第七話

 彩花は懐から式符を取り出し、魔力を込めて発動させた。すると、式符を核にして現れた二体の式神が、彩花の両脇に陣取り守りについた。

 魔物はあと一歩のところで俺の排除を妨害されたことに気がつき、不機嫌な咆哮を放った。当然のように魔力の振動波が結界内部に居る俺たちを襲うが、俺も彩花もその程度で揺らぐほど柔な魂をしていない。


 彩花は杖を構えて術式を展開。杖のサポートを受けて即座に発動した召喚術は、竜種の力を借りた魔力の奔流ブレスであった。その一撃は確実に魔物へダメージを与えており、新たな脅威の出現に魔物の敵意は分散した。

 魔物は打ち下ろすようなドラゴンブレスを迂回して彩花へ攻撃。四人がかりの結界に阻害されてなお衝撃波を伴う敵の攻撃は、二体の式神が振るう矛によって危うげなくはじき返された。

 彩花の指示を受けること無く自発的に行動したことから自律式だと思われるが、その腕前はライアンやフレッドと良い勝負であり、すさまじい式の完成度である。自律式は一般的に、単純な動作を組み込むだけでも三年は掛かると言われている。効率的な式の組み方は長い歴史の中で確立されつつあるが、どうしても式神の性能に応じて細かい調整が必要であり、そこが式神使いとしての腕の見せ所でもある。

 故に、自律式における術式の細部は各流派の秘伝である。が、そもそもあそこまで洗練された式を打てる流派など聞いたことがない。歴史の裏に潜む、それこそ陰陽術の盛んな東の大国の帝か将軍、その秘蔵の陰陽師ならばあるいはといったレベルである。

 そして、そんな秘匿技術を習得した人材を国外に流出させたとなると、まず国の上層部の首が物理的に幾つか飛ぶだろう。しかし、過去数年を遡ってみても、そのような話は聞いたことは無い。だとすると彩花は独学であそこまで式を昇華したということになるが、それはそれで空前絶後の大天才、端的に言って人の枠組みを鼻歌交じりにぶちこわす化け物じみた才能である。

 どちらにせよ、彼女の謎は深まるばかり。式神一つでここまで俺の心をざわつかせてくれるとは、彩花め、やりおる。


 そんな今考えるべきでは無い内容を頭の片隅で考えつつも、俺は攻撃の手を緩めずに術式を展開し、同時に矢を放ち続けた。

 こちらに飛んでくる攻撃は迎撃できるものは迎撃し、回避できるものは回避する。そして俺の力ではどうしようもない攻撃は、雷伯にカバーしてもらっている。

 雷伯は雷伯で、あるときは俺を乗せて人虎一体の移動砲台として働き、また在るときは俺を下ろして戦場を縦横無尽に駆け巡り、敵の注意を引きつけていた。


 雷伯の機動を軸に、俺たち二人と一匹は確実に敵を削っていた。だが、やはりランクDの魔物は強大であり、未だに衰える気配を見せなかった。このままでは魔物を削りきる前に、結界を維持しているライアン達の魔力が尽きるだろう。結界の抑えが無くなれば、今は攻勢に出ている俺たちの力関係も逆転してしまう。そうなる前に、何らかの手を打つ必要がある。


「彩花! 敵の攻撃はこちらで引き受けるから、大技を頼む!」


 彩花も現状を打開する必要を感じていたのか、返事をすることも無くすぐさま詠唱を開始した。


「四神が一柱白虎の友、北条彩花の名において命じる――其は此方において万物を白く染めるもの、其は彼方において万象を示すもの――」


 彩花が詠唱を開始すると共に、彼女の身体から溢れた魔力を呼び水として膨大な魔力がうねりを伴って引き寄せられる。それと同時に、近くを通る龍脈から理力が引きずり出される。本来易々とは混ざらないはずの二つは、彼女が周囲に展開した術式を繰り返しくぐり抜けることにより、徐々に一つの、膨大なエネルギーへと変化していった。

 もちろん目の前で展開されている脅威を魔物が見過ごすはずも無く、敵は全力を以て妨害を試みた。だが、目的が定まって単調になった攻撃など俺たちが防げないわけも無い。俺の遠距離攻撃による面制圧を側面から受けて多くの攻撃は弾かれ、残りの攻撃は二体の式神によってなぎ払われる。そして宙に浮いた武器の全てが、雷伯の雷を纏った爪の一凪で魔物に送り返される。ここに来て俺たちの連携はさらに磨きが掛かって防衛線は揺るぎないものとなり、その背に守られた彩花は順調に詠唱を積み重ねた。


