん、聞かない方がよかったね」

 けれども、すぐにさつきちゃんは、にこっとした顔に戻る。

「ううん、違う、そんな、思い出したくないようなことでもないよ。それに、わたしが帰宅部なのは、家でお母さんの晩御飯の用意を手伝わなくちゃいけないから」

「さつきちゃん、晩御飯つくってるの?」

 僕は大げさにではなく、きょうびの僕ら高校生の中に、まだそんな古風な人種が残っていることに本当に驚き、頭が下がる思いがすると同時に、さつきちゃんのことがクラスの中ですぐに気になった理由がなんとなく分かった。

「そうだね。さつきちゃんの活動を無理やり分類するとしたら、‘帰宅系家庭科部’だね」

 僕がそうさつきちゃんのことを評すると、さつきちゃんは、ふふっ、と本当にうれしそうに笑った。笑顔というよりは、笑い顔だった。さつきちゃんは自分でまた、こんな風に付け足した。

「じゃあ、‘自主トレ系マラソン部’もやってみるね」

 気が付くと、箸もおいたまま真正面に向かい合ったまま話していたので、二人とも弁当に手を付けていなかった。午後の部活・委員会開始まであと15分。2人して大急ぎで弁当を食べ始めた。

 

 家に帰ってその夜、僕は10kmに、さつきちゃんは5kmに、ネットからエントリーした。


その6


 昨日の終業式、陸上部のバトンタッチリレーの興奮収まらぬまま、僕は夏休み初日の朝を迎えた。

昨日の昼下がり。快晴の照り付ける太陽の下。陸上部が走り始める前後からグラウンドの木陰や日差しの照り付ける炎天下やグラウンド側に向かった校舎の窓から、たくさんの生徒がギャラリーとして見守ってくれる中。僕たち陸上部員はトラック一周400mを全力で一人ずつ駆け抜けていった。次の走者にバトンを渡すのだが、それぞれの心は・魂は、バトンの先を突き抜けて、駆け抜けていく。その駆け抜けていく力に並走するように次の走者が加速し、戦闘機のカタパルトに押し出されるように、次の400mを全力で走り出すのだ。

 ギャラリーの皆も懸命に叫んでくれる。あるいは沈黙しながらも熱い想いをトラックに向けて放出してくれる。がんばれー、と叫んでくれる女子生徒。こらー・いけー!とがなり立てる男子生徒。先輩から後輩へ、同輩から同輩へ、そして先輩から後輩へ、最後には僕たちひよっこの一年生に。アンカーは一年生短距離チームの金田。バトンをなめらかに手にした瞬間、陸上部員全員が400mずつ加速してきたそのエネルギーを一気に爆発させるような、美しく、力に満ち溢れた走りをスタートさせた。両手を挙げてゴールした瞬間、陸上部員全員とギャラリー全員から、わああーっと歓声があがった。ハイタッチする者、拳を合わせる者、肩を叩きあう者、男子部員も女子部員も分け隔てなく、喜びを分かち合った。歓喜の時間の後に、クーラーボックスからスポーツドリンクを引っ張り出して、陸上部全員で喉を鳴らして飲み干した。そして、僕たちは、このトラックの上での3年生の姿と、お別れした。


 名残惜しむように、昨日のバトンタッチリレーの光景を僕は夢で見た。その夢から覚めて、目覚まし時計のアラーム音ではっと目を覚ます。Am5:15。今日から、9月15日の10kmマラソンに向けて、トレーニングを開始する。スタート地点は自宅。ゴールは親水公園の芝生広場。チェックポイントは近隣のいくつかの神社。ネットで見つけた地図上の距離を計測できるアプリで調べると、このコースは全長11km。自分で言うのも何だが、うまく設定したコースだと思う。

 布団から抜け出て、まず僕はベランダの窓を開け、朝の空気に向かって、誰にともなく、今日もよろしくお願いします、と心の中で声をかける。僕のおばあちゃんは、中学生の時に亡くなったのだが、僕が小さい頃からこんな話を何度もしてくれた。

