境界線のこちら側より

 赤い塗料を溶かしたような、宵の空の下、いつも通りの格好のスミナとユキホは、人気の無い路地裏で、いつも通り仕事をしていた。

 建物と建物の間から、大きな金色の月が顔を出している。


 切れかけで役に立たない街灯の代わりに、充電式LEDライトが2人の周りを照らす。


「しっかしまあ、えらく丁寧な依頼人がいたもんだなあ。ユキ」

「ええ。今日は早く帰れそうね」

「おう」


 2人がやってきたときには、死体はすでに黒いゴミ袋に入れられていた。

 後は、二十数個程あるそれを回収するだけになっていた。


 ユキホは重いものを、スミナは軽いものを選んで、キャスター付きの大きいゴミ箱に放り込んでいく。


 ややあって。


 ゴミ袋の量ががちょうど半分に減ったとき、


「……?」


 何気なく、それの内の1つを持ち上げたユキホは、何か妙な顔をした。


「どした? ユキ」

「いえ、別に大したことじゃないけれど、妙に中身の密度が高い気がするのよ」


 いくら死体をバラしたといっても、あまりにもみっちりと入っていた。


「念入りに細かくしただけじゃねえの?」


 んなことどうでも良いだろ、と言って、スミナはその疑問を軽く流した。


「そうよね。ごめんなさい、スミちゃん……」


 そんなスミナの反応に、彼女を苛つかせたと思ったユキホは、しゅん、とした様子でそれをゴミ箱に入れた。


「……いや、別に怒ってねえから、そんな気にすんなよ」


 彼女のそんな様子を見かねたスミナは、いつもより不機嫌そうではない顔で、そんなユキホへ言う。

 

「なら良かったわ」


 安心した様子でそう言ったユキホは、袋の回収作業を再開した。


 さらに、ややあって。


「さーて、これで最後だな」

「ええ。お疲れ様、スミちゃん」


 最後の1つの小さいゴミ袋をつかみあげ、スミナがそう言ったとき、

 