「――母なる大地を巡り集いて、我が敵を討ち滅ぼせ――来たれ、八雷やついかづち!」


 術式が完成したその瞬間、確実に大地が鳴動した。ヒルメス村から遙か彼方、八つの方向から八色の雷が天へと昇り、俺たちの頭上で一つになり純白の輝きを放ち――次の瞬間、世界は轟音と光に包まれた。雷光の放つ暴力的なまでに白い光と、魂すらも揺さぶる雷鳴はその場に居合わせた者に一切の思考を許さず、奇妙な静寂が訪れた。――そしてどれだけの時間が経ったのか、気がつけば術式は霧散しており、世界に色と音が戻っていた。


 『天墜』で引き起こされる落雷などとは比べものにならない先ほどの現象は、なるほど、魔術法術混合術式、すなわち魔法の名にふさわしい威力であった。

 あらゆるものを焼き尽くし押し流す電流にさらされ続けた魔物は、未だに健在ではあるものの、確実に規模が半減していた。

 終わりへの筋道が見えた。今こそ攻めどきである。


「攻めるぞ!」


 度重なる攻撃にさらされ、敵の武器の数はだいぶ減っていた。ここは脚を止めて攻撃に専念すべきと判断し、術式を展開。弓に矢をつがえて武法術の準備もする。

 雷伯も近接戦を仕掛け、式神も守りを一体に任せてもう一体が攻めに転じた。

 彩花も硬直から解放され、再度召喚術の展開を始めた。

 恐らくは魔物すらも、自身の終わりを覚悟した……次の瞬間、俺の両脇の地面が盛り上がり、二体の土人形が姿を現した。


 予想外の事態に思考が停止する。


「しまった、新手だ!」


 いち早く気がついたカーマインの声が遠い。

 魔物は仲間を増やすために世界を浸食する。つまり、魔物に浸食された土地を放置しておくと新たな魔物が出現するのだ。それが、浸食された土地が呼び水となって『外』からやってきた魔物なのか、それとも浸食した魔力が意志を持って新たに生まれた魔物なのかは良く分かっていないが、非情に厄介な特性であると言うことだけは確かである。

 新たに現れた魔物はゴーレム型。ランクはBに近いAといったところだろう。だが、それが分かったところでどうしようも無い。ビースト型とは異なり現れて直ぐに行動を開始した二体の魔物は、どちらも俺を標的として攻撃を仕掛けてきた。


 攻撃に転じようとしていた俺は回避も防御も間に合わない。だが、為す術の無い俺の視界に飛び込んできたのは、外で護衛を務めていた冒険者達であった。彼らは俺の身体をはじき飛ばすと、果敢に魔物へ向かって行った。


「おまえら、ここが見せ場だ!」

「おうよっ! なんとしても王子様を守り抜け!」

「人手が足りん! そっちのお主らも手伝わんか!」


 始めは近場に居たエミリアとフレッドの護衛が駆けつけた。だが、ランクAとはいえ二体の魔物相手に十人では厳しかったようで、カーマインとライアンの護衛が次々と応援に来た。

 暫く呆然としていたが、この空間に居ること自体が彼らの命を削ることだと気がつき、直ぐに立ち上がった。


「助かった! だが、このままではあなたたちの命が危ない!」

「心配いりませんよ。王子達のがんばりのおかげで魔力濃度はだいぶ下がってます。それにまだ王子の補助術式が効いてますからね。この土くれ倒すくらいならいけますって」

「それに他の敵の掃除も終わったみたいで、俺たちの仕事も無くなりましたからね。最後くらい見せ場が欲しいじゃないですか」

「そうとも! 魔物退治は俺たちの得意分野です。軍の連中なんかには任せておけませんよ!」


 彼らは戦いつつも、そう陽気に返してくる。だが、彼らとて自分たちの行為がどれほど危険であるかは分かっているはずだ。それでもなお、助けに入ってくれた彼らに感謝する。


「ありがとう。そこまで言うなら、そいつらは任せた。ただし、中央には近づくなよ! 弱ってきているとはいえ、あいつの近くはまだ浸食が酷い」

「心得ていますって。時間をかければ、この中も危なくなるってことも理解してます。さっさと倒しておさらばしますよ」


 そう受け答えをしたものの、結界の限界とは別に、彼らの限界というタイムリミットが発生したことがプレッシャーとなり、焦りが生じる。

 俺も助力して新手二体を先に片付けることを考えたが、ランクDの抑えが減って冒険者達に攻撃が向けられるのはまずい。ここは彼らに任せて、俺はランクDの討伐に専念することにした。