 地元の氏神さまは、氏子を守り通しだ。夜が明ける前、氏神さまは、氏子の家の数だけに分身なさる。そして分身なさった氏神様は氏子全員の家の前においでになり、氏子たちが今日も無事に暮らせるよう、祝詞をあげ続けられる。そして、氏子が目を覚まし、家の戸を開けると、今日も元気に朝を迎えたな、と安心され、そしてお社へお帰りになるそうな。だから、早起きの家は、神様にご負担をおかけしないのだそうな。

 こんな話を何度もおばあちゃんはしてくれた。僕は、この話は本当だと、心に刷り込まれているし、実際、そうだということを前から知っていたような気がする。

 だから僕は、目が覚めると今でもまず、窓を開ける。



その7


 まだ僕しか目を覚ましていない家の中、台所へ行き、ストレッチを始める。アスファルトの上を走るので、膝をやられないように、足のストレッチを念入りにし、最後に軽く上半身、腕の筋を伸ばした。そして、コーヒーメーカーに入ったままになっている冷えたコーヒーをマグカップに1/4ほど注ぎ、ごくっと飲み干す。運動の前にカフェインを摂ると、脂肪を燃焼しやすくなり、エネルギー効率が良くなるのだ。自転車のロードレースの選手はレース前にコーヒーを飲んだり、炭酸を取り除いたコーラを飲んだりしている。

 僕は、玄関を出てカギをかけ、腰にぴったりと巻けるウエストポーチに鍵と小銭を入れ、走り出した。夏とは言え、早朝だとまだ涼しい。天気は雲一つない快晴。今日も暑くなりそうだ。上はロボットがガラスケースの中から「出してくれ」と頼んでいる絵柄の書かれたTシャツ、下はランパンで、出だしは快調。まずは、走り出して駅方向に500mほど進んだところにある、中くらいの大きさの川の脇にずっと連なっている桜並木の遊歩道の橋の手前までたどり着く。その橋のすぐ手前に、観音様のお堂と、そのお堂の隣にはお地蔵様、そのお地蔵様の少し後ろに、剣を持ったお不動様がおられる。ここは、お盆やお花見の季節になると、地元の町内の人たちが、茣蓙を敷いて、仏様にお供えものをし、お酒を酌み交わしてお祭りをするのが恒例となっている。ここが僕の第一チェックポイントだ。僕はウエストポーチから1円玉か5円玉を出して、スチール製の郵便受けのような形をしたお賽銭の箱に入れ、手を合わせる。特に何かをお願いする訳でもなく、手を合わせて5秒ほどじっとして、そして、また走り出した。

 今度は市で一番大きな川の橋を渡るポイントまで来た。この橋の手前にもお地蔵さんがおられる。このお地蔵さんはかなり大きなお地蔵さんで、プレハブのお堂に見立てた建物の中におられる。僕はまた1円玉をお賽銭箱に入れ、手を合わせる。本当は百円玉か10円玉をと思うのだが、僕の経済力では本当に申し訳ない話だが、無理なのだ。

 僕は、こんな風にして、チェックポイントを、お地蔵様や神社に設定し、途中途中ストップしながらのコースとした。どれもお父さんかお母さんの運転する車では通ったことのある道だが、自分の足で走るのは今日が初めてなので、途中に神社があったら、そこをチェックポイントにして、立ち止まりながら走れるコースにしようと思っている。

 ノンストップで走るのは無理だと僕は考えたのだ。10km走るにしても、アスファルトの上を走るので、膝に相当な負担がかかることは予想していた。なので、途中、適当な距離距離で止まりながら走るようにしようと思ったのだ。そして、チェックポイントが神社やお地蔵様というのは、一応理由がある。お父さんがよく神社に連れて行ってくれたことが理由その1.理由その2は、中学3年の高校受験の際、成績が思うように伸びず、志望校である鷹井高校に受かるかどうか微妙な状態になっていた時のことだ。親戚のかなり年配のおばさんが、僕のお父さんがうつ病になっていたことが、僕の学校生活全般にも影響を与えているのではないかと心配してくれて、こんなアドバイスをくれたのだ。

