スルガとマトイ

 いつだってその少女は幕家の隅で裁縫をしていて、スルガが幕家に入っていっても、ちらともこちらを見やしない。

 おお、相変わらずきれーなモン作るんだなすげーな。と言って頭をわしゃわしゃ撫でてやると、「やめて髪が乱れる」と答えてつんとそっぽを向く。いつからか、この少女はあまり笑わなくなった。回りの子どもたちが馬と外を駆け回っているときにもひとり澄ました顔をして、針や糸と戯れている。

 スルガはどうにも、それが気に食わない。今日も今日とて、なんとか宥めすかして外に連れ出してみようとはするのだけれど、帰ってくるのはすげない返事のみだ。

 そして結局、半ば無理矢理その身体を担ぎ上げて、外に向かう。これもいつも通りのこと。

「やだ! おろして! こどもみたいに扱わないで!」

 肩に担いだ少女が、澄まし顔を脱ぎ捨てて抗議の声をあげる。怒りをにじませる声ですら鈴の音のようだと思う。

「こどもみたいもなにも、こどもだろうが」

 スルガは今年で三十になる。そのスルガのちょうど半分の歳にすぎない少女は、身の丈も腕力も、スルガに何一つ適う筈がなく。最初は暴れたものの、草原に出た頃にはすっかり大人しくなっていた。

 スルガは赤子をあやすように少女を持ち上げた。

「ほら、小さいときはこうしたら笑ってたじゃねーか。笑ったほうがかわいーぞ」

 茶化すと、マトイは不服そうに頬をふくらませた。その身体は、やわく軽い。力を入れれば折れてしまいそうな、けれども弾けんばかりの瑞々しさを内包した、十五歳の身体。

 赤子の頃から見てきたはずの子どもは、いつの間にか少女になっていた。そして数年後には娘になって、女になるのだろう。寂しく思わないと言ったら嘘になる。けれど同時に、待っているかのような感覚もある。

(待ってるって、)

 小さく、乾いた笑いを漏らした。

(何のために待つんだか。三十にもなる男が、十五歳の子ども相手に)


「スルガ?」


 やわらかな声にはっとして顔をあげれば、夜空色の瞳と視線が交差する。少女は大きな瞳をぱちぱちとしばたかせ、小首をかしげた。小鳥のようなその動作に、不覚にも心臓を大きく鳴らした自分がいて。ああこれは本格的にアブナイおっさん確定だな、と自らに呆れかえる。

 そして素直に、きれいになったな、と思った。白い肌に長いまつげ、背中まで伸びた艶やかな髪。身長はもう少し伸びるだろう。幼さの残る顔はこれから大人びてきて、身体はさらにまるくなる。


 空の青が、目の前の少女が、まぶしくて。スルガは目を細めた。


 はらり、と少女の髪が一房、目元に落ちてくる。細い指が伸びてきて、それを退けようとしてくれた。くすぐったさに目を閉じた一瞬、額に何かを感じた。やわらく、潤いのある、なにか。

 ぎょっとして目を開ければ、吐息のかかる距離に少女の顔がある。長いまつげがふるふると揺れていた。次に視界に飛び込んできたのは、くちびるだった。薄皮一枚向こうに流れる血が、その部分を薄紅に染めている。


 マトイ、と掠れた声でその名を呼ぶと、少女はほのりと頬をあかくして、ふわりとほほえんだ。

 まるでおんなみたいなその微笑みに「まいった」と小さく漏れた声を、吹き抜けた風が言葉を攫っていった。

 届かなかった声に心底安堵して、スルガは何事もなかったかのように笑みを返す。


 少女が男の口からその言葉を引きずり出すのは、また数年後の話である。

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