「――!」


 ユキホは何者かの気配を察し、左腕でスミナを抱き寄せる。腿のサバイバルナイフを抜き、スミナの盾になる様、半身に構えてそれを気配の主へと向けた。


「おっと。驚かせてすまないね、『掃除屋』さん」


 その誰かは、銀縁の眼鏡をかけた、中肉中背の若い男だった。研究員っぽい白衣と眼鏡以外、特に目立った特徴はない。


「ちょっと1つ忘れてたんだ」


 手に持っている黒いゴミ袋を持ち上げ、彼は申し訳なさそうに2人へそう言う。


「あー、へいへい。早く持ってこい」


 ユキホの後ろから顔を出すスミナは、舌打ちをしつつそう言って、男を雑に手招きする。


「いやー、申し訳ない」


 男はへこへこと頭を下げながら、ゴミ箱の方へと歩いていく。


「……」


 ナイフは仕舞しまったが、警戒を解かないユキホは、そんな彼の挙動を睨む様に見ている。


「よいしょ」


 ゴミ箱に入れようと、男がかけ声と共に袋を持ち上げたとき、


「おっと」


 口の縛りが甘かったせいで、中身が1つ、ボトリ、と地面に落ちた。


「――!?」


 男はすぐに拾ったものの、ライトに照らされたが、スミナにははっきりと見えていた。


「スミちゃん、どうしたの?」


 彼女が愕然がくぜんとしているのを感じたユキホは、目を逸らさないままそう訊く。


「……。まさか……」


 スミナは何も答えず、自分の手に持っている袋を開けた。すかさず、ユキホがナイフがある方とは反対の腿にある、細身の懐中電灯を手渡す。


「――。あ……」


 そこにあったのは、スミナの予想通り、人間の頭だった。


「おい、お前……。これ……、使……?」

「何って、ちょっとした実験さ」


 わなわなと震えてそう訊くスミナに、男は特に顔色を変えることなく、むしろにこやかにそう言った。

 彼はさらに、調達が楽だの、コストが安いだの、聞いても無いのに語り出した。


「……ユキ」

「ええ」

「――れ」


 うつむき加減で男を鋭くにらみ付けるスミナは、躊躇ちゅうちょ無くユキホにそう命じた。


「はーい」


 それを聞いて、背中の得物を抜いた彼女は、


「じゃあ、こ――」


 今度もよろしく、と言おうとしてこちらを向いた、男の頭をスッパリと切り落とした。


 首から上を噴水のようにしながら、男はユキホに蹴り倒されて後ろ向きに倒れた。




 噴射が止まると、ユキホはいつも通り死体をバラし、予備のゴミ箱に放り込んでいく。


 片づけている内に、スミナは『掃除屋』の「大株主」である、『情報屋』こと天谷宗司あまやそうじに電話する。


「お前からかけてくるとか、明日は槍でも降るかな?」


 彼は開口一番、いつも通りの軽口を叩いた。


「本題から入るが、1人情報を書き換えてくれ。あと、墓の手配も頼む」


 それを完全にスルーしたスミナは、『情報屋』へ事の次第を手短に説明した。


「金は言い値で払う」

「あいよ。後で請求書送っとくぜ」


 それを聞いた『情報屋』は、小言1つ言わずにそれを引き受けて通話を切った。


「終わったわ。スミちゃん」


 すると、ユキホが血の付いたゴム手袋を外しつつ、1つため息を吐くスミナにそう告げた。


「おう」


 近寄ってきたユキホへそう返事をしたスミナは、彼女へ自分のゴム手袋を手渡した。

 男の入ったゴミ箱に、ユキホは2人分の手袋を放り込んだ。


 下っ端に後の処理を投げた2人は、『掃除屋』社屋への帰路についた。


 その道中、スミナは無言のまま、ずっと浮かない顔をしていた。


 社屋に帰ってからも、ほとんど口を開かない彼女は、同僚のアイリまで心配される始末だった。


 スミナはいつにも増して食欲が無く、彼女の夕食はパウチゼリー半分だけだった。


 2人で入浴を済ませると、スミナはすぐにベッドへ潜り込んでしまった。そのすぐ後に、部屋の明かりを消したユキホもベッドに入った。


 カーテンの隙間から青白い月光が差し込み、部屋の中をうっすらと照らす。


「……」

「眠れない?」

「ん……」


 ユキホに抱かれると、いつもならすぐに眠くなるスミナだが、今日はいつまで経っても寝付けなかった。


 その原因は、満月の明るさのせいもあるが、1番は、

 

「どうにも……、仕事のアレが、忘れらんねえんだよ……」


 袋の中に入っていた生首の、虚ろな目がスミナの脳裏に焼き付いて、離れてくれないからだった。


「もしかしたら……、アレはアタシだったかも……、しんねえんだよな……」


 そう考えると、怖いんだよ、と言うスミナは、空恐ろしさから小刻みに震えていた。


 ユキホはそんな彼女の背中に手を回し、ゆっくりと大きく手を動かして撫でる。


「でも、そうはなってないでしょう?」

「まあ、そうなんだけどよ……」

 

 そう言ったスミナの語尾は、いまいち歯切れが良くなかった。


「アタシさ……、あのときどっかで、こうならなくて良かった、って思ってたんだよ……」


 嫌なヤツだよな、アタシ……、といって、スミナはユキホの胸に顔を埋める。


「人間なんて、そんなものよスミちゃん」


 そう言って、あなたが気にしたってしょうが無いわ、と続けるユキホは、


「あの子達はああなってしまった、あなたはならなかった。だたそれだけだもの」


 と、珍しく、他人の事で悩む主人へ優しくそうささやく。


「ここでおしまいの話、か……」


 やっとウトウトしだしたスミナは、やり切れない、といった様子でそう言った。


「おやすみ。スミちゃん」

「ん……」


 その感情に蓋をするように、スミナはすっかり重くなったまぶたを閉じた。

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