「かおるちゃん、家から何kmか行ったところに一の宮の神社があるだろ。毎日勉強する前に、その神社まで走って行って、お参りしてから机に向かうといいよ。必ず、あんたのためになるよ」

 僕は、お父さんのうつ病のことももちろんあったけれども、とにかく勉強ばかりしないといけないという気持ちが空回りしていたのだ。こんな時、おばさんが僕に教えてくれたことにすがるようにして、僕は走った。このおばさんは、何か不思議な、先の未来が見えるようなところがあり、親戚の中でも何かと相談を受けるような存在だった。

 高校受験の時期にこうやって神社に向かって走ったことがどの程度僕のためになったのか、僕自身は分からないが、とにかく、皆が勉強しているさ中に「走った」という思いが、奇妙な自信になり、受験当日は、なんだか自分が回りの受験生に対してアドバンテージを持っているような、不思議な落ち着いた気分になったのを覚えている。今思えば、さつきちゃんも受験当日、高校の受験会場となったどこかの教室にいたはずだ。さつきちゃんは何かアドバンテージを感じて試験を受けていたのだろうか。

 僕は、こんな経緯から、神社やお地蔵さんや観音様のお堂がなんだかとても懐かしく感じられるのだ。


その8


 僕は、市で一番大きな川の下流の方の橋を渡りにかかる。車道の横に、一段上がった、自転車と歩行者用の結構幅広の道があり、そこを走る。ふっと、右手下流の方向を見ると、ずっと向うに川と海が混じり合う河口の緩やかな流れが目に入る。背後から段々と太陽が高くなっていく様子が、振り返らなくても、背中のTシャツにさあっとした日の当たる感触が伝わり、分かる。橋を渡り切ったところにある横断歩道で赤信号を待つ間、軽く屈伸した。足はまだ大丈夫、走り出した時とほぼ同じ状態だ。

 横断歩道を渡り、少しなだらかな登り道が続く。その後また平坦な道となり、アスファルトの歩道を少し前傾姿勢でとっとっと走り続けた。ドラッグストアの横を通り過ぎ、小・中学校の校門の横を通り過ぎ、電鉄の踏切に差し掛かった。できる限り足に負担がかからないように、線路の起伏を避けて走るようにした。線路を跨ぐと、次のチェックポイントが見えてきた。鳥居が見える。山に登りかかる前に神社が見える。この場所に神社があるということは知らなかった。けれども、ちょうど山を登る前に心を新たにすることができると考えた。神社の鳥居をお辞儀をして通り、階段を上る。お社の前に来て、お賽銭を入れ、二礼二拍手一礼した。再度出発の前に、腿の後ろをストレッチで伸ばした。神社の階段を駆け下り、200mぐらいの高さの峠道を登りにかかる。スピードはぐんと落ちるが、足がきちんと接地して、ギアが噛み合った走りのような感じがする。けれども、わずか200mの高さを登りきるために、湾曲した道路を俯き加減で、どこまでも延々と走り続けるような錯覚に陥った。サンシャイン60の非常階段を上りきるレースを以前テレビで見たことがあったが、似たような感覚があるのかも知れない。

 僕は、坂道を上り、隣を時折車が結構なスピードで通り過ぎていく。おそらく、頂上から僕たちの市の平野を見渡すのだろう。僕も早く視界に広がる平野を見たい。けれどもそのためにはこの急な上り坂をなんとか登りきらないといけない。少し歩こうかとも一瞬思ったが、もうちょっと足が動きそうな感じがしたので、止まらなかった。足にどんどん乳酸がたまってくるのがはっきりと分かる。頑張って頑張って、頂上の展望スペースの少し広場のようになった場所に設置されているベンチが見えてきた。