 とはいえ、まだ新たな魔物が出現する可能性はある。脚を止める攻撃は控えて、移動砲台として魔物を削りに掛かった。


 射つ、避ける、射つ、切り払う、隙を見て威力重視の魔術を放つ……

 どれだけの矢を射ただろうか。矢筒が補充の術式が組み込まれている魔導具で無ければ、早々に弾切れになっていたことは確かである。

 魔力残量もジョンのサポートがあるとは言え、かなり目減りしてきたのを実感する。彩花の魔力残量も心許ないようであり、先ほどの大技はもう使えないであろうし、今も威力よりも効率重視の召喚術を選択していた。

 冒険者の方はと見れば、流石に専門家と豪語するだけあり、危うげの無い連携で傷一つ負わずに戦闘を進めていた。二体の魔物も消滅間近であり、結界内の魔力濃度が危険値に上昇する前には討伐できるだろう。


 終わりは近い。とはいえまだまだ綱渡りな部分も多く、この場に居る誰もが油断せず、ほどよい緊張を保って行動していた。

 そして不意に訪れる嫌な気配。既に今日何度か体感し、それが魔物の気配だと言うことは分かっている。何の因果か出現場所はまたしても俺の隣である。先ほどは不覚を取ったが、今回はそうはさせない。

 三体目のゴーレム型に対して抜剣。源太のアシストをもらって『斬岩剣』を発動。迫り来る敵の攻撃を潜り、その腕を下からすくい上げるような切り上げで分断する。そしてその勢いのまま跳躍。敵に蹴りを入れてその反動で距離を取った。

 着地と同時に魔術を展開。ランクDと新手に牽制を仕掛ける。新手は切り落とされた腕が再生を始めており、やはり武法術一発ではたいした被害にはならないようである。


 ランクDの抑えと新手の対処。倍に増えた仕事に頭を抱えつつも、何とかするしかないと腹を括る。やはり後一手、彩花並の使い手が欲しい。

 そんな俺の願いが届いたのか、探知圏内に一つの、いや、遅れてもう一つ、二つの反応が現れた。

 森の方角を見る。既に西に傾いた太陽が赤く輝く中、一つの黒点が見えた。それは、太陽を覆い隠すほどの大輪の炎の華を咲かせると、空気の壁を貫き、音を置き去りにしてこちらに迫ってきた。

 その人影は僅かな時間で背から大剣を抜き、焔を纏わせて俺の目の前の魔物に着弾した。

 猛烈な移動速度を乗せて振り下ろされた大剣は一撃の下に魔物を消し飛ばし、彼は返す刀でDランクの魔物に斬りかかった。その大剣が横凪に振るわれると同時に、敵は紅蓮の炎に晒された。