 もう一頑張り一頑張り、更に一頑張りして、ようやく頂上にたどり着いた。この地点で出発してから何kmになるのだろう。全体コースの距離はネットで計測したが、それぞれのチェックポイントがどの位置関係・距離にあるのかまでは調べていなかった。その展望広場から、低いフェンスの手前に立ち、僕たちの市の平野を眼下に見渡した。朝日が美しく、平野全体を照らし、高い建物は少ないのだが、いくつかのある程度の高さのビルも美しく映えていた。僕は、駅の方を見た。駅は僕の家から見た時は北に位置する。したがって、今見ている駅の南側に僕の家がある。

 そして、駅の北側には親水公園の向かいのさつきちゃんの家がある。僕が目指すゴール地点は、親水公園だ。もう一度平野を見渡すと、さつきちゃんの家が目に入ってきた気がした。



その9


 今度は山を下る作業だ。走り幅跳び専門とは言え、長距離を走る際の注意点をある程度は心得ている。下りこそ足腰が苦しい。呼吸は落ち着くには落ち着く。また、小学校低学年の頃ならばこれくらいの下り坂を全速力で笑いながら駆け下りても、何事もなかったように連れ立って走り下りた友達とがやがやと喋っていることができただろう。しかし、まだ16歳ではあるものの、自分の体はもっと‘若かりし’ころと比べれば、ガタがきている。いや、というよりはもしかしたらデリケートになったのかもしれない。急な下り坂で勢いに任せて駆け下りると、16歳のデリケートな膝が、足首が、痛めつけられるのだ。僕は、随分昔に読んだ、不良だが合理的なトレーニングを行う高校野球のピッチャーが主人公の漫画を思い出した。雨で外での練習ができない日、一人が他の部員を背負い、校舎の中の階段を駆け上がって足腰を鍛えるトレーニングだ。そして上まで行くと今度は入れ替わって背負われていた部員が背負っていた部員を背負い、今度は階段を駆け下りる。そのトレーニングの時、不良のピッチャーは相手が先輩であろうと、絶対に負ぶって駆け上る役をやらない。その代わり、負ぶって駆け下りる役は自分の番でなくとも、横取りしてもやるのである。不良のピッチャーは先輩や同輩に、「上る役をやっても根性がつくだけで、なんにもならない」と切って捨てるのである。先輩方は生意気な奴だとは思うが、ピッチャーとして、シュアなバッティングをするクリーンアップとして、実力を見せつけられている相手であるということと、不良であるということで、何も言えない。そんなある日、その不良のピッチャーが、学校の近くの十数階建ての高いマンションで、独りでエレベーターで上に登っては階段を駆け下りる作業を繰り返している様子を先輩の一人が偶然見かける。駆け下りる作業の方が遥かに足腰を鍛えるということが先輩にも分かる。限られた高校三年間を使って最大限の効果ある練習をしようと思えば、階段を一回駆け上がっている暇に、三回駆け下りていた方がいいという超合理性だ。

 僕は、こんな話を瞬間的に思い出しながら、つまり、下りは特に膝にとってとてつもなく負荷のかかるものだと納得して下り始めた。

 速すぎても、反対にゆっくりすぎても余計に膝に負担がかかる。いっそ、歩こうかとも思ったが、9月に走る白井市の10kmのコースには白井川という一級河川にかかった、急勾配の大橋を登って下るコースがあることを知っていたので、やはり走って感覚を掴んでおく必要があると考えた。その大橋は、まっすぐではなく、カーブして架かっており、そのため、直線ではない分勾配が若干緩められるけれども、代わりに登り切った後の下りがとても長い距離になる。

 僕は、目の前にある山の下りコースを、一番足の加減がよいように、意識して下って行った。

 山を下り終わると、今度は市内でも一番交通量の多い道路の左脇の歩道を走る。この道もしばらくは下りが続くので、要注意だ。

 夏のAM6:00過ぎ。早い時間なので、車の量は少ないだろうと思っていたが、意外にもかなりの車が、走っている。考えてみたら、休みなのは僕たち学生だけで、皆、平日の朝、仕事や様々な活動を始めているのだろう。僕のお父さんも、今日もまた会社に出かけるはずだ。

 下った後、また、上り坂となる。明らかに上りの方が足の調子がいい。

 しっかりと足に力が加わっている、という感じがする。歩道橋のある交差点で一旦赤信号を待ち、青に変わると待ちかねたように足を交互に動かし始める。僕は、今度は瞬間的に、以前読んだ小説のワンシーンを思い出す。走るとは、体を前傾し、倒れる前に足を前に出し、次にはまた倒れる前にもう片方の足を前に出すのだ、という描写があった。これは、姓が同じ、両名ともに素晴らしい小説家の、最近はあまり小説家としては注目されていない方の人の作品だったのだが、本当に美しい、でもちょっと残酷なにおいのする脳に残る表現だった。

 この小説のように恰好良くはないが、僕は、倒れないように、足を前に出す作業を繰り返した。その内に、道路の右向こう側に、県内唯一の国立大学のキャンパスが見えてきて、その校門の前にある市電の停留所に、始発だろうか、市電を待つスーツを片手に抱えたサラリーマンが何人か立っているのが見えてきた。

 そこが市電の始発・終着であり、そこから道路の真ん中に市電のレールが走っている。

 僕は停留所のサラリーマンの人たちを顔を右に向けて眺めながら、今度は上り坂の先に続く、来る時に渡った橋よりももう一つ上流にある橋を視界に入れていた。

 橋の前の交差点を、今度は信号に引っかからずにストレートに進み、さっきの山ほどではないが、それでもかなり勾配のきつい、橋を上り始める。

 上る内に、随分と足に乳酸が溜まってきたな、と認識し始めた。早く上りが終わって欲しい、と、さっきまでは無かった感情が起きる。

 車が何台か脇を通り過ぎ、僕の正面から、さっきのサラリーマンの人たちを迎えにきた、一両の市電が近づいてきた。その直後、僕は橋の坂を上り切り、目の前に3,000m級の連峰が、がん、と現れた。さっき上った山から見たものとは明らかに違う、平野の向こうに突然そびえ立つ、という感じで、目の前にいきなり現れた。平野と連峰の麓の区切りの部分は見えないが、街並みの向こうに、車の向こうに、人々の向こうに、隣接しながらも、別次元の存在として、目の前にある。冬の空気ほどの透明度はないが、それでも、本当にくっきりと見える。そして、その背後から、ついさっき上り切ったばかりの朝日が逆光となって稜線を黒く塗りつぶしている。

 16歳の、高校一年生でしかない僕の、それでも、なんだか、思わず、頭を下げたくなるような不思議な感情。僕は、亡くなったおばあちゃんが、あの連峰は阿弥陀様の化身なのだ。あの連邦は、台風や地震の力を柔らかく吸い取り、わたしらにとって差し支えない程度、それこそ大難を小難に、小難を無難にして下さり、連峰はわたしらをお守り通しなのだ、と、おばあちゃんは、自分のことを自慢するように語ってくれた。

 この橋の上からの連峰は、市電や車の窓ガラス越しには見たことがあった。

 でも、自分の足で走り・立ち、橋のてっぺんに乗っかった、僕という身長の位置から、肉眼で連峰を見たのは、これが初めてかもしれない。パノラマ、というのはありふれた平凡な言葉だが、この、ただ今現在、自分が見ている風景の同時通訳のために使った瞬間、「パノラマ」という言葉は血の通った、僕だけのための言葉となった。

 僕は、子供の頃、山よりも海が好きだった。山はなんだか、出口の無い、先細りの寂しさを感じさせた。

 でも、今、僕は、山も、海も、好きだ。


 橋を上って下り降り、最初の交差点を右に曲がる。このまままっすぐ行くと、僕が朝の通学の時にお参りさせていただいている神社に、横側から行き着くのだ。このチェックポイントの間隔は一番長い。