 後からやってきた反応も、跳躍して結界に突入。敵の頭上に来ると巨大な氷の楔を生成し、そのまま楔の上に寝そべって敵めがけて落下した。


『まったく、お前の技は暑苦しいのだ。周りの人間の迷惑というものを考えよ』


 そういって氷の上に寝そべっていたのは、雷伯と同じくらいの大きさの狼であった。敵は狼の産みだした楔によって大穴を開けられており、抜け出そうと蠢いていた。


「おい爆炎剣! そこの狼の言うとおり周りの迷惑考えやがれ! こちとら結界の維持が大変なんだよ! 結界に攻撃当てるんじゃねえぞ!」


 魔物を消し飛ばした余波を真正面から浴びせられたカーマインは、冷や汗を流しながら始めの援軍に文句を言った。

 爆発の余波が消え去ったそこに現れていたのは、夕陽よりもなお赤い髪をたなびかせ、陽炎を纏わせた大剣を握ったアルフォンスであった。


「フミヤ王子、間に合いましたかな?」

「良いところに来てくれた、といいたいが、もう少し早く来てくれても良かったものを……」

「これでも急いだのですよ。それになにもしないよりはマシと言うことで、ここは一つご勘弁ください」

「仕方ない。おいしいところだ、決めろよ?」

「お任せあれ」


 そんないつもと変わらぬやりとりをして魔物に向き直る。すると、脇の方で小さな歓声が上がった。左に目をやると、冒険者達が無事に魔物を討伐していた。


「お務めご苦労! 撤収して良し!」


 俺は彼らに向けてサムズアップ。彼らも朗らかな笑顔を浮かべて返してくる。


「総員撤収! さっさとずらからねぇと爆炎剣に焼き殺されるぞ!」


 冒険者達は笑いながら結界の外に退避した。


「アルフォンス?」

「あー、若き日の過ちってやつです。ったくあいつらめ、後で本当に炙ってやる」

「ほどほどにしときなよ。直る範囲で済ませるように」



 かくして長かった戦いも最終幕を迎える。

 敵を挟んで西に彩花と雷伯。東に俺とアルフォンス、そして一頭の狼。

 魔物は氷の楔から何とか逃れ出て、身体の修復も終えていた。その身に纏う武器は既に両の手で数えられるまでに減っており、その動きも精細を欠いていた。


 夕陽が沈む。遠く駐屯地では、かがり火が炊かれていた。事前に取り壊して燃やしていた民家は、火の勢いを衰えさせていたものの、未だ宙へと火の粉を送り続けていた。

 時刻は誰そ彼時。辺りは暗くなり、結界の外を囲んでこちらを見守る味方の顔が見えなくなる――次の瞬間、魔物は彩花と俺を標的にして武器を飛ばしてきた。

 アルフォンスが爆炎を踏み台にし、すさまじい加速で敵の攻撃をくぐり抜ける。俺と彩花は正確に敵の武器を弾き続け、上空に拘束する。

 アルフォンスが腰の剣も抜き、二刀を構える。その身にはいつの間にか膨大な理力が纏われており、アルフォンスの宣言と共に二刀を伝い、魔物に直撃した。


「時弦針!」


 左手に持った剣で対象を束縛。右手で振るわれた剣があらゆるしがらみを断ち切り、現世に落とし込む。

 魔物は母なる海との繋がりを断ち切られ、孤独を訴える悲痛な叫びを上げた。

 だが、雷伯と狼はそんなことを斟酌せず、魔物の叫びをかき消すように咆哮を上げた。天から降る雷が魔物の身を焦がす。そして魔物を取り囲むように地面から氷の槍が飛び出し、魔物を貫いた。

 ついに魔物は攻撃に回す余力がなくなり、ただひたすらにその身の維持に努めた。

 そんな様子を俺は魔物の頭上から見下ろす。跳躍する俺の手の中には、理力を宿す一本の矢。魔物の直上に到達した俺は、この戦いに終止符を打つ。


「――世を蝕む魔を祓い清めん――世界樹の矢イグドラシル!」


 先ほどとは異なり天から放たれ地脈と接続した矢は、さらなる勢いで魔力を吸い上げ成長。弱体化していた魔物はこれに抗う事が出来ず、ついにその身を滅ぼした。


 空中で力が抜けた俺は、そのままアルフォンスの腕の中に収まった。


「フミヤ様は軽いですね。もう少し食べないといけませんよ?」

「余計なお世話だ。それより、下ろしてくれないか?」

「皆に知らせるのでしょう? でしたらもっと良い方法がありますよ」


 アルフォンスはそう言うと、俺の返事も聞かずに俺を持ち上げ、肩車をしてしまった。

 周囲からの視線が刺さる。逃げ出したいが、アルフォンスは素知らぬ顔で俺の脚を鷲掴みにしており、逃してくれそうもない。

 仕方がないだろう。周りの期待に応えるように、俺は息を吸い込んで宣言した。

 

「この戦い、俺たちの勝利だ!」


「「「ぅうおおおぉぉぉぉっ!!!」」」


 俺の宣言を受けて皆の怒号のような歓声が響き渡る。一拍遅れ、駐屯地からも喜びの声が伝わってきた。

 普段とは異なる高い位置からは、皆の喜びに満ちた笑みが見渡せた。多くの顔は煤や埃にまみれており、中には血の跡を残すものも居て激戦の名残を感じさせた。

 この場に居る皆を守れた。その実感がじわじわと心の中に広がっていく。このかつてない充足感を今暫く味わっていたくなり、もうしばらくはこの体勢で居ることを決めた。


 俺の放った矢は急成長して三メートルを超える大木となっており、皆の歓声に囲まれて若々しい葉を茂らせた枝を揺らしていた。その様はどこか満足げであり、未だに龍脈と繋がっているのか、皆を祝福するかのように理力の光を夜空に振りまいていた。

 その根元では二本の武器とペンダント、それから見覚えのある髪留めが墓標のように転がっていた。

 その髪留めは敵の巫女がつけていたもの。それを見てようやく、俺は敵を倒したのだという実感を得ることが出来た。


 かくして数十年ぶりに起きた甲種非常事態、後世にはヒルメスの森異界襲撃事件と伝えられる戦いは、いくつもの謎を残して終わりを告げたのだった。

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