 僕は、もう一息、と、ペースを落とさないように走った。

 

 神社に着き、手水で左手・右手と清め、口を漱ぐ。大鳥居の次に、境内の中にある鳥居の前でかるくお辞儀をして、お社に進み、お賽銭を入れる。二礼二拍手一礼をし、下がろうとすると、社務所の前で、真っ白な着物に紫の袴を穿いたいつもの装束の神主さんが、近所から来たお年寄りや小さな子供たちと一緒にラジオ体操の準備をしている様子が目に入った。

 あ、ということは今AM6:30頃、家を出て、もう一時間経ったのか、と思った。

 僕は急がなくては、と焦り始めた。実は、今日のゴール地点で、待ち合わせをしているのだ。AM7:00頃、という約束なので、急がなくてはならない。

 僕は神社の右側面の出口から出て走り始め、大鳥居の前の、日の出のお日様に真っ直ぐ正面に向かった、デパートに続く大通りを少し進んだところで、信号を渡って、右の脇道に入っていく。

 本当はこの大通りをデパートに向かって進めば、あの古い木造のおばあちゃんの家なのだが、次のチェックポイントの関係上、おばあちゃんの家には立ち寄らないコースにせざるを得なかった。

 次の神社は、通学の時にお参りさせていただく神社と200mほどしか離れていない。本当に住宅地の中に、いや、神社のおひざ元に氏子が住まわせてもらっているような所だ。

 僕は、お参りして、大通りではない、細い道で先ほどのパノラマとはいかないが、きらめくような日の出後のお日様と、それを逆光に受けて黒い美しい稜線を見せる連峰とに向かって先を急いだ。数百メートル進むと、ふっと、なんだかよく分からないけれども、急に右に顔を向けたくなった。

 僕が無意識に目を遣ると、真新しい格子戸の普通の民家の玄関の脇に、お地蔵さんのお堂があった。

 きれいに花が供えられ、線香も焚かれていた。小さなお賽銭箱もあり、木の格子の扉が開かれている。

 そのお堂は、道路には面しているが、どうみてもその民家の敷地内にあるお堂だった。

 僕は不思議に思ったし、なんだか、その民家やその近所の人たちから見ればよそ者の僕である、という意識が咄嗟に起こったが、そんなこととは関係なく、体が勝手に動いた。

 僕はお賽銭を入れ、手を合わせた。真ん中のお地蔵さんの脇に、お不動さんがおられた。反対の脇には、少し小さなお地蔵さんがおられた。

 僕は手を合わせたまま軽く頭を下げ、また走り出した。


 ゴール前の最後のチェックポイントは、僕の家の氏神様の神社だ。

 僕はお父さんに連れられて土日に来た時や、初もうでに来た時や、県内で一番人の出るお祭りに来た時や、かすかに記憶の残る、七五三の時のことを、境内に入るといつも思い出す。そして、今朝は、早朝、分身された氏神さまが、家の前で祝詞をあげてくださったのかな、とも思った。

 お参りし、走りを進める。駅の北口方向を目指し、ガード下をくぐる。

 6月の土砂降りの次の日、親水公園の向かいにある児童公園に行くために自転車でくぐった、あのガード下。

さつきちゃんに、「日向さんが、好きだ」と言ったことが急に思い出されて、思わず動揺するが、そんなことで怯んでいる時間はなかった。

 恥の感情を抱えたまま、走り続け、やっとゴール地点の親水公園の入り口にかかる。

 といっても、この公園は広い。約束の、芝生の広がる区域まで数百メートル走らなくてはならない。公園の中にある体育館前の広場に立っている時計を見ると、AM7:03だった。

 


その10


 僕がととっ、と駆けていくと、芝生のスペースに、さっき橋の上から見た連峰と同じように、逆光を浴びて輪郭がくっきりと浮かび上がった小柄な人影が走っている姿が見えた。連峰ほどのスケール感はもちろんないのだけれども、僕にとってはとても存在感のある影だった。さつきちゃんは、芝生の区域を、コンクリートの縁石で区切られた外輪をなぞるようにして走っていた。ととっ、とっ、という、ゆっくりしたペースで走っている。多分、クールダウンだと思うのだが、僕はお世辞でもなく、気になる人への欲目でもなく、本当にきれいなフォームだと、驚いた。

 陸上部の中でもこんなにきれいなフォームで走る選手はそんなにたくさんはいない。

 僕は、しばらく見とれていた。

 その内に、さつきちゃんが僕に気づいた。たっ、たっ、と僕の方に駆け寄ってくる。

 僕も、さつきちゃんの方にゆっくりと走って行った。

「おはよう」 さつきちゃんは僕の3mほど近くに来ると、足を止めて挨拶をしてくれた。

 僕も、おはよう、と返す。

「クールダウンしてたの?」

 僕はさつきちゃんの額の汗がかなりひいているのではないかと思い、随分長いこと、クールダウンに時間を割いて僕を待っていてくれたのではないかと、気にかかった。

「うん。だいぶ汗かいたから、ぶらぶらと走ってた」

 ぶらぶら、という感じではない。走る動作ひとつひとつがとてもスムーズで、力が抜けていても、とてもきびきびした走りだった。ぶらぶら、というぐらい無意識にあのフォームができるということは、運動神経がとてもいいか、フォームがきれいなままで固まるくらい走り込んでいたか、その両方かだ。

 僕たちは、芝生の上で、それぞれストレッチを始めた。これが、以前、さつきちゃんが言っていた、‘自主トレ系マラソン部’の活動の一部だ。9月のマラソン大会までの間、それぞれのコースを走った後、親水公園の芝生の区画で、ストレッチをしながら、それぞれのトレーニング状況を報告しようということになったのだ。

 ただし、毎日、という訳にもいかないので、夏休みの間、不定期だが、週一度くらいのペースで、早朝走り込みの後、集合しようということになった。いつ集合するかを決めるのは、さつきちゃんに任せることにした。前日の夕ご飯くらいの時間に、さつきちゃんが僕の家に電話をくれることになった。僕から連絡するよりは、さつきちゃんから連絡を貰うようにした方がいいだろうと考えたのだ。もし、僕から連絡するとなったら、週に何回も集合しようとしてしまいそうだったので。もちろん、そんな理由はさつきちゃんには言っていないけれども。

 僕も部活とは別に毎日10km走るのはさすがにきついので、基本的には集合の日を10kmランニングの日として、それ以外の日は、部活前の朝に5km走ったり、気分が乗れば夕方に10km走ったり。コースは今朝走ってきた10kmちょっとのコースをベースにアレンジすることにした。

 さつきちゃんは、家の向かい側ということと、早朝でも結構な数のランナーや散歩をする人がいて安心だということで、一部がこの親水公園の中を流れる運河沿いに作られた、デッキ張りのジョギングコースを走ることにした。ジョギングコースは、100m、500mと、スタート地点からの距離を示す立札が立っており、5kmくらいのコース設定をするのにとても都合がよいと、さつきちゃんは言っていた。

 僕たちは、夏休みの学習の課題のことや、昨日見たテレビなんかの他愛無い話をしながら一通りストレッチを終えると、お尻についた芝生の草を払いながら、立ち上がった。

「じゃあ、わたし、朝ごはんの準備があるから」

 さつきちゃんが言うと、じゃあ、と名残惜しくはあるが、僕も朝ごはんの時間に遅れないよう、家の方に足を向けた。

「あ、かおるくん」

ふとさつきちゃんが僕を呼び止めた。

 え、と振り返ると、さつきちゃんが、にこにこ笑って、

「来週の花火、観にいかない?」

と、想像もしなかった誘いを受けた。



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